
もはやネットですら「小ネタ」の扱いだが、中道改革連合が解散するらしい。結成時には政権交代さえありえると言われ、いまも衆院での野党第一党の進退が、福岡県議会の愉快な面々を下回るあしらわれ方は、悲しい。

そんななか、例外的にアツい論評を寄せるメディアがあったので、ぜひご紹介したい。一語一語のチョイスからほとばしる「うおおおお!」の叫びに、書き手の裂帛の気迫を感じる名文である。

立民の立党精神「立憲主義」を自ら否定し、自公政治を追認したものにほかなりません。自民党政治を変えようと市民と野党の共闘の発展のために懸命に支援してきた支持者、草の根の市民への最悪の裏切りでした。
(中 略)
中道は、選挙での敗北の要因を路線そのものの問題として根本から総括できませんでした。立民の重要政策を百八十度転換したことについても、「現実路線を明確化」したものだと正当化。公明にのみ込まれ、自公政治への対決軸を失ったことによる深刻な混迷ぶりをあらわにしました。
赤旗、2026.9.6
「自公政治」なる用語が示すとおり、著者にとっては、たとえ連立を離脱し袂を分かっても、かつて自民党と組んでいただけで公明党は排除すべき存在なのである。要は、自民と握手して “感染した” ケガレへのエンガチョだ。
著者にとっては、そんなケガレを持たない100%クリーンな “光の戦士” が、少しでも汚れたシミを持つ人々に「根本から総括」することを迫り、ひれ伏させてゆくプロセスが政治なのだと思う。まぁ、ひとつの立場ではある。
これに対し、現実に(高市政権の下で極度に右ブレした)自民党の政治をストップすることをめざす人たちは、むろん違った政治の捉え方をする。中道を支えてきたのは、そちらの立場である。
中道解体の引き鉄を引いたのは、参議院(と地方議会)にのみ残る立憲民主党の「合流拒否」だが、しかし同党の支持母体はむしろ合流への支持を明言してきた。たとえば最大の支援団体のトップは、先月にこう語っている。

―3党は安全保障、原子力発電、憲法改正、在沖縄米軍基地などの問題で見解に隔たりがある。
まとまらない話ではないと思っている。一緒になる思いがあるなら、落としどころを見つけるのは不可能ではない。それが政治だ。
時事通信、2026.8.15
三党合流のネックが、参院比例区の集票問題にあることは、7月に以下の記事で指摘した。だが翌月にこの談話が出る以上、たとえば公明票で連合の候補を推すといった歩み寄りが、水面下では成立していたものと思われる。

にもかかわらず、参院の立憲民主党はそんな「支援の手」を振り払い、合流の拒否を決めた。落としどころでの妥協はイヤで、100%ピュアがいいというわけだ。でもじゃあ、代わりにどこから票を持ってくるつもりなのか。
1か所しかない。炎上が起きるごとにSNSで殺到して「うおおおお!」と最強硬論を叫び、言い逃げする匿名・流動型の口だけ活動家の群れだ。彼らだけをアテにする「チームせろん」みたいな政党に、今後の立民はなってゆくと見てよい。

しかし、一度は参院の合流も前提に中道を結成した以上、彼らはもうピュアな存在ではなく、十分に “ケガレて” いる。そんな「チームよごれ」がどこまでネットで世論を拾えるか、まずは来春の統一地方選がチャレンジだろう。
というかその前哨戦は、すでに起きている。
ネットとリアルで “いま” の空気にベッタリ乗っかり、過激な言葉をぶつけてモブを煽ってきたトクリュウ・リベラルの指示役は、今月炎上し叩かれる側に落ちた。そんなノリを頼みにして合流を蹴ったのを、後から悔んでも覆水盆に返らずだ。


世論に焼かれる3か月前の
本田由紀・東大教授
当時の絶賛noteのひとつから
それとは違う道は、なかったのだろうか。
やはり8月に「合流支持」を明言した、立民の別の支援団体のトップが、いいことを言っていた。鳴り物入りで結成されたはずの中道を、選挙で躓かせた最大の要因をひと言で指摘している。

―中道結党、衆院選の結果はどうみたか。
結党当初は期待感はあったが、物語がなかった。今、誰の責任かという議論が先行しているのは極めて残念だ。当時、国民が高市政権に期待したことをしっかり分析し、(政権が)できていないことを野党が実現すると物語で語ることが重要だ。
時事通信、2026.8.10
物語とは、時間の幅を持った「なぜ現在こうであるのか」の説明で、”いま” キモチよくなるための汚言や罵声とは対極にあるものだ。世論の立ちんぼめいた「いまだけいいね」に依存して、日本のリベラルが失ったのがそれだ。
とりわけぼくらの民主主義は、敗戦の後に占領下で立ち上がったという、ピュアになりようのないケガレた物語を持っている。それを大事にするのを忘れ、自分は完全無欠だと驕り「うおおおお!」に吶喊したときが、リベラルの末期だった。
今月発売の『潮』10月号の連載「平成の回廊」では、半世紀前の1974-75年に政局を動かした「創共協定」について、中道改革連合を踏まえた今日の視座から描き直している。まさか刊行と同時にこんなオチがつくとは、予想しなかったが。
そこで引用した、戦後日本の “左翼の神様” のことばを、息も絶え絶えのインプレゾンビになり果てた令和のリベラルには、噛みしめてほしい。共産党委員長の宮本顕治は、池田大作・創価学会会長との対話で、こう語った。
「印象的だったのは、中道ということについての仏法の見方ということで、あなたが「聖教新聞」で書かれていたことです。中道というのは、単なる中間とか、折衷、日和見というものではない。原点に立つことだ」
『潮』2026年10月号、153頁
初出は池田・宮本『人生対談』33頁
(毎日新聞社、1975)
参考記事:


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年9月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







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