映画評『オデュッセイア』:神話を「体験」に変えたノーランの巨大映画

クリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』を観ました。上映時間は約3時間。話を乱暴に要約すると、「戦争が終わったので家に帰る」という映画です。

それだけ? と思うかもしれませんが、家に帰れません。嵐は来る。怪物は出る。仲間は死ぬ。神々は余計なことをする。本人も余計なことをする。これで3時間もたせるのは、クリストファー・ノーラン監督の力業です。

ノーランが撮ると、神話まで物理攻撃になる

原作はホメロスの叙事詩『オデュッセイア』です。トロイア戦争を終えたイタケ王オデュッセウスが、妻ペネロペと息子テレマコスの待つ故郷へ帰ろうとします。

主人公はマット・デイモン。ほかにもアン・ハサウェイ、トム・ホランド、ロバート・パティンソン、シャーリーズ・セロンなど、キャストだけ眺めていてもお腹いっぱいになる豪華さです。

そこにノーランです。神話、海、怪物、戦争。どう考えてもCGまみれになりそうな素材ですが、そこをノーランはできるだけ「本物」に寄せてきます。海は本当に冷たそうですし、船は本当に沈みそうですし、兵士は本当に臭そうです。

オデュッセウスは意外と迷惑な男です

ただし主人公のオデュッセウスは、いわゆる爽やかなヒーローではありません。頭はいい。勇敢でもある。でも、面倒くさい。黙っていればいいところで名乗ったり、危険だと分かっていて首を突っ込んだりする。

観客としては何度か「余計なことをするな」と言いたくなります。このあたりが面白いところです。『オデュッセイア』は単純な英雄譚ではありません。戦争から帰ってきた男が、戦争以前の自分には戻れないまま、それでも家に帰ろうとする物語なのです。

つまり古代ギリシャ版の復員兵映画でもあります。怪物との戦い以上に怖いのは、戦争が人間の中に残していったものです。「戦争が終われば平和になる」というほど、人間は簡単にはできていません。2500年以上前から、人類はそこを知っていたわけです。

ただしノーランはやっぱりノーランです

一方で弱点もあります。映像がすごすぎるのです。嵐! 怪物! 海! 戦争! また怪物! と次々に巨大イベントが発生するので、だんだん登場人物の感情より、「次は何を爆発させるんだろう」という気持ちになってきます。

特に妻ペネロペとの関係は、本来ならこの物語の中心です。何しろオデュッセウスは彼女のもとへ帰るために旅をしているのですから。ところがノーランは、人間の感情より巨大な構造物を撮っているときのほうが楽しそうです。

これはいつものことです。『インターステラー』でも宇宙のほうが人間より大きかった。『オッペンハイマー』でも核爆発のほうが人間より大きかった。そして今回は、神話そのものが人間より大きい。ノーランはブレません。

それでも映画館で観るべき映画です

では、この映画を家のテレビで観てもいいのでしょうか。おすすめしません。配信サービスの時代になり、ドラマを1.5倍速や2倍速で見る人も増えましたが、その真逆をやっているのがノーランです。「3時間座れ。大画面を見ろ。音を浴びろ」と要求してきます。

『オデュッセイア』は完璧な映画ではありません。長いです。重いです。人間ドラマより映像が前に出ます。途中で「まだイタケに着かないの?」とも思います。それでも映画館を出たときに残るのは、「すごいものを見た」という感覚です。

最近、そう思わせてくれる映画はあまり多くありません。家に帰る。ただそれだけの話を、これほど巨大な映画にする。ノーランという人は、つくづく面倒な監督です。そして、その面倒くささこそが、この映画の最大の魅力なのでしょう。

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