中年になると感受性は「狭くなるが、深く響く」

黒坂岳央です。

「若い頃は何を見ても新鮮だった」「昔ほど音楽に感動しない」「ゲームを買っても途中で飽きる」。中年になると感受性が衰えたと感じる人は少なくない。これは自分にも思い当たるところがある。

だが一方、若い頃には見えなかった感動を見つけることがある。漫画やアニメを見ると、昔は主人公の少年を見ていたのに、今は「主人公の親」を見てしまう。また、昔なら読み飛ばした何気ない台詞が妙に刺さったり、子供とアニメ映画の感想を言い合うと、感じ方や見ている部分が全然違うと痛感させられる。

「年を取ると感受性が衰える」筆者はずっとこの思い込みがあったが、実はこの意見は解像度が浅かったかもしれない。中年の感受性は衰えるのではなく、「広く響く」から「狭く深く響く」へ変化するのではないか。この仮説を述べたい。

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若者の感受性は「広く響く」

若い頃、世界はどこまでも果てしなく広く、そして輝いて見えた。

小学生の頃、中学生は大人に見えたし、外国人はまるで宇宙人のような感覚だった。「仕事をしてお金を稼ぐ」というのはバク宙を目の前で見せられるような迫力があったし、徹夜でゲームをして早朝コンビニでお菓子を買う時は大冒険に出かけるようなワクワクがあった。

40代からすると普通の出来事でも、10代には人生最大級のイベントになる。だから若者は、世界の非常に広い範囲から刺激を受け取れる。

若い頃の感受性の広さは「はじめて」だからだ。大人だってはじめてのことはドキドキワクワクする。筆者がはじめて地上波テレビのインタビューに出たのは30代半ばだが、収録当日は朝早く目覚めてしまい、ずっとソワソワしていた。はじめて自主セミナーを開いた時は緊張して何度もトイレにいっていた。

未経験であることは人をドキドキ、ワクワクさせる。それは大人も子供も変わらない。最大の違いは子供にとってほとんどのことは未経験という点だ。

中年の感受性は「狭く、深く響く」

そして40代ともなれば人生で未経験のこともなくなっていき、珍しいイベントも回数を経るごとに慣れていく。

冠婚葬祭も人前で話すことも回数を重ねれば、型もついて省力で上手にこなせるようになっていく。こうなるとドキドキワクワクもない。こうやって人生からワクワクすることが消えていく。

自分はそう思っていたので、「年を取ると感受性が失われて楽しめなくなる」という考えを持ってきた。今でも部分的にこの考えは変わらない。

しかし、同時にそうでない部分もあると思えるようになった。人生経験を積むことで若い頃よりはるかに多くのものが見えるものもある。つまり、感受性は「狭くなるが、同時に深くなる」ということだ。

先日、子供たちとクレヨンしんちゃんの映画を見てきた。視聴後、子供たちは当然のように主人公のしんちゃんやひまわりを見ている。だが、自分はそれを見守る親であるみさえやひろしを見ていた。彼らは子供のために体を張るシーンでグッと来たのだ。

これは昔の作品を見てもそう思う。親の立場で主人公を見るように変化した自分に気づく。「この台詞、自分は子供に言えるだろうか」と思うようになった。作品は変わっていない。変わったのは自分の心だ。

若者は世界そのものに感動する。「お菓子の家、食べてみたい」という。しかし、中年は世界と自分の人生との「重なり」に感動する。「親とはそういうものだよな」と共感するのだ。

旅行へ行っても似たような事を考える。テーマパークでは当然、スタッフは自分ではなく子供たちに愛想よく対応してくれる。その接し方が妙にうまいと、「この人は子供の気持ちをよく分かっているな」と感心する。

若い頃なら「感じのいいスタッフだ」で終わっていただろう。今は、その何気ない一言や振る舞いの意味まで見るようになった。

中年こそ人生経験を増やす

年を取るごとに肉体は当然として、感情もドンドンダメになって老いていく。昔はそう思っていた。心までミイラのようになったら一体、何をモチベーションに生きていけばいいのかと。

特に自分は平均よりも早く引退生活に触れたので、余計に「今、夢中になっている仕事がなくなった時、自分はその後どう生きていけばいいのか」ということを考える事が多かった。だが、今は新たな目標が出来た。それは「感受性を育てる」というものだ。

若さには広さという圧倒的な強みがあり、中年には深さという別の強みがある。前者は生まれ持った時から全員が持っているが、後者は自分で育てる要素が大きい。

そのためには中年こそ、色んな人生経験を増やすべきだと思うのだ。新しい経験をせず、昔と同じものだけを見る。新しいことに「もう知ってる」「くだらない」とケチをつけるようになれば感受性は衰えて、嫌なやつになるだけだ。もしも自分がそんな嫌な老人になり、それをメタ認知したなら自己否定には耐えられなさそうである。

だからあえて心を動かす体験を積むことをすすめる。たとえば旅行でもそうだ。

豪華なホテルのスイートルームに泊まり、専用コンシェルジュに何でもやってもらう場合を考える。はじめてなら、そのホスピタリティに感動するだろう。しかし、2度、3度と繰り返せば、それも日常になる。どれほど高級なサービスでも、基本的にはお金を払えば再現できる体験だからだ。高級体験もお金を出せば誰でも買えるコモディティにすぎない。

だが一方で、家族との旅行は毎回同じにはならない。子供たちと協力して荷物を運んだり役割分担をする。水着を脱水したり、洗濯機を回しに行ったりする。時には早起きして、眠そうな子供を連れて朝日を見に行くのだ。

効率だけを考えれば、全部スタッフにお任せの方が楽だろう。しかし、そうした面倒なやり取りの中で、子供が自分を気遣ってくれたり、妙に大人びたことをやったり、以前ならできなかったことができるようになっていたりする。その瞬間、単なる旅行が自分の人生の物語になる。

最近の自分が「心の交流」に価値を感じるのも、おそらく同じ理由だ。

相手と分かり合う。一緒に何かを作る。同じ苦労を乗り越える。誰かの立場になって考える。こうした経験は、その場で心を動かすだけではない。その後の人生で、別の何かを感じ取るための新しいアンテナにもなる。

中年の感受性は、確かに狭くなる。だが、深く響く。ならば中年がこれからやるべきことは、無理に若さを取り戻そうとすることではない。新しい人生経験を増やし、この「深く響く感受性」を育てていくことだと思っている。

若い頃のように、何を見ても心が動くことはもうないかもしれない。しかし、若い頃には見えなかったものが今は見える。それが出来るなら年を取ることも案外悪くないだろう。

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Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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