北朝鮮のエコノミスト、金正宇氏「わが国のいい面も書いて下さいよ」
金正宇氏は1990年代、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を西側企業に紹介してきた北朝鮮の代表的“エコノミスト‘だった。金正宇氏は柔和な笑顔の持ち主で、その言動は北朝鮮高官によくみられるぎこちなさはなく、自由だった。主体思想を“国是”とする北朝鮮の国民経済は破綻したと発言して憚らなった。

欧州の唯一の北朝鮮直営銀行「金星銀行」は2004年6月に閉鎖に追い込まれた。同銀行は武器密輸、偽米紙幣発行などの北工作の欧州拠点だった。
欧州の唯一の北朝鮮直営銀行「金星銀行」は2004年6月に閉鎖に追い込まれた。同銀行は武器密輸、偽米紙幣発行などの北工作の欧州拠点だった。
同氏は対外経済協力の責任者として、対外経済協力推進委員会(外経協)の委員長などの要職を歴任した。主体(チュチェ)思想による閉鎖的な経済体制をとっていた北朝鮮において、西側諸国や海外の企業投資を呼び込むための「窓口」として実務的な交渉: 国際会議や海外への投資説明会に赴き、北朝鮮の官僚らしからぬ比較的自由で柔軟な言動で知られていた
金氏がスイス・ダボスの「世界経済フォーラム」出席後、オーストリア商工会議所開催の「自由経済地帯説明会」に参加した時に初めて会った。会場にはオーストリア企業の代表たちが円卓を囲んでいた。休憩に入った時、金氏は立ち上がり、当方に近づいてきた。挨拶を交わした後、「あまり意地悪はしないで下さいよ」と、こちらの顔を見ながら囁いた。
金氏の顔は笑っていたが、その目は鋭く当方の顔を射抜いていた。一瞬、何のことか理解できずに当惑していたら、金氏は「いい記事もお願いしますよ」と付け加えてきた。きっと駐オーストリアの同国大使館から当方が北朝鮮に批判的な記事を書く日本人ジャーナリストだと聞き、警告を発する意味合いがあったのかもしれない。
金氏とはその後、国連工業開発機関(UNIDO)でも再会した。同氏の機嫌はウィーン滞在中、すこぶる良かった。当方の印象は「気さくで、オープンな紳士」といったものだった。その数年後、金正宇氏が自宅に数十万ドルを隠していたという汚職容疑で拘束されたというニュースが流れてきた。この情報の確認のために、北朝鮮外交官筋に問い合わせてみたが、どうやら「公金横領」で処刑されたことが分かった。
北朝鮮出身のエコノミストといえば、ホ・ヨンホ氏の名を忘れることができない。平壌の大城銀行の出向社員としてウィーンに就任したホ氏は、英国ロンドンで西側経済学を学んだエリート・エコノミストだった。対オーストリア借款の返済窓口となって、さまざまなビジネスを行っていた。
同氏がドイツ・ミュンヘンの会社から紙幣鑑定機を密かに購入したという情報を入手し、「北朝鮮、偽造米紙片の品質管理のため独社から紙幣鑑定機を購入」という記事を書いたことがあった。機械は単に米紙幣だけではなく、円などさまざまな外国紙幣の真偽を鑑定できる高性能の鑑定機だった。同鑑定機の仕様書を入手した後、当方はその内容を記事に書いた。その掲載翌日、ホ氏から電話がかかってきた。「俺は何も関与していない。これ以上、妨害するとどうなるか分からないぞ」と怒りをぶちまけてきた。
ホ氏は日本レストランで昼食を取り、高級なウィーンの店で買物をする姿をよく見かけた。ホ氏はまた、韓国ドラマが好きな金正日労働党総書記(当時)のために、ウィーンの韓国店でビデオを大量に購入していた。
そのホ氏はその数年後、投資ビジネスで大損失をし、それを平壌指導部に知られる結果となり、強制的に帰国命令を受けた。ホ氏の夫人は帰国直前、オーストリアのビジネスマンに「帰るのが怖い」ともらしていた。ホ氏が帰国後、処刑された、と風の便りで聞いた。
北朝鮮では経済専門家は用済みになった捨てられる。必要な時に持ち上げられ、利用できなくなれば粛正される運命が待っている感じがする。朝鮮労働党の朴南基計画財政部長は2009年11月、北朝鮮の通貨ウォンのデノミネーション(通貨単位変更)を実施して、経済の活性化を推進したが、2010年1月解任され、その後「国家経済を計画的に破壊しようとする反革命分子」として処刑された。
金正宇氏とホ・ヨンホ氏の北朝鮮経済専門家との思い出は、当方の心の中で重い記憶としていつまでも消えない。「わが国のいい面も書いて下さい」といった金正宇さんの言葉を当方は忘れていない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年10月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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