
(前回:「できます!」は、いちばん無責任な返事だ)
会議で一番多く「いいですね」と言った人を、思い出せるだろうか。
たぶん、無理だ。
「そうですね」「すごいですね」「そう思います」。相手を気遣ったつもりの相づちである。悪気はない。だが、誰にでも言える言葉は、あなたの言葉として残らない。おだてても、同調しても、その場の空気が少し良くなるだけ。翌日には消えている。
『頭のいい人だけが知っているズルい伝え方』(白鳥マキ著)ぱる出版
だから、たまには否定から入ってみるといい。
上司に「このプロジェクト、どう思う?」と聞かれた。正直、良いとは思えない。なら「良いとは思いません」と言う。ここで止めたらただの反抗なので、必ず「なぜなら」と続ける。理由が付いて初めて、「この人は考えている」と伝わる。上司が一目置くのは、反対意見そのものじゃない。その裏にある筋道のほうだ。
営業はもっとわかりやすい。お客さまに「この商品、どうかな?」と聞かれて、何でも「いいですね」。これでは「ただのYESパーソン」と見透かされる。合わないなら「○○さんにはおすすめできません」と言い切る。すると相手は「じゃあ、あなたなら何を選ぶの?」と聞いてくるかもしれない。商談が動き出すのは、そういう瞬間ではないか。
そういえば、「否定から入るな」と教わった人も多いと思う。
まず相手を認めてから、というやつだ。間違いではない。ただ、それを守りすぎて、誰の記憶にも残らない人が増えている気がしてならない。言い過ぎか。いや、このくらいでちょうどいい。
ちなみに、社会心理学に「認知的不協和」という言葉がある。
人は自分の中に矛盾を抱えると落ち着かず、なんとか解消しようとする、という理論だ。予想と違う答えが返ってくると、頭に「なぜ?」が引っかかる。その引っかかりが、話の続きを聞きたい気持ちにつながる。……と私は考えている。理論の本来の意味より少し広げた使い方なのは、承知のうえだ。
断っておくと、否定する相手は人ではない。意見や商品だ。「あなたは間違っている」ではなく、「この案には賛成できない」。ここを取り違えると、ただの嫌な人になる。それはまったく別の話である。
話を最初に戻す。会議で「いいですね」を連発した人の顔は思い出せない。でも、「私は違うと思います」と言った人の顔は、たぶん覚えている。
覚えている、はずだ。
※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
■
日本初のClaude実用書です。発売即重版しました。
『3時間で身につくClaude活用術』(WAVE出版)









コメント