ブルガリア大統領「ファシズムと共産主義には構造的類似性(全体主義)がある」

ブルガリアの民主化後の初代大統領ジェリュ・ジェレフ氏「ファシズムと共産主義には構造的類似性(全体主義)がある」著書「ファシズム」から

ソフィアの大統領官邸に入った時、「ここにあのジフコフが君臨していたのか」という思いが沸いてきた。大理石で出来ている官邸は堂々としていたが、寒々とした雰囲気があった。独裁者トドル・ジフコフのプレゼンスが至る所でまだ感じられるほどだった。そこを通過して大統領室に入ると小柄の紳士が立って迎えてくれた。ブルガリアの民主化後の初代大統領ジェリュ・ジェレフ氏(Zhelyu Zhelev)だ。

ブルガリア民主化後の初代大統領、ジェリュ・ジェレフ氏との会見、1990年11月7日

35年間独裁政権(1954年から1989年)を続けてきたジフコフは、「ソ連の第16番目の共和国」と揶揄されるほどの絶対的な親ソ方針を貫き、国内では徹底した一党独裁を維持した。その独裁政権が退陣に追い込まれ、その後任にジェレフ氏が1990年8月、同国で初めて民主的に選出された大統領に就任した時だった。

当方が東京に配信した会見記事には、「大統領府の新しい主人となったジェレフ氏は笑顔を見せながら当方を迎え入れてくれた。ジフコフが使用していた大統領府のソファーに座る小柄なジェレフ大統領を見た時、『時代は動いた』という強烈な感動に襲われた」と、少々大袈裟に書いた思い出がある。しかし、実感だった。

ジェレフ大統領は1990年8月1日、大国民議会(国会)で第2次世界大戦後初めて民主的な選挙で選出された。同じく文人大統領のチェコのハバル大統領とよく比較された。ジェレフ氏はソフィア大学で哲学を修めた学者で、反体制派活動家として活動していた時に書いた著書「ファシズム」はベストセラーとなった。

ジェレフ氏(Zhelyu Zhelev)は、当初マルクス・レーニン主義哲学の専門家だったが、博士論文で「物質の哲学的定義」をめぐりレーニンの定義を痛烈に批判したことで「反レーニン主義」の烙印を押され、共産党を除名・首都から追放されるという苦難を経験した。

当時のブルガリア共産党政権は、レーニンの言葉を絶対視し、哲学や科学の議論を硬直化させた。ジェレフ氏は、レーニンの物質定義が「絶対的なドグマ」として扱われている現状を批判し、「自然科学が進化すれば、物質に対する人間の認識や定義も変わるはずだ。にもかかわらず、レーニンの定義を金科玉条とすることは科学と弁証法の発展を止める悪しき教条主義だ」と告発した。

ちなみに、著書「ファシズム」はもともと1967年に『全体主義国家』というタイトルで執筆されたが、検閲をかいくぐるために1982年に「ファシズム」と改題されて出版された。しかし、発売からわずか3週間で当局に危険視され、発禁・回収処分となった。

同氏には、 ファシズムと共産主義の構造的類似性(全体主義の告発)という認識があった。同氏はファシズムを解剖する形を借りて、実質的にソ連型の共産主義システムを痛烈に批判・告発したわけだ。この本は、当時のブルガリア社会における共産党政権の正当性を根本から揺るがし、1980年代末の民主化運動を思想的に支える教本となった。1997年まで大統領を務めた。 2015年1月30日、79歳で死去した。

Alexey Kartsev/iStock


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年10月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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