「諸行無常」で考えたら、30年勤続はやっぱり変なのか

(前回:「なんでも続かない子」は、本当にダメな子だったのか)

フランス人の理屈は、筋が通っている。少なくとも、最初はそう思った。

仏教に「諸行無常」という言葉がある。この世のものは、すべて絶え間なく変わり続けている。庭の木は毎日同じ顔をしているようで、葉の色も幹の太さも少しずつ変わっている。髪は伸びる(あるいは減る。あるいは白くなる。どれかには心当たりがあるだろう)。世界の経済も、数字が動かない日はない。

『フランス人の気楽な働き方、全力の休み方』(トレオレル 美智子 著)フォレスト出版

10年前の自分なんて、ほぼ別人だ。見た目も好みも価値観も、暮らし方も違う。もっと言えば昨日の私と今日の私だって、体の調子も考えていることも違う。

だから、とフランス人は言う。自分もまわりも変わるのに、仕事だけが30年合い続けるわけがない。楽しめなくなったら、もっと上に行きたくなったら、変える。それは人生を良くするための努力で、怠ってはいけない。裏返せば、30年同じ会社にいる人は、その努力を怠っている人に見えるわけだ。

積み上げると、きれいに一本の線になる。続けることは怠慢。変えることは努力。日本で「根気がない」と言われ続けた私にとっては、ちょっと救われる話でもある。

でも待てよ、と思う。

ピアノをやめたとき、私は人生を良くしようとしていたか。していない。行きたくなかっただけだ。水泳も同じ。あれを「変化する勇気」と呼んだら、さすがに格好をつけすぎだろう。変えた理由が「楽しくなくなった」でも、それが努力なのか逃げなのか、やった本人にすらよくわからない。

逆も同じだ。リゾート船の工場に30年いる彼が、毎日楽しく通っているのか、つまらない顔で通っているのか。私はそれを知らない。知らないまま、私は「すばらしい」と褒め、まわりは「努力を怠っている」と眉をひそめた。どちらも、本人の顔を見ずに下した評価である。

続けるのが偉いのか、変えるのが偉いのか。諸行無常で割り切れたら楽なのだが、私にはやっぱりよくわからん。わかっているのは、楽しんでいるかどうかは本人にしか判定できない、ということくらいだ。

※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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