
いま、偽善とお花畑という2匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。
かつてマルクスは、共産主義という妖怪がヨーロッパを徘徊している、と書いた。その後を継いで、この大陸を徘徊しているのは、偽善とお花畑という2匹の妖怪ではないか。筆者には、ヨーロッパの現状は自傷行為、女子高生のリストカットに近いように映る。
10月17日、フランス全土で抗議デモが行われ、パリでは一部が暴徒化した。この暴動をめぐり、トランプは「野放しの大量移民が原因だ」と言い切った。これに対しマクロンは、暴動を移民のせいにする外国の指導者を、受け入れられない愚かなことだと批判した。名指しこそ避けたが、トランプ氏の主張を正面から否定したと報じられている。
果たしてどちらが正しいのか。筆者から見ると、マクロンは「移民」と口にしたら死んじゃう病気に罹っているような印象だが、暴動の中心にいたのは、移民というより、極左の活動家と便乗した略奪者だとフランス当局は見ている。仮にこれがその通りだとすれば、マクロン氏の側に分があるが。
フランス暴動の原因は移民ではないのか?
これについて、Web系マーケティングコンサルタントの永江一石氏は、刺激的なタイトルの自身のブログ記事「フランスの暴動は『移民の暴動』? 警察の発表を読めば極左と便乗略奪。黒フード=ムスリムって、アホなんですか?」で次のように論じている。
第一に、暴動の発端は学校予算削減への抗議であり、移民問題とは関係がなかった。第二に、10月17日の暴動参加者の多くは成人で、学校予算に抗議した人々の86%が未成年だったのとは対照的である。第三に、フランス当局は、暴徒の中心を極左の活動家と、便乗した略奪者だと見ている。第四に、移民の背景を持つ若者もいたが、その多くはフランス生まれの国民である。第五に、暴動の背景として強いのは、民族的な出自よりも、貧困と居住地域の隔離だという研究がある。
事実としては、おそらくその通りなのだろう。しかし、永江氏自身も、移民の多い地域ほど貧困が集中しやすいことは認めている。つまり、移民と貧困は重なっている。それならば、仮に移民は関係ないと言い切っているのなら、事実の半分しか見ていないことになる。
ここに、筆者が偽善と呼びたいものがある。移民の要素を、議論の場に出すこと自体をはばかる空気である。票になる、視聴率になる、あるいは差別だと批判されない、という理由で、語るべきことが語られなくなる。つまりタブーだ。
「正義」の名の下に封殺される不都合な真実
同じ構図は、移民だけに見られるものではない。たとえばロシアである。ウクライナへの侵攻は国際法違反である。しかし、そこに至る経緯として、NATOの東方拡大とウクライナでのロシア系住民への弾圧がロシアを追い詰めたのではないか、という見方がある。いわゆる「熊をつついた」という議論だが、欧州ではこれを口にするだけで、プーチンの擁護者という烙印を押されてしまう。議論すること自体が許されない空気は、健全とは言えないだろう。
極端な脱炭素政策や、性的少数者をめぐる議論にも、似た雰囲気がある。考えは多様であるべきだが、現実の負担や副作用を指摘する声に、陰謀論者の烙印が押され、封じられてしまう。
これらに共通するのは、同じ構造だ。票やマスメディアの視聴率を得やすい「正しさ」や「優しさ」が、現実との摩擦を覆い隠している点である。これを私は、ヨーロッパの自傷行為と呼びたい。そしてこの根底には、植民地主義時代への贖罪意識、アラブの春の尻拭いの気持ち、他者と比べた道徳的優越性への願望等もない交ぜとなっているのだろう。
煩悩を消そうとする人間の自己欺瞞
ここで、日本の事件を1つ思い出す。今年9月、岐阜県本巣市のケーキ店で、殺人と放火があり、店主の女性を含む複数の方が亡くなった。高齢の男性容疑者も、現場で亡くなっている。報道によれば、容疑者は葬儀会社を経営し、得度して仏教系の新興宗教法人の代表も務めていた。
動機は、容疑者が亡くなったため、法廷で明らかになることはない。だから以下はあくまで筆者の個人的な想像にすぎないが、仏教の教えに反し、愛欲と承認欲求の果てに最悪の結末に至ったように思われる。
仏教の解釈は多様であるが、煩悩を消し去れとは必ずしも説かず、それを見つめ、受け入れたうえで超えていくことを説く、というのが、釈迦が悟り、説いた真意だと筆者は捉えている。
食欲がなければ死んでしまうし、性欲がなければ人類は絶滅する。金銭欲や向上心や出世欲がなければ社会は回っていかない。ただ、それらを全体のシステムの中で適度かつ適切に位置付け、発揮していくべきだろう。
仏門に帰依した容疑者が、「煩悩を滅す」という意味を、煩悩をゼロにするものと解釈していたとしたら、それは決してかなわない。自らの内の欲や執着を見つめることなく、体裁だけを整えていたのだとしたら、それは偽善と呼ぶほかないのではないか。
見たくないものを見ず、ないことにする。その歪みは、いつか最悪の形で噴き出す。個人でも、社会でも、構造は似ているように思えてならない。
欧米を待ち受ける「ガラガラポン」
いま欧州では、綱引きが起きている。一方には、偽善とお花畑に支えられた現状を守ろうとする力がある。もう一方には、フランスのルペン氏、イギリスのファラージ氏、ドイツの右派勢力など、現状への不満を背負って台頭する力がある。どちらが勝つのかは予断を許さない。
大西洋を越えて米国も同じである。間もなく結果が出るが、11月3日の米中間選挙で、長引くイラン戦争に起因した物価高により、トランプの率いる共和党が上院の過半数も失いかねないというのが、開票前の下馬評の大勢だ。
ただ、1つだけ思うことがある。この綱引きがどちらに傾いても、これまでの建前を抱えたまま、元の場所に戻ることはないだろう。対するトランプの露悪、偽悪にも全面的に手放しで賛同することはできないが、西側世界でガラガラポン、すなわち1度すべてが崩れて組み直される局面は、避けられないのではないかと筆者には思われる。







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