実名で、相互に立場や考えを明らかにしながら言論を展開していく「アゴラ」の良さが段々判ってきました。前回の私の投稿について安冨さんから再びご所見を伺えましたので、今回はそれについての私の考えを申し述べたいと思います。ある程度わかりやすいご説明をいただきましたので、私なりに議論の方向性(落としどころ)を見出せたように感じています。
タイトルが「総括」であるからには、その方向に収斂すべきものと考え、以下に私見を詳しく述べます。
まずはじめに、安冨さんは私の主張を主なる2点に整理してくださいました。それは下記の通りです。
(1)公私がまたがっていなければ、ゲームの混同は問題ないのではないか
(2)ゲームの混同とゲームの規則への言及は異なるのではないか
が、上記については、私の主張の真意と若干相違が見られるので訂正します。まず(1)については、正確には「ゲームの混同は問題ない」のではなく「ゲームは混同していない」のではないか、というのが私の意見です。(2)はそれに連なる事柄であるため、今回の投稿では別個に取り扱わず、以下は訂正後の(1)の意見を軸に考えを述べたいと思います。((1)について訂正が必要になったのは、前の投稿において私の言葉が足らないせいでした。これは私の責に帰すべき事柄ですので、前もっておことわりしておきます)
安冨さんの最新の投稿では公/私の座標軸が(1)の議論の中心に据えられていました。私は安冨さんのその前の投稿を読み、ひとまず公/私の座標軸の存在を思い浮かべましたが、公/私以外に別の座標軸があるのであればそれをもとに議論したい、と考えていました。が、安冨さんも公/私の座標軸の存在はひとまず論点に据えられていますので、私もはじめに引き続き公/私の座標軸について述べたいと思います。
まず、ソフトバンクという企業は安冨さんのカテゴライズ(公私の区別が問題になるのは、官庁や大企業であり ―)では公私の区別が問題になる「大企業」に相当するのではないでしょうか。この点から、公私の別を「無意味な概念」「重要ではない」と言うには若干苦しいのではないかと感じました。但し、これは私が述べたい本論からすれば些事に相当することで、ことさらに申し立てるものではありません。立派な(有能な)中小企業の経営者に公私の別がない、というご意見も全く同意するところです。
ここからは公私云々から離れた”本論”として「ゲームが混同していないのではないか」と考える理由をより詳しく申し述べます。
まず第一に、安冨さんと私で「どこからどこまでが1つのゲームか」という、いわば「ゲームの定義」に若干相違があるのではないかと感じました。私の前の投稿では、安冨さんの分類に従い「就職活動」と「販売合戦」をそれぞれ別個のゲームと捉え、それが連なり、且つ相似の関係にあるという言い方をしましたが、これは言葉足らずでしたので今回の投稿で補足します。
厳密には、私の「『ゲーム』の定義」を適用すれば、「就職活動」と「販売合戦」はともに公的な企業の経済活動に連なる現象ないし活動であり、いわば「『企業の経済活動』ゲーム」のなかに組み込まれると考えます(つまり2つは本来別個のゲームとされるべきではない)。両者を別個のゲームと捉えづらい理由は、まず先ほども述べたとおり[1]「就職活動」と「販売合戦」は連なり、相似の関係にあるため切り離すには無理があること、加えて[2]安冨さんのようにゲームのレンジ(範囲)を狭めれば変数も少なくなり単純化こそされるが、実際の企業の経済活動は極めて複雑で、単純化にはなじまないと考えるためです。
例えを引き合いに出すと、安冨さんは「就職活動」と「販売合戦」をそれぞれ「ラグビー」と「サッカー」という全く別個のスポーツに置き換えられるものと捉えられているように見えます。それは、下記のような記述から読み取れます。
サッカーをやっている最中に、自分だけラグビープレーヤーになって、ボールを掴んで疾走し、それを既成事実として他人に認めさせるなら、二つのゲームを混同した新ルールを作ったことになる。
が、私はむしろ「就職活動」と「販売合戦」は「ラグビー」と「サッカー」のように全く別個のゲームとして括られるものではなく、そもそも同じ1つのゲーム(例えばサッカーとする)内の「ボールを蹴る」「仲間にパスを出す」など、一連のつながった行為に該当するのではないかと考えています(その行為同士の関係を、前回は連関・相似などと述べたというのが真意)。サッカーでは「ボールを蹴る」「パスを出す」だけでなく、その他「ゴールを守る」「ブロックする」なども含めた一連の行為が集合し、結果ひとつの「ゲーム」として成立します。同様に「就職活動」があり「販売合戦」があり、また「採用活動」「既存顧客の流出防止策」「コスト削減策」などがあり、あるいは「マーケティング戦略」もあり ― とありとあらゆる行為の集合体として「企業の経済活動」というゲームが成立するのではないか。私はこう考えます。
つまり、ソフトバンクの新採用制度は、例えるならばボールの蹴り方に「小技」が入り、それが今までのゲーム内で常識とされてきた蹴り方と異なる(言い方を変えれば「信義則」や「紳士協定」を破ったように見える)ために議論を呼び起こしているだけではないか。そう感じるのです。
これを読む方に誤解なきようあえて申し述べますが(安冨さんへの反論ではありません)、もちろんこの小技に「ハンド」(法律違反)が含まれていればそれは明確な「ルール違反」であり、認められません。そして、そのことに私が異存を表明したこともありません(コンプライアンスが企業にとり極めて重要なことは、経営者であれば誰でもわかっていることなのです)。が、現時点でソフトバンクの採用制度が何らかの法律に違反しているという明快な指摘はないし、行政指導が入ったという事実もありません。”厚労省が事実関係を調査しているではないか”と言う向きもあろうかと思いますが、そもそも事実がわからないから調査をしているのではないでしょうか。あたかも違法事実が認定されているかのような主張をするのは「結論(願望?)ありき」の飛躍した詐欺的論法であり、一顧だに値しません。この事柄は安冨さんも同意されることと思います。
話を戻すと、私と安冨さんで意見に相違が出る理由は「ゲーム」の根本的な定義づけの違いにあるのではないでしょうか。前提条件(ゲームの行為がゲームのルールに言及してはならない、等)について争うことは全くないのですから、実は米重―安冨間で見解に大差はないように思えます。見かけ上、ソフトバンクの新制度がテーマであるから正反対の見立てに立脚しているように映りますが、例のアメリカ人の教訓など議論の前提となることに相違はありません。ですから、私はこの議論の落としどころがここにあると感じます。
尤も、ソフトバンクのチャレンジングな取り組み(制度)が「信義則」「紳士協定」レベルでない高尚な「ルール」を破ったのだと言うお考えもあるかもしれません。ですから、そう仮定して予め私なりの「ルール」の定義を申し上げると、それは「法律・法規」です。その点の議論が必要であれば、次回に行えればと思います。
以上の方向性で、安冨さんからご覧になって間違いが無ければ、この点に絞ってご所見をお伺いしたいと思います。もちろん、間違いがあれば修正をお願いするものです。学生の意識云々の問題については、議論の混線を防ぐために安冨さんのご所見を伺ったうえで必要であれば次回以降述べたいと思います。
米重 克洋(株式会社JX通信社CEO/学習院大学経済学部経営学科2年)