輸出立国モデルの「突然死」 - 池田信夫

boueki

昨年度の貿易収支が7253億円の赤字となり、28年ぶりの貿易赤字に転落しました。世の中では、これを最近の経済危機にともなう一時的な現象と考える向きが多いようですが、これは戦後ずっと続いてきた輸出立国モデルが終わったという構造的な問題であり、与謝野財務相もいうように深刻に受け止める必要があります。経常収支はまだ黒字ですが、これも今後、配当などの所得収支が減少すれば赤字になるおそれが強い。

日本の貿易は、中国からの輸入による赤字を対米輸出の黒字で補ってきました。今回の経済危機で対米黒字が減ったために対中赤字が表面化しただけで、こういう傾向はずっと続いています。赤字が増える理由は簡単です。中国のほうが製造業の生産コスト(特に賃金)がはるかに安いからです。二国間で同じ生産要素の価格が違う場合、貿易を通じて両国の要素価格は接近し、理論的には均等化します。これを要素価格の均等化と呼びます。

日中の賃金格差は、部門にもよりますが、単位労働コストで考えて2~10倍ぐらいあるといわれています。つまり中国の賃金が10倍になって、やっと競争条件は対等になるわけです。しかし名目賃金を下げることは困難なので、実際に起こることは、次のいずれかです:

  1. 中国からの輸入の増加
  2. 生産拠点の海外移転
  3. 正社員の非正規社員による代替

このうち1は、古典的な要素価格の均等化ですが、実際には輸入によって日中の賃金が均等になるまで国内の労働移動が起こることは考えられません。2は、自動車や電機で起こっていることです。いくら国内の最低賃金を規制しても、大連のコールセンターでは年収60万円ぐらいで日本人を雇えます。3は「格差拡大」と騒がれている現象ですが、国際競争への対応としては必然的です。

このグローバルな賃下げ圧力は大きく、今後も長期にわたって続きます。このままでは競争の激しい(生産性の高い)製造業はどんどん海外に移転し、国内には生産性の低いサービス業だけが残ります。海外移転そのものは悪いことではなく、多国籍企業の収益は上がるでしょうが、国内産業との生産性格差が拡大する。つまり日本の「2部門経済」の格差がもっとひどくなり、平均生産性はさらに低下するでしょう。

こうしたデフレ(正確には相対価格の変化)圧力に対応する手段は、基本的には賃下げしかない。労働組合がそれに抵抗すれば、上の1~3の動きが加速するだけです。もう一つは高付加価値の産業に重心を移すことですが、その可能性については私は悲観的です。ITとかバイオなどに雇用吸収力はないし、日本企業の得意分野でもない。

だから要するに、何らかの形で賃金を切り下げるしかない。アメリカが80年代以降やった「サービス経済化」というのも、結局はそういうことでした。ウォルマートの賃金はGMの半分以下で、労組もない。雇用を維持するには、ハイテク産業よりも福祉や医療などの中国と競合しない部門に労働力を移し、賃金を徐々に下げていくしかない。こういう厄介な問題を正面きって議論しないで、場当たり的な雇用規制の強化を続けていると、空洞化が進んで雇用がかえって失われます。

コメント

  1. bobby2009 より:

    >輸出立国モデルが終わったという構造的な問題であり、

    中小下請けを含めて、輸出関連メーカーのほとんどは、輸出製品の主力工場を既にアジア各地へ移転し終わっており、国内に残る生産工場は国内消費が主力であると思われます。

    ゆえに雇用や内需という観点での「輸出立国モデル」は、たしかに終わったと言えるかもしれません。多くの中小下請けメーカーは、今回の大不況が引き金となって、弱体化していた本社側の財務に止めを刺されています。これまで温存していた工場を閉鎖するところが増えるので、特に地方都市での雇用が大幅に減少する可能性があります。

    ところで上記グラフの貿易収支は、輸出入の統計をもとにしているのでしょうか?輸出企業側の視点でみた場合、日本側本社が直接的に得る輸出利益(日本を経由した輸出利益)で儲けるモデルから、海外工場から最終仕向け地へ直接輸出する事で得た輸出収益をライセンス料や特許料などの名目で日本側本社へ「吸い上げる」モデルへ転換されていますので、輸出企業の収益動向を、日本を基点とした貿易収支で追いかけるのは難しいのではないかと考えております。

  2. 池田信夫 より:

    この図は単純な財・サービスの「貿易収支」なので、配当などの「所得収支」は入っていません。それを含めた「経常収支」でみると、まだ黒字ですが、月次では赤字になっているので、これも年度で赤字になるのは遠くないでしょう。ただ輸入も減っているので「縮小均衡」で黒字になるという予測もあります。

    ついでに「要素価格の均等化」について補足しておくと、これは部門ごとの話なので、繊維や日用品のような単純な製品では貿易代替が起こりますが、サービス業などの国内産業ではそう簡単に代替されません。理論的には、国内で労働移動が起こって賃金が均等化しますが、実際には労働移動はそう簡単ではないので、国際競争にさらされる部門と国内部門の生産性格差が生じるわけです。

    もう一つ為替との関係でいえば、中国企業の国際競争力が強まると人民元が強くなり、為替レートで賃金が調整される可能性もあります。これは20年前の日米の関係とよく似ています。アメリカは当初は「貿易摩擦」を政治的に押さえ込もうとしましたが、結果的には経常収支の赤字を資本流入で埋め、多国籍企業と金融セクターがもうけることでバランスしました。それが望ましいシナリオですが、日本は金融が弱いので・・・

  3. hogeihantai より:

    人民元が強くなり、為替レートで賃金が調整というのは人民元が円を含む全てのの通貨に対して強くなるという意味だと思いますが。為替レートによる賃金の調整には日本円の全面安も考えられます。賃金の下方硬直性を考えれば貿易赤字に反応し易い円の独歩安の方が可能性が高いのでは?

    ユーロ地域においては各国の競争力に大きな差があり、スペインのような競争力の弱い国の調整はユーロ安という訳にはいかずスペイン国内の賃金を下げるしか選択肢はないと思います。日本では円建ての賃金を下げるのは困難でしょう?

    輸出立国モデルの終焉ということは国債増発による財政政策が不可能になったということではないでしょうか?経常収支が赤字になれば国内で国債を消化出来なくなる。その時、外国人は日本の国債を買うでしょうか?

  4. bobanderson より:

    質問なのですが、それほど前に輸出立国モデルが大事なのでしょうか。
    円安で恩恵をこうむった大手の輸出型企業に反して、当時、国民への恩恵はあまりなかったのではないでしょうか。

    円高でモノが安く買える今のほうが、よほど良いのではないでしょうか。
    また、輸出するものが機械から文化や芸術、ライフスタイルへと移行することは考えられないでしょうか。

    私にはどうにもこれからの日本がよくなるとしか思えないのです。つまり大企業にも勤めず、ごくごく普通の人。とくに女性などにとってはこれからの方が暮らしやすい気がするのです。

  5. 池田信夫 より:

    誤解のないように付言すると、経常赤字は別に悪いことではないし、特定の二国間で貿易がバランスしている必要もありません。問題は経常赤字ではなく、要素価格の引き下げ圧力がかかることで、これは経常収支とは無関係に続きます。

    なお「中国と香港を合計すれば貿易黒字だ」という噴飯ものの話があるようですが、香港の単位労働コストは先進国並みなので、まったく別の経済圏です。