GM崩壊と日本の新聞業界 - 北村隆司

北村 隆司

少し旧聞に属しますが、日本の友人からニューヨークタイムスの広告収入が激減したと言う資料が送られて来ました。ニューヨークに住みながら地元に関する情報を東京の友人から貰うとは、私の怠慢なのか情報の国際化なのかと、一瞬考えさせられたものです。

アメリカ発のその資料によると、ニューヨークタイムスの本年度第一4半期の連結広告収益は前年度比で28.4%減り、減収幅は益々拡大しているとの事。同紙の期待したインターネット広告収益も6.1%減で一般広告より減少率は低いとは言え、下降傾向には歯止めが掛かっていません。


この記事に添えられた友人のコメントは「ニューヨークタイムスは、今後限りなくローコストで回る事業スキームを組まない限り破滅の道を歩むだろう。米国ではジャーナリストを志す人は、益々ブロガーでスクープを狙い、TWITTER でフォロワーを競う様になるでしょう」と結んでいました。

広告収入の激減は、ニューヨークタイムスに限らず,メデイア業界共通の悩みです。今回の不況が減収の直接原因である事は間違いありませんが、不況から脱出した後、新聞業界が往年の活性を取り戻せる保障はどこにも有りません。

新聞の発行部数が1990年代から減少し始めたのは世界的傾向でした。部数の減少に比べ広告収入の減少が目立たなかったのは、広告単価を値上げして来たからに他ありません。これが忍び寄る危機に対する自覚症状を狂わせた嫌いがあります。

こんな事を考えていた矢先、GMの民事再生法申請が決まりました。今回の「事前調整付き民事再生法申請案」に依れば、米国政府とカナダ政府が70%以上の株を持つ形になります。ジェネラルモータースが、ガバメント・モータースのGMになったと揶揄されるゆえんです。

つい数ヶ月前までは、組合を中心とした民主党支持層には『民事再生法適用』はタブーでした。一方当時の世論は、民間企業の経営の失敗を公金で救済する事には強い拒否反応を示していました。その様な背景を考えると、これほど短期間にGM,クライスラーの巨大再建策を、世論を2分する事無く纏め上げたオバマ大統領の静かな指導力には感心せざるを得ません。

6月1日の産経新聞に、「GM破綻の衝撃 ― おごりの体質を国民は見放した」という記事が出ています。GMの創業から破綻に至る米国自動車産業の栄光と凋落を振り返ったこの記事を読み、日本の新聞業界の現状が重なって見えて来ました。

同紙の記事は、中流層の成長と大量消費時代を迎えた1950年代には、GM,フォード、クライスラーのデトロイト・ビッグスリーが米国シェアの90%を抑えていた事や、当時、国防長官に指名されたウイルソンGM社長は、、議会でGMと国防との利害の衝突の可能性を聞かれ「GMにとってよい事は、国家にとっても良いことだ」と答えたおごり振りを改めて紹介しています。

時代の流れに乗って肥大化した米国の自動車工業は、社会の変遷や消費者の要望に答える努力を怠り、政治力に頼る安易な選択をしました。その結果、「品質改良、技術革新、世相の変遷を軽視する体質」を生み、国民から見放されてしまった訳です。この体質は、戦後の日本の新聞業会と恐ろしいほど共通しています。

1950年代の日本の新聞業界は、朝日、読売、毎日の3大紙に牛耳られ、読者の要望を反映するコラムなどゼロの状態でした。本社や工場の移転先に国有地の払い下げがスムースに行われ、「活字文化を守る為」と称して強大な政治力を駆使し、「再販取引の見直し」を潰し、「通信と報道の融合」を図る試みは検察を使ってでも阻止するなど、デトロイトの手法以上の傲慢さを感じます。

つい最近も、読売の渡辺社主が与謝野大臣を食事に呼び,厚生労働省の分割を指示したところ、与謝野氏はその場で了承したという記事が出ていました。渡辺氏の「おごり」は、さすがのウイルソン社長も墓場の下で脱帽しているに違いありません。

新聞業界の内部の敵が「おごり」にあるとすれば、外部の敵は「味方であるべきネットとの融合」を拒否した事です。2013年には世界の加入者数が82億人に達すると予想されるネットとの融合は新聞が生き残る唯一の道ともいえましょう。不況は一過性ですが、近代化を拒む事は命取りになります。

「新聞の再販制度を維持する事が文字、活字文化を維持する事に繋がる」等と既得権益を守るキャンペーンをするより、イノベーション対策が新聞業界の急務です。 再販制度のない諸外国にも「活字文化」が存在している事実は、この主張が如何に子供じみた発言であるかを物語っています。

自動翻訳の発達が言葉の障害を取り除き、豊かなコンテントを満載した諸外国の新聞が日本人の眼に触れる時代は間もなく到来します。日本車に負けたデトロイトの様に、外国メデイアに日本の新聞が完敗する可能性もゼロとはいえません。

GMの崩壊は、消費者と技術革新を後回しにして、政治に頼るビジネスモデルが最早通じなくなった事を示しています。日本の新聞も、日本人が得意とする競争を通じた「切磋琢磨」「工夫」「イノベーション」を中心にしたビジネスモデルに戻る事が,生き残りの要諦です。

米国民がGMの崩壊を通じて「経営の基本」を学び直したとすれば、日本の新聞の将来を案ずるより、早く崩壊して貰った方が日本の為になるかもしれません。   

ニューヨークにて  北村隆司

コメント

  1. お説拝見させていただきました。
    とても分かりやすい話で仰るとおりだと思います。現在の新聞の購読層が年々上昇しているのも、衰退の一因なのでしょう。そして新聞・週刊誌・マスコミの一方通行の情報提供だけではなく、ネットでの相互方向の情報提供で、いままで見えてこなかった、(または声高に叫んでも日に当たらなかった)情報を提供する側のおごりが見えてきたのかな?と思っております。
    記者クラブなどをつくり、既得権益に縛られているうちに、本当に誰も新聞など読まなくなっているのかもしれませんね。