労働市場の問題を階級対立にするな - 池田信夫

池田 信夫

けさの朝日新聞の「にっぽんの争点」という連載は、雇用問題を取り上げています。「自民党は『行き過ぎた市場原理主義とは決別する』と表明したが、派遣の規制についての言及は、雇用期間が30日以内の派遣規制の原則禁止にとどまる」と自民党の「経済界への配慮」を強調し、それに対して民主党は「家計への支援策とともに、安定した雇用制度を主張する」と書いています。この図式によれば問題は、財界の利潤追求のために労働者を犠牲にしようとする自民党に対して、正義の味方の民主党が労働者を保護している、という階級対立になるわけですが、本当にそうでしょうか。


まず問題なのは、民主党など野党3党の主張するように、日雇い派遣や登録型派遣や製造業への派遣を禁止することが「安定した雇用」を実現するのかということです。こうした雇用形態を禁止すれば、今そういう契約で働いている労働者は確実に職を失います。民主党は派遣を禁止すれば、みんな正社員になるとでも思っているのかもしれないが、そういうことは起こらない。業界の調査によれば、派遣労働者が正社員になる比率は5%です。残りは失業者になるか、アルバイトなどのもっと不安定な雇用形態になるでしょう。

これは朝日新聞のいうような「経済界の利益」の問題ではありません。90年代以降の長期不況の中で、硬直化した日本の労働市場の欠陥を補う形で派遣労働の規制緩和が行なわれ、派遣が雇用の受け皿になってきたのです。派遣労働が不安定だといっても、失業よりはましでしょう。つまり派遣などの多様な雇用形態は失業を減らし、労働者の利益にもなっているのです。彼らの雇用が不安定なのは労働需要が不安定だからであり、その原因は財市場が不安定だからです。現在のような不況で、こうした不安定性を除去することはできない。

問題は、非正社員だけがそういう不安定性を吸収するバッファになり、正社員の過剰雇用が守られていることです。非正社員が労働人口の1/3を超えた根本的な原因は、OECDなども指摘するように、日本では解雇規制が非常に強いため、不況のときには企業が正社員の採用に慎重になることです。つまり規制によって労働市場が硬直化しているため、労働需給の調整が円滑に行なわれないことが、人的資源の配分をゆがめているという労働市場の効率性が問題なのです。

労働市場で超過供給(失業や非正規雇用)が存在するということは、正社員の労働コストが需給の均衡する水準より高いことを示しているので、解決策は基本的にはコストを下げるしかありません。解雇規制を緩和し、年功序列の賃金体系を改めて、生産性に見合った賃金を支払うしくみに変えるしかない。それによって正社員のコストが下がれば、派遣や請負ではなく直接雇用する企業が増えるでしょう。つまり労働市場を規制緩和によって効率的にすることで、企業も労働者も利益を得るのであり、問題はゼロ・サムの利害対立ではありません。それをメディアが「財界vs労組」といった図式にすりかえて政治的な対立をあおることが、問題の解決を困難にしているのです。

私も昔、取材する側にいたので、こういう対立を作り上げる記者の気持ちはわかります。労働市場の効率性などという話は、ある程度の予備知識がないとわからないし、地味です。連載を担当した記者は、おもしろい記事を書くことを求められているので、そういうときは「コンフリクトをつくれ」というのが鉄則です。対立とか闘争というのはスリルがあり、読者の興味をかきたてるから、何もないところにもめごとを作り出すのがジャーナリストの常道です。

そして不幸なことに、こうした階級闘争史観を信じる人は、年配の世代だけでなく、『蟹工船』ブームに見られるように若い世代にも増えています。このようにメディアによって演出された「格差社会」論が、必要以上に情緒的な対立を作り出し、冷静な議論を困難にしています。少なくとも政治家は、こうした図式にまどわされず、労使双方にとって望ましい制度改革を考えてほしいものです。

コメント

  1. 池田信夫 より:

    メディアがすべて朝日新聞のような階級闘争史観をとなえているわけではありません。きょうの日経新聞の社説は、次のようにのべています:

    <問題なのは両党とも、産業構造を変革して雇用を生みだそうという決意が感じられないことである。情報、医療などサービス産業を中心とした成長分野を育てる必要がある。

    雇用契約が柔軟な労働者派遣は成熟産業から成長産業へ労働力を移していく手段のひとつになる。派遣社員など非正規社員と正社員の待遇に格差がありすぎる問題を解決するなら、派遣の禁止でなく、別の手立てを考えるべきだ。>

    http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20090821AS1K2100221082009.html

    しかし「解雇規制の緩和」までは踏み込めず、「別の手立て」という曖昧な表現になっているのが大手メディアの限界ですね。

  2. kazikeo より:

    企業が非正規労働者を選好するのは、正規労働者の解雇規制が厳格だということと並んで、最近、野口悠紀雄さんが強調しているように、社会保険料の雇用主負担を回避するという動機も強く作用していると思います。

    厚生労働省は、本人負担分だけを負担だとして、厚生年金は依然として「有利な」年金制度だといっていますが、池田さんご案内のように、雇用主負担分も賃金コストで,その負担は従業員に(少なくとも部分的には)帰着しているのです。
    --池尾

  3. a_inoue より:

    > 自民党は3年間で100万人に職業訓練を施す。民主党も職業訓練中に月額で最大10万円を支給するという。だが、訓練を終えた人たちが順調に就業できるとは限らない。

     全く日経新聞の指摘のとおりで、旧労働省の実施する職業訓練が再就職に役立ったという話は聞いたことがない。業者に仕事を丸投げして、予算を消費するだけです。
     需要があれば、企業は資質のある労働者を雇って、自前で職業訓練を施すのであり、どんな分野に需要があるかすらわかっていない役所の行う職業訓練など、何の役にも立ちません。

  4. 池田信夫 より:

    池尾さんのおっしゃるように、年金や社会保険などのfringe benefitの問題は大きいと思います。社宅や厚生施設などの現物給付を入れると、実質的な生涯賃金は2倍になるといわれます。しかしこういう問題の改革は、さらに困難です。NTTが企業年金を確定拠出に変えようとしただけで、訴訟を起こされて敗訴しました:

    http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f3c80253d3f77ab78ee5bfd8e0d38c4d

    こういうコストを、労働需要の低下という形で労働者も負担しているのだということに、厚労省や民主党が気づくのはいつのことでしょうか。「アゴラ」は民主党のみなさんに読まれているようなので、問題の所在だけでも書いておきます。

  5. hogeihantai より:

    日本の雇用形態は、会社は誰のものかという基本的問題に行き着くのではないか。日本では、会社は株主、社員、社会のものだと言われる。ステイクホルダーの中で一番力をもつのは、三つの中のいずれでもなく経営陣である。オーナー社長であれば別だが、元平社員の社長が社員の利益を守るのは人情として当たり前のことかもしれない。

    過保護の正社員の権利をグローバルスタンダードまでに正常化するためには株主の権利を強化すべきだ。経営陣の既得権を守る為に行われる株の持ち合いは厳しく法的に制限すべきだ。持ち合いでなくとも、銀行に会社の大株主になってもらうことは、不利な条件で融資を受ける等、会社に対する背任に繋がりかねない。

    株主の利益がもっと重視されれば、不況時、首切りの対象になるのは、非正規社員でなく、高コストの正規社員となる。米国ではこの不況で航空会社の賃金は2-3割カットされている。ロサンゼルス空港の駐車場の一角は現在、多数のモービルホームやトレーラーハウスが設置され、約100人のパイロット、整備士、乗務員が住んでいる。空港周辺のホテルの料金を負担できないからだ。自宅から運転手付きの車で送迎を受ける日本のパイロットの賃金の一部は税金で賄われている。誰もがおかしいと思うはずだ。

  6. cosay より:

    製造の「現場」的感覚としては、池田さんが問題とされている「非正規雇用」の問題は「終わった」感があります。

    現在、各地の工場では中国人をはじめとする外国人の研修生が派遣・請負に代わって続々と入ってきています。

    製造業は世間のうるさい「非正規」を素通りして「研修生」へとシフトしています。

    時々問題にされるように、「研修生」には年金や社会保険どころか最低賃金すら守られていません。

    こういう人たちが入ってくることは企業の競争力維持には役立つでしょうが、若者の失業状態を固定する原因になると考えます。

    はっきりいって「非正規」は古いのです。

  7. マリンゾウ より:

    現在の法規制から考えると改めるべきは「派遣法規制」ではなく、正社員の「労働法制」だと思います。「労働者の不利益変更」に配慮すると、年功序列を是正するのに何年も移行期間が必要になるようです。
    生活水準を調整することまで含めてはやく取り掛かるべきだなあと思っています。

  8. pitanpitan1 より:

    今日、自民党から「労働組合が日本の侵略する日」というパンフレットが来たんですけど、「労組にベッタリの民主党が政権を取ったら、企業がギリギリの手段として取る人員削減もできなくなる可能性がある」みたいな内容でした。パンフレットのタイトルがちょっとどぎつい気がしますけど、結構まともな内容なんじゃないでしょうか。

    自民党の公式サイトにもそのPDFファイルがあります。

    【知ってビックリ民主党】労働組合が日本の侵略する日
    http://www.jimin.jp/sen_syu45/seisaku/pdf/pamphlet_jittai.pdf

  9. 池田信夫 より:

    これはおもしろい。雇用問題は大いに論争してほしいところですが、このパンフレットは肝腎の派遣規制などについては触れてませんね。野党党首としての麻生氏には期待できるので、ぶれてもいいから、大いに「財界寄り」の保守主義で闘ってほしいものです。

  10. genjituhakibisiinnda より:

    古い記事ですけど 意見を言わせてください

    池田さんの仰りたい事は良く分かりますし、それこそ私みたいな極一般人でも、雇用を守る為には賃金の引き下げも止むを得ない と言うか、ワーク・シェアリング的な考えで行くしか我国の雇用は守れない!と私は10年以上も前から思っていました(90年代後半の金融不安時代にリストラが増えた時)

    しかし正社員を始めとした、現当事者達は、やはり賃金を下げられるのは耐えられない、長期ローンを始めとした生活設計の見直しが出来ない!と言って、「そんな賃金引下げは応じられない!」と必死に訴えるのです

    会社が潰れたら元も子も無いのです で、雇用も賃金も守れ!と 会社に訴えても、この厳しいグロバール経済の中で企業も必死です

    だから最後は労働者も会社も、そして政治家も「景気回復を!」と、全ての問題を解決する為に訴えるんです

    もういい加減に何かを犠牲にしないと前に進めないと言う事に気付け!

    結局 みんな怖いんです まぁ~政治家の立場は100歩譲って分かりますけど、メディアも評論家も厳しい事を国民に向かって言えますかね?

    「今後の若者を始めとした雇用問題を放って置くと、我国の将来はもっと厳しい事になり、国が滅びる事になるんだ!」と、そして「今 正社員として雇用されている皆さんが、生活スタイルや長期の生活設計が厳しい中で変わろうとも、それは今後の若者を筆頭とした雇用体型の変化の中で仕方が無いことなんだ!」と メディアを筆頭として、評論家のどれだけの方がそこまで言えるんでしょうかね?

    結局 我国の国民は、ライフスタイルの変更を今後余儀なくされて、そして人口、環境問題と相まって、価値観や生活設計を変えていく事を国民に訴えて行かないと結局何も出来ないんでしょうね