民主党の掲げたマニフェストの中でも、高速道路の無料化ぐらい評判の悪い政策はないでしょう。この政策を支持する専門家は、ほとんどいません。世界的には、環境保護やピークロード(混雑緩和)の観点から受益者負担を求める方向で、この政策はそれに逆行するものです。せっかく民営化された道路公団をふたたび国営化するのは、郵政国営化と同じくナンセンスというしかない。
さらに根本的な問題は、自家用車という非効率かつ社会的費用の大きい輸送手段に依存している状況を、さらに悪化させることです。自動車は大気汚染、騒音、交通事故、道路建設費用など多くのコストをもたらしており、宇沢弘文氏の1970年代の計算では1台あたりの社会的費用は1200万円と推定されていました。今は交通事故も大気汚染も改善しましたが、同様の方法で計算すると数百万円と推定されます。この社会的費用を内部化するには、1台あたり数十万円の課税は必要でしょう。
特に重要なのは、環境問題です。民主党のCO2を現状から30%以上削減するという政策を実現するには、新車の90%、既存の車の40%をハイブリッド車にしなければならない、と前政権は推定していますが、これは不可能です。それより簡単なのは、自家用車を減らすことです。普通の家庭で車を使うのは、家族旅行や買い物などが主で、なければ困るものではない。レンタカーやタクシーで十分です。自家用車を保有して維持するコストに比べれば、必要なときだけ借りるほうが安い。
排出権取引のような統制経済よりも環境税のようなピグー型システムのほうが望ましく、それも限界削減コストの低い消費者に高く課税することが効率的です。この観点からも、無駄が多く必需品でもない自家用車に課税して台数を減らすことが望ましい。暫定税率を廃止するのではなく、環境税に変えるべきです。こうして課税した財源は、レンタカー、タクシー、オートバイ、自転車などへのバウチャーに使えばよい。
しかしこれは、ただでさえ輸出の減少で大きな打撃を受けている自動車産業にとってはとんでもない話だから、政治的には非常に困難です。自家用車の削減というタブーに踏み込めるかどうかが、鳩山政権の環境政策の「本気度」をみる試金石でしょう。
コメント
政権交代前には、単なるリップサービスだと思われていた「環境問題」ですが、国際公約にしてしまったことで、鳩山政権の命取りになりそうな感じです。
「環境税」(事実上の炭素税)を鳩山政権は環境対策支出に充てると言っていますが、「こども手当て」の財源にした方が、政治的抵抗は少ないと思います。
30%削減という極めて困難な目標達成のためには、利用率が低いのに、製造するだけでも大量のCO2を発生させる自家用車の生産を無くすべきだという意見には同意です。
業務用の自動車や、地方などで必需品と化している自動車の製造まで止める必要はないと思いますが、そちらは100%ハイブリッド化(もしくは電気自動車)を目指すべきでしょう。
もっとも、経済を崩壊させてまで環境を優先するのは馬鹿げているから、30%削減が無理だということを早く認めるべきなんて言うのは、野暮なことかもしれませんが、
EUの排出権市場で、日本の排出権大量購入が織り込まれてしまう前に、30%削減は無理だと認めるべきではないでしょうか。
まあ、実際に経済が崩壊してしまったら、30%削減なんて余裕で達成できそうですけどね。
確かに東京に住んでいれば、自家用車がなくても困りませんが、田舎なら状況がだいぶ違うと思います。
コストと効用を考えれば環境税を課税してもよいですが、都市部と田舎では社会に対する負担と利用者が得られるメリットが全然違うので、同じ税率だと公平ではないと思います。利用場所によって違う税率を定めれればよいですが、現実的な徴税手段はあるのかな。。。
大都市ではシンガポール並みに自家用車には大幅課税増で渋滞をなくせる。田舎は交通を含めたエネルギー効率が非常に低い。教育、福祉の費用対効果も都会に比べ非常に悪い。
田舎の自家用車も所有コストを増やすことにより、公共交通機関の発達した中核都市に田舎から移住が増えれば、自治体の財政負担も小さくなる。
新幹線は現在、騒音防止のため深夜、早朝の運転が行われていない、2-3割、速度を落とせば騒音は許容限度に下がるはずだ、夜間は貨物専用車両を運行すべきだと思う。住宅密集地帯は防音カバーで線路を覆う等の投資をしても充分ペイするはずだ。
環境税というか、目的を考えれば、生産台数そのものを制限してしまうのが良いと思います。
生産枠の購入はオークション制にして、その代金が環境税ということになるかもしれませんが。
生産台数が限られれば、都市部などで特に必要が無いのに自動車を購入する人は激減すると思います。
公平性を考えれば、その代金を、過疎地の住民の移住補助金(行き先はコンパクトシティーでも東京でも構わない)にまわすべきだと思います。
こんなこと書くと、自動車産業は潰れるし、地方の過疎化は促進するし、とんでもない政策だと思う人が増えそうですが。
>自家用車を保有して維持するコストに比べれば、必要なときだけ借りるほうが安い。
確かに都心でクルマを所有するのは、道楽かステータスシンボルみたいなものですが、田舎は勿論、都市郊外でもクルマはほぼ毎日使う必需品ですよ。市町村の統廃合は避けられませんが、日本人の殆どをクルマの不要な鉄道沿線に住まわせると言うのはちょっと無理でしょう。
池田さんがCO2悪玉論者に転向されたとは聞いていませんが、もし石油を節約したければ(前から申し上げているように)燃料そのものに課税するのが一番簡単で効果的です。幾ら燃費の悪い車を保有していても、走らなければCO2は出さないし、燃料も食いませんから。
あまりに都市生活者視点に偏ったご意見で、残念です。
過疎地では、数十年前に赤字ローカル線が廃止され、代替の交通機関としてのバスも赤字経営で本数は一日数本、自家用車がないと何の移動手段もない地域があります。
市町村合併で、公共施設も統合され、徒歩圏にはなく、国立病院の廃止などで、医療機関も近隣にない。日常生活は、自家用車なしには成立しません。
雇用情勢は厳しく、ハローワークでは月給15万未満の短期雇用しかない。
そんな中で生きるための手段である自家用車は、都市生活のそれとはまったく異なる意味を持ちます。
レンタカーの営業所もなければ、カーシェア事業を行えるだけの採算性はありません。
厳しい生活の中で最低限の生活維持に自家用車を保有しています。
増税される場合、所得の中の占有率は年収200万も行かない世帯の多い地域ではまるで意味が変わります。
環境を破壊し、大量のCO2を排出しているのは都市生活であるにも拘らず、自然とともに暮らす過疎地の人間が大きな負担を強いられるのはなんとも理不尽な話です。
>7. hidekimaさん
http://www.mlit.go.jp/common/000046606.pdf
ここのリンク先のデータにもありますけど、
鉄道やバスは、動かすのに大量のエネルギーを消費しますが、それ以上に多くの人を運べます。
また、密度が高い都市部では、平均移動距離も短くなります。
どこへ行くのにも効率の悪い自家用車が必要で、移動距離の長い過疎地と比べれば、都市のCO2排出量は(絶対的な量はともかくとして)一人当たりで見れば少なくなります。
突き詰めれば、効率の悪い生活をすることそのものが、環境破壊に繋がっているのではないかと思います。
>民主党のCO2を現状から30%以上削減するという政策を実現するには、新車の90%、既存の車の40%をハイブリッド車にしなければならない、と前政権は推定していますが、これは不可能です。
>自家用車の削減というタブーに踏み込めるか
前者以上に後者が困難であると考えるのが一般市民の感覚だと思います。
前者が不可能で、後者は「本気度」次第⇒可能 とする理論が存在するのでしょうか?
ご教授願えたら幸いです。
disequilibrium様
リンクのご紹介ありがとうございました。
コンパクトシティについてはこちらのブログをご参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20080227/1204121970
地方では、過疎地から地方都市への人口移動はすでに終わっていると思います。
雇用や教育の問題で若年層は地方都市に移ります。
残されているのは、農業で生計を立ててきた高齢者層がほとんど。
これらの人たちが資産を処分しようにも買い手はありませんし、都市に移動したとして、生計を立てることは実質不可能。死ねと言うような話ですね。
なお、移動の問題だけで、環境負荷を図ることも違和感を覚えます。
都市生活で、CO2を排出するのは、移動だけではありません。都市部の電気使用量、都市生活を維持する所得を得るための産業の中で排出されるもの、一方、過疎地の自然が維持されることで、植物に吸収されるCO2の量など、考慮すべき要素は多岐にわたるのではないですか?
そもそも過疎化は、都市化のトレンドが産んだものですね
では、過疎地が都市化すれば、CO2の排出量が減少するなんてことはありえませんよ。
環境面での効率を語るなら、もっと様々な面から検証する必要があるのではないでしょうか?
高速道路を無料化するなら、都心の交通を有料化するのも一案です。交通政策の問題は都心と田舎を区別して考えることが肝要です。