鹿児島県阿久根市の竹原信一市長がブログで語ったことが問題になっています。引用され、障害者への差別だと指摘されている部分は以下のところです。
「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」「結果、養護施設に行く子供が増えてしまった」
ここだけ読むとたしかに社会ダーウィニズムを思わせる、穏当とは言えない表現です。朝日、読売などが差別だとして批判的に取り上げ、TBSの朝ズバは手厳しく批判していたそうです。問題の09年11月8日のブログは修正中とされ、元の文は読めませんが、転載されたものなどを読むと、マスコミの批判は真意を理解しない、一面的なものと思われます。次のような市長の発言があります。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事、というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない」
「社会的な救済を受けられない人が数多く存在するという世の中の矛盾について、議論を喚起する必要がある」
高度医療などに多額の費用が使われる一方、必要なのに救済がうけられない人がいることを市長は指摘したかったのでしょう。「命はなによりも尊い」として、例えば植物人間となった患者の延命に多くの費用(社会的資源)をつぎ込みながら、その一方で生活にもこと欠く人たちがいるという矛盾です。
このような問題をヒューマニズムの観点から批判するのは簡単です。しかも多くの賛同が得られ、批判者はヒューマニズムあふれる善人との評価が得られます。しかしことはそれほど簡単ではありません。社会的資源の配分の問題に突き当たるからです。
合計特殊出生率が変わらなければ2055年には生産年齢人口1.2人が1人を支えることになると試算されています。現在は3人が1人を支えていますから、この試算どおりにならなくても負担の増加は間違いないでしょう。
07年度の社会保証給付は91兆円とGDPの約4分の1を占め、年々拡大している現状があります。10年度の一般会計予算案では、社会保障関係費は国債費と地方交付税を除いた一般歳出の5割強を占める最大の支出項目となっています。
現在、予算の半分以上を借金に頼っており、これは将来の生産年齢層の大きい負担になります。もし人口が試算どおりで、社会保障の水準を現在と同じとするなら2055年には、社会保証給付はGDPの半分近くを占めることになり、生産年齢層は極めて大きい負担を強いられることになります。将来の生産年齢層はこの重い負担の上にさらに前世代のツケまで払うことになりかねません。
少し話がそれましたが、「命はなによりも尊い」式の方法は資源配分の問題によっていずれ制約を受けざるを得ないことになると思われます。きれい事ではない、現実的な解決が必要となるでしょう。「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事というのは間違いだ」という発言はきれい事で済ませる形式的な考えに対する批判と受けとることができます。
市長の発言に対する反応は批判的なものが大部分だそうですが、これはマスコミ報道の当然の反映だと思われます。単なる鏡像のようなものだと言ってよいでしょう。恐ろしいのはこのようにして、一見自発的と見える世論が形成されることです。
障害者を例にとるなど、市長の表現に問題なしとは言えませんが、市長という立場にありながら非難を覚悟の、勇気ある発言は評価できるものです。誰かが言わなければならない問題です。批判を覚悟の、現実的な発言がこれに続くことを期待したいものです。
ヒューマニズムを掲げてきれい事を言うのは簡単です。そういう人は掃いて捨てるほどいるのですが、そこには国民負担の増加が伴うことを意識する人はどれだけいるでしょうか。聞こえのよいマスコミ報道が分不相応な出費を促し、巨額の政府債務を作り上げた一因になったと言えるでしょう。
コメント
資源配分の最適化ですか。
それを自然界では、弱肉強食というのです。
そもそも、それをいいだしたら、国民皆保険も年金も全部民営化して、全て自己責任でやれ、ということになります。
少なくとも、日本では絶対多数派意見とはならないでしょうね。
情緒的な報道にはいつも眉唾ものと思って眺めているので、やはりそんなことかと腑に落ちました。目の前の正義にばかり気を取られていると、見えていない部分に落とし穴があることを忘れてしまう。政治家に限らずリーダーたるものは見えない部分に配慮することが求められるのですが、もっともその資格に欠けているのがテレビの著名アナウンサーのようです。
haruka2009さん
私は弱肉強食を肯定しているわけではありません。物事の半面しか見ない無責任な議論を批判しているだけです。いずれ、ない袖は振れぬという現実に直面することになるでしょう。
意見を極端なものと看做し、両極端の議論にもっていくことは建設的なことにはならないと思いますよ。
物事には二面性(複数面?)があるのですが、マスコミも含めて批評する人が、一方の視点のみで評価しがちです。
奇妙な話でも、どちらも真実あることがあります。事実を見つめ、妥当性を考える姿勢は大切だと、私も思います。
こうなった原因の1つは、ひと昔前に、マスコミがはやらせた「経済大国」という言葉でしょう。そして金を出さずに給付ばかり求める国民ができてしまった。でも、いくら経済大国でもモノには限度というものがある。それが分からない子供じみた人が多い。そのあげくに破産しそうですよ。
竹原市長のブログの内容を全文読んでいないので書いている内容が、正しいかどうか?のコメントは避けますが、言わんとすることは、分からなくも無いのですが公人としての発言としては、とても容認できるものではないでしょう。またこの発言以前にも、市の職員を張り紙を外したと言うだけで、懲戒免職にして、それを撤回せよとの裁判所の勧告も事実上無視しています。
そういう意味で、発言の趣旨がどうこうだけでなく、市長としての資質に問題ありと非難されてしかるべき気もします。
>> courante1様
無い袖は振れぬ、というのはわかりますし、もうすでにそうなっていると思います。だからといって、それを全て社会的弱者に全て押しつけてよいものでしょうか。
そもそも、国が果たすべき唯一にして最大の責務は、国民の生命と財産を守ることです。障害者は死ね、貧乏人は切り捨てろ、こんな国、存在に値しませんよ。
そして、先の総選挙で日本国民は小さな政府にNOを突き付け、社会福祉に重点を置いた大きな政府を選択しました。
今後は自民党といえども、小さな政府を目指すなどとは言えないでしょうし、言ったら政権奪還はできないでしょう。
あなたのいうことは例え自然界の真理であるとしても、日本国が財政崩壊して破綻するとしても、あなたの説は最後まで支持されないとおもいます。それが民主主義です。
>haruka2009氏
では、お金もなくなっていくなかで、国はどうやって全ての人を助けるつもりですか?
小さな政府にNOをつけたとも言えないですし、社会福祉に重点を置いた政府を選択したわけでもないと思いますが?
子ども手当への賛成の割合も、非常に高いというより、賛成・反対が拮抗しているようです。今回の選挙は「今の自民党は嫌だ」ということで、他にないから民主党を選んだ、というのが大方の見方でしょう。
もちろん、弱者を切り捨てろとは言いませんが、今後急速に増えていくと思われる社会保障関係費を減らす方法は必要だと思います。
尊厳死を認めて医療費を削減するなども考えられると思います。
市長の発言の内容は批判される物言いでしたが、「資源の配分」という問題は、夢や理想だけのヒューマニズムでは解決できない重要な問題と多くの人が認識するべきです。
>>、「資源の配分」という問題は、夢や理想だけのヒューマニズムでは解決できない重要な問題と多くの人が認識するべきです。
それはエゴです。強者の論理ですよ。
あなたが何者でどのような人かは知りませんが、五体満足で生活に何の不安がない人が言っても、説得力ないですよ。
切り捨てられる人の絶望や反発がどれほどのものか、事業仕訳をみてもわからないのですか、あなたは。
政治にも経済にも夢や理想は必要ですし、民主主義である以上、ヒューマニズム無視の政治なんてありえませんよ。
北朝鮮あたりなら、喜んであなたの政策を採用するかもしれませんけどね。
制約の厳しい現場が予想されるのなら、トリアージの概念を応用できそうです。 そこの判定基準の第一は、QOLを見つめた本人の希望です。子供は難しいですかね?
どんな状態でどのように生活したいかの本人希望 と 対応可能な医療内容が、よく一致した人から介護や治療を受けていただく。 より多くの人に、納得した生活が提供できると考えます。
何か勘違いをされているのか話がかみ合わないのですが、
私は弱者を切り捨てろとは言ってはいないですし、市長のそのように読み取れる部分を肯定もしていないのですが。
「資源の配分」というのは現実的に考えるべきですと言っているだけです。
そして、現実的に考えるのには、「夢や理想だけのヒューマニズム」という極論だけでは解決できないと思います。
所得分配を平等にすれば誰も働かないし、分配しなければ格差は非常に大きくなります。しかし、誰にとっても嬉しい解はありません。だからといって決めないわけにはいかない。なので、理想や夢ばかりの極論をせずに、実現が可能な解を考える必要があるのではないのでしょうか?
3人が1人を支えている状態で政府債務は増え、今後は1.2人で1人を支えていかなければなりません。未来は、若者一人あたりの実質賃金が今の3倍にでもなればいいのですが、そんなバラ色の未来だけ見て制度設計を行っても意味がありません。
北朝鮮は私の意見は採用しないでしょう。分配論ではなくどのように搾取すべきかですから。
>切り捨てられる人の絶望や反発がどれほどのものか、事業仕訳をみてもわからないのですか、あなたは。
『切り捨てられる人の絶望や反発』を社会福祉に重点を置いた大きな政府のやり方で救うことが出来るか否かで見解が分かれているのでは?むしろ『小さな政府』のやり方のほうが結果的に『切り捨てられる人の絶望や反発』に応えられるとする立場もある、という事だと形式的には思います。主観を超えてこの地点からさてどうするかでしょう。
>事業仕訳をみてもわからないのですか
事業仕訳は、今回は一部が公開議論されて、よく見えたのです。以前は、ほとんど役所や料亭で行われていました。
本人が理不尽に感じるのですから、福祉や医療の現場には、本人の希望を考慮した議論の場が不足しているはずです。
>>何か勘違いをされているのか話がかみ合わないのですが、
私は弱者を切り捨てろとは言ってはいないですし、市長のそのように読み取れる部分を肯定もしていないのですが。
「資源の配分」というのは現実的に考えるべきですと言っているだけです。
そして、現実的に考えるのには、「夢や理想だけのヒューマニズム」という極論だけでは解決できないと思います。
あなたが何を勘違いしているのか知りませんが、資源配分の最適化というのは、つまるところ、生産性・成長性の高い所に資源を集中させより効率的な発展をうながそうという政策です。
それを具体的に政策に移すとすると、大企業を優遇し、中小企業には死刑宣告を下すことにもつながりかねません。
富める者をさらに富ませ、貧しいものをさらに貧しくする。
資源の最適化とは、格差をさらに拡大し、しかもそうした階層を固定化するものです。
大企業に入れば一生安泰で、政府の手厚い支援を受けれて仮に破たんしても政府が優しく救済してくれるが、中小企業で働く人々は真面目に汗水たらして働いてもいっこうに光がみえてこない、そんな国にあなたはしたいのですか。
極端な意見しかないですね。
資源の配分を考えることと「最適化する」こととは全く別の話。
弱者を切り捨てるか否か、も論点のすり替えでしょう。
今後確実に目の前に迫りくるであろう困難に目をそらすのではなく、どう対応すべきなのか?ということを考えなければいけない。
起こってから考えたのでは遅い、ということではないでしょうか。
皆が満足する解がありえないからこそ、誰かが聞きたくない現実をいわなければならないし、それが政府なりマスコミなりだったりすると思うのですが。
>生産性・成長性の高い所に資源を集中させより効率的な発展をうながそうという政策です。
そのような面もあるでしょう。それだけではないですが。
また、生産性・成長性がない企業がつぶれるのは当然です。そこに大企業も中小企業も関係ありません。そんなものを税金で生き残らせるぐらいなら潰して、別の産業への転職を促すべきだと思います。
>富める者をさらに富ませ、貧しいものをさらに貧しくする。
資源配分の話からなぜそこに?
必要なのに救済がうけられない人がいるのだから、どう配分すべきか?という話です。なので、「尊厳死」等はどうなのか、という話をしたのです。
>大企業に入れば一生安泰で、政府の手厚い支援を受けれて仮に破たんしても政府が優しく救済してくれるが、中小企業で働く人々は真面目に汗水たらして働いてもいっこうに光がみえてこない、そんな国にあなたはしたいのですか。
JALですね。私はJALは援助せずつぶすべきだと思っていますので。
また、汗水たらして働いても需要が無ければ光はありません。そんな中学で習う「需要と供給」も考えずに働いている人までも「弱者」と定義するなら、手を掛けることすらできない障害者等、本当の弱者の方々に対して失礼です。
>>生産性・成長性がない企業がつぶれるのは当然です。そこに大企業も中小企業も関係ありません。そんなものを税金で生き残らせるぐらいなら潰して、別の産業への転職を促すべきだと思います。
死ぬべき企業を潰すのは全体の健全化のためにもむしろ必要なことです。しかし、取引先や下請け先などが潰れてしまえば、優良企業といえどもただではすみません。とばっちりをうけて経営基盤そのものが大きく揺らぐことになるでしょう。
そもそも、日本経済の大部分を占めているのは中小企業です。彼ら抜きでの景気対策・経済政策などありえませんし、意味がありません。
それに、このご時世で転職がそう簡単にうまくいくとでも思っているのですか、あなたは。
そうなるまでに、経済が、国家財政がどれほど悪化することか。
机上の論理と現実は違います。
世の中そう単純でもありませんし、そう簡単にはいきませんよ。
>>必要なのに救済がうけられない人がいるのだから、どう配分すべきか?という話です。なので、「尊厳死」等はどうなのか、という話をしたのです。
尊厳死については私も賛成です。
ただしそれは、「救済の配分」という観点ではなく、死が確定しているのに苦しみながら生き続けるよりも、むしろ穏やかに「死ぬ権利」を認めてもいいんじゃないか、ということです。
>>「需要と供給」も考えずに働いている人までも「弱者」と定義するなら、手を掛けることすらできない障害者等、本当の弱者の方々に対して失礼です。
何か勘違いされているようですが、私は真面目に汗水たらして働いている方々でさえも、弱者になりうるし、弱者として切り捨てられてしまう危険がある、といっているのです。
勝手な定義づけはしないでください。
下請けが潰れて困るなどは市場で決着がつけば良い話です。
転職も、「別の産業への転職を促すべき」と言っています。そういう点で、日本はもっと転職しやすく、企業しやすい環境に向けて規制を緩和すべきだと思っています。
汗水も同じです。結果は市場が決めます。汗水だけ流せば誰でも成功なんてものはただの綺麗事です。
先にも出ていますが、今後「資源を配分する先」は増えます。しかもそれに対して「資源を供給する側」は減ります。これが現実です。
本年度の予算を見ても、支出95兆円・収入40兆円・借金55兆円と、すでに供給より配分の方が多い。更に借金は500兆を超えています。
だから、岡田氏は綺麗事を言うマスコミを批判されていて、私は多くの人が現実に向き合って「資源の配分」はどうあるのが最適なのかを考える必要があると言ったのです。
現実を見て解を考えましょうというのがエゴであれば、現実を見ないで解を出す方法を教えていただきたいものです。
>死が確定しているのに苦しみながら生き続けるよりも、むしろ穏やかに「死ぬ権利」を認めてもいい
入り口の問題として、「すべての人の死は確定している」事を意識して議論してないところだと考えます。 自分だけは苦しまないだろう、とか、先の話とか、気休めですまそうとしている。
先にもコメントしましたが トリアージ は非常に有効な方法だと思っています。
>>「私は真面目に汗水たらして働いている方々でさえも、弱者になりうるし、弱者として切り捨てられてしまう危険がある」
それはまさにbakabakaweb氏が書いておられる「汗水たらして働いても需要が無ければ光はありません。そんな中学で習う「需要と供給」も考えずに働いている人」たちではないですか?真面目に働いているかどうかは重要ではありません。必要とされている仕事をしているかどうかが重要なのです。頭を使って「今、何が社会に必要とされているか?」を考えずに需要のない仕事をしている人たちは、社会的には遊んでいるのと大差ありません。それは「弱者」ではなく、頭を使っていない「怠け者」です。
bakabakaweb 様
下請けなんて、どんどん潰れてしまえばいい、転職なんてそんなの市場に任せてどうなろうがしったことじゃない、とそういうことですか、凄いですね。是非、政治家に言わせてみてください。日本経済を潰したいのですか、あなたは。
bobbob1978
全ての人が希望した会社に入れて、全ての人が望み通りの仕事をしているわけではありません。そして、全ての人がいつでも望み通りの転職ができるわけでもありません。
>>真面目に働いているかどうかは重要ではありません。
こんなこと平然と言える人を初めて見ました。正直あなたはまず、外で真面目に働くか、人と面と向かって話すことから始めたほうがいいと思いますよ。さすがにこれは品性に疑問を感じざるを得ません。
おそらくあなたは、やっきになってコメントつけてくると思われますが、あなたへのコメントは以後致しません。関わりたくないので。
失礼します。
思うに、haruka2009氏は労働価値説の立場なのでしょう。それに対し、私やbakabakaweb氏は効用価値説の立場です。この溝は埋まらないでしょうが、近代経済学は効用価値説を採用していることを理解していないと不満が溜まるばかりだと思いますよ。
>haruka2009氏
何度も言っていますが、潰れるかどうかは市場が決めます。潰れてしまえばいいとは言っていません。
真面目に働くかはまったく関係ないのです。需要がなければ切り捨てられます。問題は切り捨てられた人を、どうやって別の産業へ、需要がある産業へと移行させるかだと思います。その為に、規制緩和して流動的になるように国が力を入れる(分配する)べきだと意見を言いました。もちろん他の方法もあるでしょう。ナンセンスなのは、需要がないところへ補助金を出すことです。
私は、以前より「尊厳死はどうだろう? 転職しやすいように規制緩和したらどうだろう?」と、資源の分配として収入と支出の意見を言いました。shlife氏は「トリアージ」という方法論をおっしゃいました。これはあくまで分配の方法論です。
しかし、現実的に資源分配を考えることを否定しているようです。
もしそうであれば、支出95兆円・収入40兆円・借金500兆以上(10年度は55兆円)という現実に対して、現実的に資源分配を考える必要がない根拠を教えていただきたいです。
机上の論理と現実は違いますが、「真面目に頑張れば」という精神論では議論にもなりませんので。
笑顔で働いているのなら、どのような価値と解釈されても、本人にとっては関係ないです。
それより、人生が不健康に傾いた時、どのうに過ごすかが大切な事なんじゃないでしょうか。
皆さんは、何年も寝たきりの末に、最後は、栄養点滴と苦痛の中で、さらに運が悪ければ人工呼吸器つけて人生を終わりたいですか? 現在の医療システムで、ご自身やご家族は満足できますか?
話がかみあいませんね。
よく見る光景です。
「資源の最適配分」と言う言葉から、反射的に弱肉強食・大企業優先というワードにつながる。
議論してお互いを深め合うつもりが無いのなら書き込みをしなければよいのにと思います。
大企業でも悪いところはたくさんある、中小企業でも良いところはたくさんある。
要は、ニーズに対して応えられているかどうかだと思います。
haruka2009さんは、小倉秀夫さんなみの論理構成に感じます。
bobbob1978さんの、労働価値説か効用価値説かは鋭い見方であると思います。
労働価値説をいまだに信じている人は、一種のイデオロギーなので論理では納得してくれないことが多いと感じています。
イデオロギーに縛られている人は、不勉強であり努力不足です。
haruka2009様
>是非、政治家に言わせてみてください。日本経済を潰したいのですか、あなたは。
政治家では明言はないですが、小泉・竹中改革で経済界も学者もそう発言していますよ。 そのお陰で「日本経済」は潰れていませんw。リーマンショックは、「サブプライム」(貧民担保)の崩壊ですよ。自発的階級闘争です(神の手)。
>>>真面目に働いているかどうかは重要ではありません。
こんなこと平然と言える人を初めて見ました。正直あなたはまず、外で真面目に働くか、人と・・・云々
真面目に働いていればというのは関係ありませんよ
経験上、私、は「軽度の知的障害の方」の失敗の引責で失業したことあります。w 私も、その馬鹿も真面目に働いていましたよ。
「真面目」「一生懸命」に、ご褒美が必ず貰えるというのは、
ありません。しかし、 また、「怠け者」でも有りません。
日本語の感謝は、「有難い」と言います。
>そもそも、日本経済の大部分を占めているのは中小企業です。彼ら抜きでの景気対策・経済政策などありえませんし、意味がありません。
それに、このご時世で転職がそう簡単にうまくいくとでも思っているのですか、あなたは。
そうなるまでに、経済が、国家財政がどれほど悪化することか。
机上の論理と現実は違います。
「机上の空論」で言わせてもらえば、「派遣村」住民を徴兵して、農業と新規産業(笑止)に就かせれば良い。
もともと、製造業で一時的に吸収した「余剰労働者」であり、
「質」・「量」とも、中小企業では賄いきれない。
放置しておけば、都市部でスラム・ニート化すると、
ただでさえ、「高度成長期の上京組の老齢化および、子弟のニート化」により、都市財政が悪化し、それこそ、「健常者」の生活保障で手一杯になる。