主催者池田先生から
アゴラは本来論争の場としてつくったのですが、どうも一方の意見ばかり出てくる
と論争が少ないとのご指摘がありましたので、いくつかのエントリーに反論したいと思う。
まず主催者池田先生のエントリー企業が日本から逃げてゆくで
先日、シンガポールに住んでいるファンド経営者の友人と話した。彼はライブドアや村上ファンドの事件のあと、日本ではファンド事業はできないと考えて家族ともども移住したのだが、このごろシンガポールに移住したいという問い合わせが増えているという。「ライブドア事件の影響は実に大きかった。あれから日本で起業しようという人々が激減した」と彼は嘆いていた。
とある。次に山口さんのエントリーホリエモン、国税の強制執行に思うで
こう考へて来るとホリエモンの復活こそが日本再生の始まりでは!
と結論している。またICPF・新たな時代のメデイア・コンテンツ政策で
アメリカは無条件では無いにしてもGoogleを許容する社会土壌があるのは確か。一方、翻って日本は?「ホリエモン」事件が全てを物語っているのでは?
と投げかけている。ほんとうにそうなのか?という疑問がこのエントリーである。
ペッカ・ヒネマンのリナックスの革命―ハッカー倫理とネット社会の精神―で著者は、ハッカーについてジャーゴン・ファイルを引用してこう書いている。
ハッカーとはプログラム書きに情熱を燃やす人々で、情報の共有は絶対善であり、自分の知識を広く公開するのはハッカーの倫理的義務だから、自作のソフトウエアをフリーで提供したり、可能な場合は情報やコンピュータ資源に誰でも簡単にアクセスできるようにすべきだと信じている人々だとしている。
またリーナス・トーヴァルズ氏が自身のリーナスの法則について
僕たちの動機はすべて三つのカテゴリーに分類できると主張する。(中略)そのカテゴリーは生き残り、社会生活、娯楽だ。
とある。ハッカーの情報の共有と生き残りというキーワードは彼等を理解する上で非常に重要だと思う。
次にハッカーの起した労働意識の革命を著者はプロテスタント的労働倫理との対立で著している。工業化時代の労働者倫理として―あるいは経営者倫理―、影響を及ぼしたのがプロテスタント的労働倫理だったと述べている。簡単に申し上げると月曜から金曜(土曜)の倫理と日曜の倫理ということになる。仕事を神から与えられた義務としてがんばり安息日は休むのではなく、エリック・レイモンドの言うように
ハッカーをやっているのはすごく面白いことだけど、面白がるにはかなりの努力が必要だ。
身を入れて努力することが、骨折りの仕事じゃなくていわば真剣な遊びになるんだ。
としている。トーヴァルズ氏の言う娯楽のことで、つまり毎日が日曜日のように楽しいということである。
さて堀江氏だが、著書を立ち読み程度、ブログをたまに読む程度で真っ当な評価ができるわけないことを前提として申し上げると、氏の主張は、
ビジネスの世界というものは、金銭的に成功しなければ意味がない。論理は勝者によってのみ創られる。お金の前に人々はひざまずくものだ。売り上げではない時価世界一を目指す。
ということに要約できると思う。私的に判断すれば極めてプロテスタンティズムだといえる。特に売り上げではなく株時価世界一という視点は工業化時代のアニマルスピリッターと言えると思う。
しかし情報時代のアニマルスピリッツは変容していると考える。アマゾンやグーグルの成功は投資行動としてのアニマルスピリッツとは違うと考えている。それは強烈なハッカーたちからの支持があっての成功だと言うことである。ウエーバーはプロテスタント資本主義の金銭倫理を
この倫理の最高善は絶えず金銭の獲得に励むことである。
と仕事と金銭が動機であり目的となっているのである。一方ハッカーリズム資本主義の動機は仲間からの賞賛だとしている。そして賞賛をえるためには情熱が必要だともいっている。かれらの行動動機は情熱ともいえるのである。
村上ファンド事件、ライブドア事件は日本に遅れて到来した工業化時代のプロテスタント資本主義の決定的終焉を意味しているのではないかと考える。とくにライブドア事件はインターネットという情報時代のハッカーリズム資本主義の産物を工業化時代のプロテスタンティズム資本主義の倫理で扱おうとしたことによるハッカーリズムの反発ではないだろうか。結果は公権が介入する形で終焉したが、ことの本質はアニマルスピリッツの公権による抑圧ではなく、ハッカーリズムのプロテスタンティズムへの勝利ではないだろうか。
ライブドア事件の影響は実に大きかった。あれから日本で起業しようという人々が激減した。
というシンガポールのファンド経営者の嘆きの真因はライブドア事件ではなく、ハッカーリズムを持った投資家と起業家の不在ではないだろうか。
コメント
>主催者池田先生からアゴラは本来論争の場としてつくったのですが、どうも一方の意見ばかり出てくる…。
とのこと。素晴らしい感想だと思います。
このサイトのコメント欄を、アマゾンの書評のように、賛成・反対、支持・不支持、参照意見、対立意見、などのカテゴライズをするといいのではないでしょうか。
日本人は空気を読んでしまうので、反論を書きにくいし、反論を書いた人をとっちめる風土(島国根性)があるようなので…。
いくつのものパラダイムが成立していて、それがお互いに共有領域を持っている。そういうリアルな言論空間が描出できるとすばらしいなぁ。と、思うのです。
で、なければファシズムになってしまうのですから…。
中川さんの積極的な主張については、私の知識・能力等の不足からよく理解できないところが残るけれども、「ほんとうにそうなのか?という疑問」については、強く共有する。
堀江氏の率いた旧ライブドアというのは、価値を移転させる道具立てとしては機能したと思うが、どのような意味で(ネットで)新たな価値の創造を行った(あるいは、行う可能性をもっていた)といえるのか。この点については長らく疑問に思っている。あれは、どのようなビジネスモデルだったのか、誰かご教示いただけると幸いである。
--池尾
ライブドアが、真実どのような企業であったかの問題ではなくて、戦前の二・二六事件が政治家の軍部批判の実行を実質的に抑圧したように、ライブドアに対する検察の強制捜査が起業しようという意欲を抑圧したのは事実であると思う。
ライブドア事件以降、起業セミナーがガタ減りとなったし、セミナーやっても人が集まらなかったと聞く。
>3
問題でなくてもいいから、「ライブドアが、真実どのような企業であったか」を教えてくれないかな。やっぱり実質的に革新的なビジネスモデルをもっていないとやっていけないということで、起業意欲が減退したということかもしれないからね。実質的に革新的なビジネスモデルなんて、そう簡単に思いつくものではないから、それがないとダメだと分かるとブームは潰れるよね。
--池尾
資本主義を生んだのがプロテスタンティズムの職業倫理であるというウェーバーの議論は、歴史学的には都市伝説に近い。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294791.html
ヒネマンなる人物の議論も(中川さんの紹介によれば)こうした通俗的な(古い)ウェーバー理解にもとづくもので、ましてそれを「金銭欲」に矮小化するのは、ウェーバー解釈としてもナンセンスというしかない。したがって、それに依拠したライブドア事件についての論評も、事実誤認です。
資本主義を駆動しているのは、昔も今も金銭的インセンティブだけではなく、仕事を達成することによって社会に(あるいは神に)認められたいというモチベーションを含んでいます。「アニマル・スピリッツ」というケインズの言葉は、それとはまったく違う文脈の概念であり、こういう使い方をするのは、話を混乱させるだけ。
GoogleMap, YouTube, iTunes を日本で始めていれば、その人は逮捕されていたのではないでしょうか?
薬ネット販売規制、500円タクシー規制、頭髪カット専門店規制 など消費者に利益になる新産業が潰されていくのが日本社会です。 業界秩序を乱す人は逮捕される可能性があり、逮捕の理由が業界秩序を乱したと言う理由ではなくて、スキャンダルなどです。
村上世彰氏がインサイダー容疑で逮捕されるのであれば、多くの証券関係者は何時でも逮捕される可能性があります。 道路交通法が厳密に適用されれば、殆どのドライバーは逮捕される可能性があります。 日本の法律を厳密に適用すれば誰でも逮捕されますが、業界秩序を乱さない普通の人は、お役人さまの裁量により逮捕されないだけです。
「お役人さまの意向を察知する」これが日本の大会社経営者の大変重要なお仕事です。
>6
jnuxcomさんの書かれていることは、それはそれで正しいと思いますが、堀江氏は「GoogleMap, YouTube, iTunes」的なことを始めていたがゆえに逮捕されたわけではないですよね。別の話になっています。私が教示を求めているのは、堀江氏率いる旧ライブドアが始めていた(あるいは、始めようとしていた)ビジネスモデルって何?、です。
(単純化しすぎかもしれませんが)「起業の量でなくて質が重要」というのが中川さんの主張と受け止めた上でですが、多分、ブラック・スワンなどが言うのは「質」の評価を厳密に行うことができないので「量」を増やすことが確率的に「質」を高めることになるということで、アニマル・スピリッツの文脈でいえるのは「量」を増やすためには「物語」が重要というお話なのかなと漫然と考えていました。
ライブドア事件に関する検察や世論などを批判する人達は、どういう「物語」でアニマル・スピリッツを刺激するかについての観点で、日本社会の場合はマイナス要素が多いと主張しているのかなと考えています。(一部の人達を除いて)決してライブドアを礼賛しているわけではないと思います。
>kazikeoさん
ライブドアのビジネスモデルは企業買収による企業再生です。ITとは全然関係ありませんが。
まあ、その業務の一環として、ネットに対応していない企業を再構築することで、間接的にネットに何かもたらすことも、含まれていたかもしれませんし、沈没したネット企業の再生も業務の一環でしょう。
まあ、日本そのものが沈没しかかっているわけで、その再生も仕事の1つのはずです。
潰されたのは、沈没しかかっていることを(団塊世代が逃げ切るまで)バラすな!ということでしょう。
>7
私の、旧ライブドアに対する考えを書きます。(あくまで個人的意見です)
会社にはいろいろなタイプがあり
どちらかと言うと、新しいビジネスモデル・技術で勝負するタイプ
Apple, Google, Sony, 本田技研
どちらかと言うと、現在のシステムの改良でコスト・規模の競争で勝つタイプ
Microsoft, Panasonic, トヨタ
旧ライブドアは、後者の方のタイプだが行き詰まり、新しいものを求めた、しかし・・・
オンザエッジのころからライブドアは赤字で、最初の黒字が2004年、これが粉飾決算だった。 8年近く赤字の会社なので、頭の良い経営陣は、このままでは行き詰まることを感じ、最後の大勝負にでた。 それが、球団買収騒動・粉飾決算・ニッポン放送株争奪事件で、株価が上がったところで、株券を刷って市場で売り抜けるのが本業のIT風の投資会社? そういう意味では、新しいビジネスモデルはありません。 堀江氏は、投資事業以外の実体のあるものを探し求め模索していたのでは・・・?
私の主張は「新しいビジネスモデルだから逮捕された」のではなくて「業界秩序を乱す人だから逮捕された」です。
池尾様、
wikiのLDHを読み、私なりに考察してみました。
>「ライブドアが、真実どのような企業であったか
買収を重ねる事により、売上額と(ネットを含め)ユーザー数を短期で増大させ、企業価値を高めた。欧米では古典的な手法。
>実質的に革新的なビジネスモデルをもっていないとやっていけないということで、
TwitterやSkypeがどのようなビジネスモデルを目指しているか理解している大衆はどれだけいるでしょうか。起業する人を含め、大衆は堀江氏のビジネスモデルの中身でなく、どのような金持ちになったか、そのサクセスストーリーに関心があるのでは?
>どのような意味で(ネットで)新たな価値の創造を行った
彼はエンジニアではなく商売人。彼が創造したのは、ネットの世界なら、大学生がたった4年で上場企業の社長になれるという「物語」。
石水
う~ん、ライブドア事件と「日本で」起業の減少の話はあくまで話のとっかかりで
共同体空洞化を放置する経済至上主義の終焉、公益性を持ったエリートの不在(の批判)というような趣旨と解釈したのですが
これは中川さんがコミュニタリアン寄りで、池田さんや堀江氏、山口さんがリバタリアン寄りという立ち位置の違いゆえ
話が永遠に噛合わない気がします。
本稿のポイントは、
「ライブドア事件はインターネットという情報時代のハッカーリズム資本主義の産物を工業化時代のプロテスタンティズム資本主義の倫理で扱おうとしたことによるハッカーリズムの反発」
という箇所であり、池尾先生の疑問も、この点についての具体的意味だと勝手に理解しました。
ライブドアのビジネスモデルにインタネットそのものを(ビジネス環境として利用することはあっても、)商品として扱うようなものがあったのを、私は知りません。従って、具体的にどのような扱いがハッカーリズムの反発を招いたのか判りません。
解説いただければ、幸いです。
また、日本のハッカーリズムに、ライブドアに反発して検察を動かす力があるとは思えません。投資家と起業家は持って否くとも一般大衆は持っているということでしょうか?
旧ライブドアの企業としての実態は、ファイナンス事業だったと記憶しているのですがどうなんでしょう。
そのファイナンスの中身もあまりスジの良くない話が多かったような・・・・
最近はライブドア事件が、どうも「体制に挑戦する若い芽を、既得権が不条理につぶした」というイメージが強くなり、ホリエモンの挑戦的言動とあわせてヒロイックに考えている人が多くなってきたのでしょうか。
旧取締役が沖縄で謎の死を遂げたり、ダークサイドな香りの部分はあまり明らかにならないままですが、事件の本質はむしろこちらじゃないかと思います。
ビジネスとかアニマルスピリットについて論ずるなら、今やGREEの田中良和氏について語る方が現実的ですよ~
「ライブドア事件はインターネットという情報時代のハッカーリズム資本主義の産物を工業化時代のプロテスタンティズム資本主義の倫理で扱おうとしたことによるハッカーリズムの反発」
そうではないでしょう。
「ハッカーリズム」の定義はあいまいですが、ライブドアは多くのネットビジネスを買い取ることで、ネット企業家に出口戦略を提供していました。その過程でマイクロソフトのような「小規模業者つぶし」の様な事があったとすれば話は別ですが、そのような事実はありません。提示された値段に納得できなければ、売らなければよろしい。逆にライブドアがつぶれてから、日本のネットビジネスは空気がしぼむようにやりにくくなったのが事実です。出口戦略だけではないですが、そんなことは事件が起こった直後に「ハッカー」達は知っていたはずです。
ライブドアを潰したのは「もやもやしたIT資本主義への恐怖」にかられた検察とマスコミがしゃにむに行った反動であり、プロテスタンティズムどころか日本の「前近代性」だったというのが、正確な分析と言うものでしょう。