世界的に高まる「遠隔医療」への関心

2010年10月11日 11:00

先進国たると発展途上国たるとを問わず、世界中で医療費の増加がGDPの増加を確実に上回っており、各国ともその対策に頭を抱えています。抜本的な手を打たなければ医療保険制度が破綻し、大きな政治問題にも発展しかねないからです。


全ての国が例外なく問題を抱えているのは間違いありませんが、先進国と発展途上国、更には、アジアやアフリカの最貧国と呼ばれる国々では、問題の所在は別のところにあります。しかし、「医者が来てくれない(医者に来て貰うとべらぼうに金がかかる)」、或いは「近くに病院や診療所がない」というのは共通の問題です。だからこそ、今、世界的に「遠隔医療」に熱い視線が注がれているのです。

全世界のモバイル通信事業者の団体であるGSMAが最近マッキンゼイに委託して行った調査の結果を、ざっと読む機会がありましたが、先進国での問題としては「ルーティンの検査コストの上昇」が大きい事が分かり、一方、発展途上国では、「初期の簡単な診断で何百万人もの命が救えた可能性があった」事も分かりました。

また、「世界中で支払われた年間医療費の実に70%近くが心臓病や糖尿病のような所謂Chronic disease(慢性成人病)の為のものだった」という報告もありました。インドでは「心電図を読める医師」の数は、全国で必要とされる数の1/100程度でしかないという調査結果には驚かされました。

アフリカの最貧国向けの遠隔医療については、幸いにして現在はモバイル通信網が至るところに行き渡ってきた為、色々な方策が実現可能になっています。GSMAも一定の予算措置をとって支援体制を固めつつありますし、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのファンドも既に巨額の資金援助をコミットしています。私自身も以前からこの問題には関心があったので、アジア諸国で同じようなことが出来ないか、智恵だけでも絞ってみたいと思っているところです。

この問題については、昨年の8月14日に私は「遠隔医療の可能性」と題する記事をアゴラに投稿し、多くの方々からご賛同を頂きました。しかし、「a inoue」さん(本名は分かりませんが、もしかしたらアゴラの常連投稿者である井上晃宏さん?)他の若干の方から、はクソミソに酷評されました。酷評の理由は、「そんな事は素人に言われなくても、既に医療現場でちゃんと行われている」「そもそも患者の診断は面と向かい合ってはじめて出来るもので、遠隔で無線通信で出来るというのは素人談義」というようなものでした。

これはもう1年以上も前の事ですので、私もあまり色々な事が分かっていたわけではなく、こういう方々の酷評に対しては敢えて反論はしませんでしたが、現時点では私も少しは勉強したので、この方々とはもう一度議論をしてみたいと思っています。

私とて、今から35年近く前に伊藤忠アメリカに勤務していた時には医療機器の担当であった事もあり、「医療」の世界が色々複雑な世界であることは分かっています。医師会は政治的に大きな力があるので、医療制度に関する事になると政治家も相当慎重になります。しかし、それでは、今我々が直面している「医療」の現実に問題がないかと言われれば、「とんでもない、問題だらけだ」と考えている人は多いでしょう。「医療」を聖域化することは、何れにせよあってはならないのです。

「医療」に限らずあらゆる分野で言える事は、現時点では、ICTのおかげで、多くの仕事が必ずしもその場にいなくても出来るという事です。これによって、物理的な移動に必要な多くの時間が節約され、そこで消費されるエネルギーも節約出来ます。(従って、その分だけCO2の節減が出来ます。)「ソフトウェアの開発」や多くの「事務処理」、「折衝」や「会議」などは全てこの対象となるのですから、「ヘルスケア」や「医療診断」の分野でこれが出来ないと言われても、簡単には納得出来ません。

通常、身体に不調を感じた時、或いは「定期健診」の為に、病院や診療所を訪れれば、最終的には担当医が結論を出してアドバイスをくれ、注射をしてくれたり薬の処方箋を書いてくれたりします。しかし、外科的な措置(手術やその他の治療行為)を別とすれば、その中で医師自身がやらなければならない事は、比較的限られています。機器を操作してデータを取ったり、採血をしたりするのは看護師の仕事であり、医師がやるべきは、要は「データの解析」やそれに基づく「判断」です。これなら遠隔地でも出来ます。

勿論、顔色や、眼や、舌、喉、耳などの状態を見たり、聴診器で身体の中で発生する色々な音を聞いたり、触診したりする必要もありますが、触診を除けば、こういったことも遠隔地で出来ることです。眼で見るものは、高解像度のカメラで撮って高速通信で送れば、肉眼で見るのと何ら変わらないと思います。

「問診やアドバイスに際しては、患者の反応に現れる心理状態なども読み取りながら、きめ細かくやらねばならない」という事もよく理解しますが、可搬型のHDビデオカメラを看護師が操作して医師のオフィスにある高画質のディスプレイに光回線でつなげば、その場にいるのとほぼ同じ事が可能になるでしょう。

発展途上国の場合は無線(モバイル)通信網を使うしかないので、ここまでは出来ないかもしれませんが、日本の場合は、もし「光の道」が実現していれば、どんな過疎地の一人暮らしのお年寄りでも、看護師に家まで来てさえ貰えれば、高度な診療が受けられることになります。(勿論、治療の為には最寄りの病院まで出向いてもらわなければなりませんが。)

こういう提案をすると、必ず反対をする人達が出てくるのは目に見えています。しかし、こういう人達の多くは、医師であるか、病院や診療所の経営者である筈です。つまり、「需要サイド」の人(患者)ではなく、「供給サイド」の人だという事です。「こういう事が起こると、中抜き状態になって仕事が少なくなる」とか、「医師の仕事の一部が参入障壁の低い看護師に代替されるのは好ましくない」とか、恐らくはそういう事情が絡んでくるのでしょう。

患者側から見れば間違いなく便利であり、医療費全体の減少にも大いに役立つと思われる「カルテの電子化」「電子カルテの統一」についても、実現はなかなか難しそうだという事をよく聞きますが、それについても、何かこれに似た、外部の人間には窺い知る事の出来ない「本音の理由」があるのかもしれません。

需要サイドの人達は通常は「声なき民」であり、従って、「行政」は、常にこの人達の声を代弁してあげなければならない筈なのですが、残念なことに、「行政」は、通常「供給サイドの人達の声に押されて色々な事を決めている」ように思えます。供給サイドの人達はプロであり、この人達のいう事に反論するのは困難なのはよく分かりますが、それでは「行政」にしか頼れない「声なき民」が浮かばれません。

これは「医療」の問題に限った事ではありませんが、常に「供給サイド」に目が向きがちな「行政」のあり方に、猛省が求められるところです。

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