1日は24時間しかない!(1)

田代 真人

どんなに文明が発達しても科学が進歩しても変わらないことがある。それは、人間がアナログであり続けること、1日が24時間であるということ。アナログとデジタルの解釈、1日のカウントの仕方が変わらない限り、これらは変わらない。たとえ、アナログの解釈が変わろうとカウントの仕方が変わろうと、400万年前に出現したと言われる人類において、いまもって変わらないのであれば今後も変わっていくことはないだろう。

そして、人間がアナログである限り、寝なければ生きていけない、食べなければ生きていけないわけだ。また、1日が24時間しかないとすれば、少なからずそれらの行為に時間をとられるので、実際に利用できる時間は24時間未満だ。1日6時間の睡眠をとるとすれば、残りは18時間というわけである。ただし食事は、仕事しながらでも勉強しながらでも採れるので、好き嫌いは別にして、究極にはたとえ追い詰められた状態でもアナログな人間にとって他の時間を浸食するものではない。


睡眠以外の残りの18時間の使い方が、年を追って変化しているのは、読者のみなさんもおわかりだろう。原因は、年齢による生活習慣の変化もあれば、身のまわりの環境の変化にもよるところも大きい。とくに1960年台のテレビの普及、70年台後半の家庭用ビデオデッキの普及により、急速に我々の時間はこれらの視聴に費やされるようになっていった。ここで、本を読む時間が少なくなったことは想像に固くない。一方のラジオや音楽は、いわゆる“ながら聴き”ができるので、集中できるか否かは別にして、我々の時間を大きくとられることはない。しかし、一度に複数のものを見ることができないことを考えれば、同時に本を読む時間が少なくなっていったのも仕方がない時代の変化ではあった。

同様にインターネットの出現は、我々の時間を奪っていった。まぁ、能動的に見るわけなので我々の意志で時間を費やしていったのではあるが……。

90年代はネット回線も遅く、それに伴いまだまだコンテンツもリッチではなかった。しかし、年々回線は速くなり、接続料も低下し、コンテンツもリッチになっていった。2000年を超えYoutubeの出現により視聴できる動画コンテンツも無数に増え上質なものも多くなり、我々が心から楽しめるものも少なくない。接続料を支払ってはいるがコンテンツはほぼ無料だ。

さて、そうやって18時間が浸食されていくわけだが、当然のことながら、社会人であれば仕事をし、学生であれば学校に行き、アルバイトなどもすれば、ますます“可処分時間”はなくなっていく。しかし人々は、自分の可処分時間の使い方には優先順位を付ける。どうしても人との会話がなければ、生きた気がしないのであれば食事や喫茶に時間をかけるだろうし、趣味が必要であれば、それに時間を使う。

とはいえ、経済状況が悪化している昨今、なによりも優先することは、お金をなるべく掛けないことだ。お金が掛かることで我慢できるのであれば我慢する。食事であっても、昼食は500円以下が当たり前、コンビニ弁当や牛丼ですます。夜も自宅で食べる内食か、デフレのおかげで価格破壊的に安くなった1品200円台でツマミがそろう激安居酒屋で友人と食事をし、一人2000円程度遣って帰宅する。家に帰れば、テレビかネット、無料オンラインゲームで十分寝るまでの時間を潰すことができる。たとえ本を買うとしてもブックオフで105円コーナーから見繕う。となれば、ますます新刊本は売れないし、雑誌も立ち読みや回し読みですます。そんななかでの『電子書籍元年』なのだ……。

次回(2)に続く