最近のことだが、
「福沢諭吉の生地、大分県中津で活動中!」
と自身のブログで報告されていた政治家の方がおられた。
女性として大蔵/財務官僚のトップを経験した後、政治家に転身された方で、その輝かしい官界経歴と、フランスのエリート養成機関であるENA(Ecole nationale d’administration)への留学経験を誇っておられる。
また先日、通産省出身の民主党議員の方が、Twitterで
「岡倉天心の偉大さを著作を読んで初めて知りました。」
とつぶやいておられた。御年47歳。この方もMITとハーヴァードへの留学経験を有されている。
私はこの両者の政治家として能力をここで問題にしようとは思っていない。お二方とも優秀な方々だと認識しているし、その発言にも注目している。
私が問題にしたいのは、このお二方のように、日本のトップクラスの知性を養成するはずのエリート教育を経て、エリート・キャリアを邁進し、ついには国政を左右する立場に立っている人物に、「日本人としての教養」というものが驚くほど欠けているのではないかという危惧である。私が論じたいのは、上記した方々の個人の資質ではない。現代日本で行われている教育、特に「エリート教育」というものの内容に疑問を呈している。
「福翁自伝」の冒頭で書かれているように、福沢諭吉は豊前中津藩の大阪蔵屋敷で生まれた。父百助の死後、 シングルマザーとなった福沢未亡人が、大阪で生まれ育った兄弟姉妹を中津に連れて帰ると、服の着付けから言葉遣いまでが周囲と違って馴染まなかったという。
後年、諭吉青年が遊学先の長崎から中津を素通りして大阪を目指し、緒方洪庵の適々斎塾で頭目を現すきっかけとなったのが、この諭吉少年のアウトサイダーとしての背景と、以下に引用する「息子を坊主にさせてでも」その大成を期した、不遇の下級武士、諭吉にとっては直接見知ることのなかった父・百助の思いだったのだ。
父の生涯四十五年のその間、封建制度に束縛されて何事もできず、むなしく不平をのんで世を去りたるこそ遺憾なれ。また初生児の行く末をはかり、これを坊主にしても名を成さしめんとまでに決心したるその心中の苦しさ、その愛情の深き、わたしは毎度このことを思い出し、封建の門閥制度を憤るとともに、亡父の心事を察して一人泣くことがあります。わたしのために門閥制度は親のかたきでござる。(福沢諭吉「福翁自伝」)
この箇所を読み返すたびに、私も目と胸に熱いものを感じてしまう。そして福沢という一人の幕末/明治人の回顧を通じて江戸を生きた人々の気持ちに触れた時、封建制度から解放された明治日本が「坂の上の一朶の雲」を目指して猛驀進を始めた「明治の青春」という心情風景への理解が深まるのだ。
この日本の自伝文学中の白眉、しかも懇切丁寧に近代口語体で書かれた本を読まず知らずの人間が、世界へ向けていったい日本のなにを主張しようというのだろう。
これは全くの余談になるが、中津の名誉の為に言っておく。諭吉青年は気がついていなかったようだが、実は豊前中津藩は西洋学問に対しては非常に先進的な土地だったのだ。その原因は蘭癖大名として名を馳せた、薩摩藩主、島津重豪の息子、昌高が中津奥平家に養子入りしたことが嚆矢となっている。江戸蘭学の端緒をつけた「解体新書」の共訳者の一人、前野良沢は中津藩の藩医であった。また後年、諭吉と因果な関係になる勝海舟に蘭学の道を勧めた幕末の剣豪、島田虎之介も中津藩士だ。
いまさら日本史のおさらいも恥ずかしいというのであれば、この議員女史に以下のマンガを推薦しておく。
岡倉天心のことにも触れておこう。
私の以前のエントリー(こちら)でも引用させていただいたが、日清・日露の両戦役を経て、その軍事力を足がかりとして列強国への道を邁進していた当時の日本において、こうした主張していた人物がいたことを、日本の国民は知っておくべきだ。
一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っていることであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。(岡倉天心「茶の本」)
もちろん、この主張は新渡戸稲造の「武士道」を意識している。これは私個人の印象かもしれないが、日本人は新渡戸には注目しても、天心に疎い。
立志、不惑を過ぎて天心に触れられた前述の議員氏が、MITやハーヴァード留学以前に天心に巡りあっていたら、どれだけ意義のある国際交流が可能となり、その後の人生を豊かなものにしただろう。
繰り返すが私はここで特定の個人の無知を攻撃したいのではない。お二方のような優秀かつ有為の人材をして、日本人としての教養を身につけさせ得なかった教育のあり方がおかしいと思うのだ。
私がイギリスで不良大学生だったころ、知己を得た通産省官僚は国家公務員試験制度を擁護して、こう言い放った。
「日本の官僚システムは日本において最も知性に優れた人材を有さなくてはならない。」
知性と引きかえに、日本人としての「ハート」を忘れてしまったエリートでは国がもつまい。
交流会のような場で、
「英語を話すとバカだと思われるから、ゼッタイ話さない!」
とノタマッタ官庁派遣の留学生氏が、同胞日本人とみるとにわかににじり寄り、自らの学歴自慢を始める様子を、まるで酢豆腐の講釈をする若旦那を見る思いで眺めていたものだ。
先行き不安が高まるなかで、公務員はかつてに増して大卒生に人気のキャリアだそうだが、最近ではいったいでのような人材が官途を目指しているのだろう。
帰国するたびに訪れる書店の店頭にうずたかく積まれた「○○力」などといった安易なHow To本の山を見るたびに、
「若いうちは手っ取り早く小利口に器用になることよりも、自分の器を大きくすることを考えればいいのに」
と、己の説教ジジイぶりに辟易としながらも、内心ため息をつく。
重要なのは「How To Do」ではなく「How To Be」なのだ。
そして世界はあなたがどのような日本人なのか、今の日本とはどういう国なのかを知りたがっている。
追記:今日、2月9日はガダルカナル作戦終結の日である。ソロモン諸島ガダルカナル島を制圧する目的で送り込まれた3万余の日本兵のうち、1943年のこの日までに「転進」という大本営エリートのゴマカシの下に撤退することを得た1万余を除き、2万人が死者・行方不明者となった。2万の犠牲者のうち、戦死者は約5千名のみ。残りの1万5千人は兵站線確保を軽視した司令部の犠牲となり、そのほとんどが餓死であった。
日本国民が、永く胸に刻みつけなければならない、この史実。ネットを見渡すかぎり、今日これに言及している政治家は見当たらない。
コメント
実学を重視して、どこが悪いのでしょうか?そもそも、官僚は、テクノクラートなのだから、必要なのは、実学であり仕事をこなし、成果を上げる力だ。どのような国なのか、どのような社会なのかという、知識や教養は、政治家に必要でも、官僚には必要はない。政治家の方でも、枯渇しているのは、社会の要請に応え、政策を立案する実学である。実学なしで、教養があっても意味がない。
矢澤豊氏は、現状を理解しているのか?国債の格付けに対して「疎い」と発言する政治家に、必要な事は何か?実学ではないか。
塾高出身だから、諭吉ネタと東大ネタには敏感かと。
実学を重視することが悪いという風には言ってないような気がします。ただ実学と教養のバランスが偏りすぎてないか?
また実学だけをひけらかして、教養という人として大事な部分が欠けてしまってはいないか?
それを助長するような社会の空気が出来上がってしまってることに疑問を呈してるのでは?
というようなことを自分はこの記事から受け取りました
実学なんてものは、その地位に就くのであれば最低限であれ高いレベルが求められるのは前提での話だと思います
ただ「疎い」の発言に関しては問題外ですね
harappa5様...ご一読、ありがとうございます。ご意見に対する私の立場はyonaoshiki様が代弁されておられます。
yonaoshiki 様、ありがとうございました。
stt_msm様...バレてますね(苦笑)。
気品の泉源、智徳の模範...気品の泉源、智徳の模範...
福沢一万円札誕生は1985年ですので、大阪生まれ・・・はどうでしょうか。東京帝大の初代総長は慶応にも在籍していたはずですが。
岡倉天心はむかしの高校日本史教科書ではそれほど扱っていないかもしれません。
「東大」は明治以来、社会工学的頭脳養成、プラグマティズム涵養、儒教的教養人育成、カント・ヘーゲル的神人育成・・・・といろいろあり、常に揺籃しているのです。まさに「大学」ですが、そろそろあり方を問われているということでしょうか。
過去をいくら精妙に眺めても、そこにはなにもないことを、今の経済の状態をあらわしております。
カイゼン一本で、失敗した企業の姿も一つのわかりやすい例です
。
もちろん安いだけで買うという愚かな人々(最近のT社の車の売上回復)は、まだまだ多いので、若干わかりにくいかもしれませんが。
> 教養のバランスが偏りすぎてないか?
> また実学だけをひけらかして、教養という人として大事な部分が欠けてしまってはいないか?
> それを助長するような社会の空気が出来上がってしまってることに疑問を呈してるのでは?
教養は「日本」、とくにサムライ時代のものから帝国前期時代のものから得なければいけないのでしょうか。「実学」で学位を持っている人であれば、なんらかの文化、歴史的背景をもった「教養」を学んでいるんじゃないかと推測出来ると思います。
たまたまその時代の教養を知らなくて「口を滑らせた」ような発言があったからと言って「貴様それでも日本人か!」みたいに叱責するような態度を取るのは、、、ねぇ。
諭吉や天心を語るだけでも、まあ上出来なんだとは思います。え、何それうまいの? という手合いに比べれば。
それを踏まえて、もし語るのならば語りようがあってしかるべきだろうと。諭吉について言及するならば、せめて福翁自伝くらい目を通しておけよ、と。福澤先生にはうるさいシンパがうじゃうじゃいるんだから、と。目を通す暇がなきゃせめてググれよ、と。そういうことですかね。
思うに、「教養」というのは、決して達することのできない頂に向かって登って行こうとする営みのことなのではないでしょうか。
それを持たないことは恥ずかしいことと認識し、それを持とうとする努力。それが豊かな人に対する敬意。謙虚さと傲慢さのない交ぜになった価値の体系が「教養」なんでしょうな。
そういう文脈じゃ「岡倉天心の偉大さを著作を読んで初めて知りました。」というのもペケですね。あたかも前から知っていたかのような顔で語らないと。それが教養の「お作法」なんだから。政治家としてはちょっとナイーブ(もちろんすごく悪い意味で)すぎる。
あ、件の元官僚の女性政治家は、「福澤諭吉の生地」ではなく、「福澤諭吉のふる里」と書いているようですよ。
これは矢澤先生のご指摘で女性政治家が修正したか、矢澤先生のフライングか。
前者ならば政治家として上出来ですよね。過則勿憚改。
後者なら、矢澤先生ちょっと恥ずかしい。
追記:ガダルカナル戦終結は2月7日では? 大本営発表は2月9日ですが。
雑誌「はんせい」君(マスコット)様
deresuke99様
ご一読ありがとうございます。また貴重なご意見ありがとうございます。
まずは「福沢の生地」発言ですが、ブログアップ直後の私の指摘が原因かどうかは分かりませんが、修正していただいております。この点、本文中で言及していないことは確かに当方の手落ちです。ガダルカナル戦終結日に関しては、deresuke99様ご指摘の通りです。
さて本題の皆が共有すべき日本人としての「教養」とはなにかという点ですが、 定義の難しい問題です。しかしどこまで、またどのレベルまでを教養とすべきかという境界線引きは難しいですが、私にとっては確かに存在するはずものです。
私はいままで海外で出会った友人たち、それぞれの出身国の中で衆に抜きん出て優れた人材たちが共有する彼らの「教養」というものに嫉妬しているのかもしれません。たとえ政治的立場を異にしていても、知的基盤とそれに準じた価値観と言語を共有することによって、集団として指導者層を形作る。こうした社会的風習が近代の我が国には薄いような気がします。
以前のアゴラ記事でも引用しましたが、歴史学の泰斗、故宮崎市定先生が述べられたように、所詮民族とは歴史の所産であるのであれば、歴史とその産物である文化に対する知識がレベルが低い現在の教育に問題があるのではないか、ということが私の主張です。
今後ともご指導、よろしくお願いいたします。
そうですか、件の議員はこそっと修正してたんですか。
もしこのブログの指摘で直したのであれば(というか、「生地」を「ふる里」に書き換える理由が他に考えつかない)、件の議員、なかなかできるなあ。
間違いを素直に認めても傷つかない強い自我(自尊心+面の皮)は、指導者には必須ですよねえ。
書き換えた理由をくどくど書かないのも政治家として○かも(ただし写真は修整しすぎでは)。
>それぞれの出身国の中で衆に抜きん出て優れた人材たちが共有する彼らの「教養」というものに嫉妬しているのかもしれません。
確かにいいとこのガイジンは古典と(自国万歳)の歴史はたたきこまれてますよね。
もっともヤツら「はったり」もあるんですけどね。酒が入ると「実は俺もラテン語は苦労したんだ」と漏らしたりする(でアメリカ人の無知を肴にすると盛り上がる)。そういう時ガリア戦記の冒頭などをちょろっと暗唱すると「お、ニホン人のくせにやるな」と誉められます。で、扉が一枚開く、と(あと99枚あるけど)。
日本で教養教育が流行らないのは簡単です。以下の二点に集約されます。
・哲学といいますか、「常識を疑う」思考習慣がないので「教養」という単語を振り回すことはできても「教養とは何か」という疑問にきちんと答えられる人がいない。
・日本人は「頭がいい人」に対して「お勉強はできても…」と考える人が多く、敬意を払わない。そのた「(損得を離れて純粋に)勉強して頭がよくなること」へのモチベーションが働きにくい。
教養の種類にも色々あります。
福沢も岡倉も明治の同時代人から見れば
半分西洋かぶれの怪しい評論家に過ぎません。
彼らの著作を読まないほうがむしろ教養人
らしさだとも言えます。ちょうど現代で柄谷行人や
吉田秀和の著作を読むのが恥ずかしいのと
同じ事です。何が教養かという価値観を
固定しないことこそが教養です。それよりも、
文中の「知己」は「知遇」の意味と思われますが、
これぞ無教養の典型でしょう。
数々の名著に出る「知己」をこの人は「知遇」と
思って読んできたのですから。