メールは終わらないのではないか

古川 賢太郎

阪上健生さんが「メールの時代はいつ終わるのか?誰が終わらせるのか?」という投稿で、FacebookやGoogle+が様々なコミュニケーションサービスを統合することでメールが歴史となるだろうと言っていた。僕の意見は違う。理由は二つある。


一つはメールは「枯れた」技術であるメールは阪上さんも言うように様々なシステムで利用されている。僕もその様なシステムを開発したこともある。この機能が利用されなくなるとは思えない。
今でもメールで「書き出し」や「書き終わり」の作法や文章の類型といったものがある。これは長年にわたって形成されてきた「儀礼様式=プロトコール」である。これが未だになくならないのに、メールと言う通信方式=プロトコールがなくなるとは思えないのだ。つまり、機能であるメールは様々なサービスに埋め込まれてずっと残るのではないかと思うのだ。

もう一つは、FacebookやGoogle+は実際には歴史を繰り返しているのではないかと思っているからだ。その歴史の中でメールは無くならなかった。僕の所謂“SNS”事始めはGREEだった。親しい友人とのコミュニティから好きな小説のコミュニティなどを渉猟していた時に、不意にデジャヴに襲われた。
「これはニフティサーブだ」。
コミュニティ機能、ショートメッセージ、メールとの連動。これらは全てニフティサーブで提供されていたものではないか。1990年代後半にパソコン通信を始めた僕は、趣味の推理小説の集まりなどでかなり濃いコミュニケーションを行ったものだ。メールも出来たし、Faxとの連動も出来たりしていた。今のSNSの機能の大部分はニフティサーブでもあったではないかと思ったのだ。
国内パソコン通信の最大手のニフティサーブがサービスを終了したのは2006年のことだ。MySpaceは2003年、Facebook、GREE、mixiは2004年に開始している。ちょうど入れ替わった恰好だ。ニフティサーブの当初からメール機能はあった。インターネットメールとの統合も行われた。SNSにもメッセージ機能があり、インターネットメールとの統合が図られた。
つまり、SNSがメールを吸収していくというよりも、あくまでも連動をするという形で互いの独立性は守られるのではないかと思うのです。それはメールという機能の汎用性が高いがゆえに、何かのサービスに完全に統合されると、他のシステムやサービスに影響を与えるという点に理由があると思うのです。

このことから更に言えるのは、様々なサービスのメッセージ交換の機能として、電子メールのプロトコルが見直されるかもしれないということかもしれない。

古川賢太郎
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