文豪・夏目漱石が見た美術世界

石田 雅彦

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先週の金曜日、東京・上野の東京芸術大学美術館で開かれている「夏目漱石の美術世界展」を観に行きました。文豪、夏目漱石と美術表現との関係を、多種多様な作品や資料をもとに展開していく、という野心的な展覧会です。


展示内容は、漱石とターナーや英国ラファエル前派など西洋美術の出会いや作品、伊藤若冲や渡辺崋山、酒井抱一といった古美術、漱石作品と美術との関係、漱石の美術批評、親交のあった画家、そして漱石自身の絵画作品や自著の装丁などの紹介、といった流れで進んでいきます。英国ロンドン留学で西洋美術に触れ、漢文の素養などから古典美術へ興味を抱き、明治期の日本画壇との親交を深め、とうとう自分でも絵を描いてしまった漱石、というわけです。
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村上春樹の小説にジャズやクラシックがよく出てくる(逆に絵画はめったに出てきませんが)ように、夏目漱石の小説を読むと随所に絵画に関する叙述がちりばめられています。漱石に限らず、文学と美術というのは案外に関係の深いものです。絵を描く小説家もいれば、その逆もある。

江戸時代の文人画もさればこそ、我々には「仲良き事は美しき哉」の武者小路実篤が有名。井伏鱒二は本格的に絵を学び水彩画の画集までありますし、詩人の金子光晴は「明治の広重」と呼ばれた浮世絵師の小林清親に日本画を習った、と言われています。池波正太郎は、山の上ホテルなどへ味のある自作水彩画を贈りました。山本周五郎はスケッチブックを携えて浦安へ移住したそうです。詩人、草野心平が描くカエルの挿画も奇抜。海外の文豪では、ジャン・コクトーの絵も味わい深いし、ヘンリー・ミラーの絵もカラフルで楽しいです。また、自身は描かなずとも川端康成の国宝級も含む美術品収集リストは膨大ですし、井上靖と平山郁夫の交遊も有名です。

さらに『芸術新潮』に写生スケッチの連載まで持っていた山口瞳、武蔵美在学中に『限りなく透明に近いブルー』を書いた村上龍、アートディレクターでもある京極夏彦は桑沢デザイン研究所を出ています。画家で作家、という逆もある。池田満寿夫は『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞までとりましたし、前衛芸術家の赤瀬川源平は小説家の尾辻克彦でもあります。

ところで、この文章は「言語」で書いています。我々の頭の中で考えていることを表現したり、他者へ伝えるためにこの便利な方法がある。一方、絵画つまり「絵」はどうでしょうか。絵を描く、という行為も自分の頭の中を表現するための方法の一つです。自分が目にした視覚情報を絵に描く。見たままを描く場合もあれば、見たもの以上の「ナニモノ」かを描く場合もあります。

絵画表現の目的は、言語化できないものを絵に描くことも含むので、言語と絵画は互いを補完する別の表現のように感じます。

しかし、実際に絵を描いてみればわかりますが、具象表現にせよ抽象表現にせよ、描き手が何を描くのか、いったん言語化してから翻訳し直し、絵画に描き起こす、というようなことがよくあります。形を再現したり、構図を考えたり、色を配置したり、といったことを言語化せず、直感的に表現することはかなり難しい。

アクション・ペインティングのジャクソン・ポロックにしても、彼自身はかなり綿密な計算の上で、アノめちゃくちゃに見える絵を描いています。不作為の偶発的なおもしろさを表現するスパッタリングやデカルコマニーにしても、どの色の絵の具をどれくらい、といった過程で何も考えない、ということはありえません。

わざわざ言語で説明し直さなければ表現者の意図が伝わらないような絵画は論外ですが、絵画でも表現者が頭の中で扱っている「言語」はひじょうに重要な要素なんじゃないか、ということです。そんなふうに、文学と美術には強いつながりがあるのかな、と感じた次第。漱石の親友であった正岡子規は「写生論」を唱え、見たままを描写し、客観的な批評に耐えうる俳句を目指しました。文学にとって「視覚」の役割は、文章表現を構築する方法にもなるわけです。
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この展覧会を観ていくと、子規と同じく漱石の作品が当時の美術表現から多くの影響を受けていることがよくわかります。折しも当時の日本画壇は、ラファエル前派やアールヌーボーなどの世紀末芸術からフォービズムやキュービズムなどの抽象表現へ移行していく過渡期であり、漱石がそれら抽象絵画に触れ、さらには今のマンガやアニメなどを見たらどういう感想を抱くのでしょうか。そういえば、漱石の孫の夏目房之介は、イラストレーターでありマンガ家でもあります。案外、おもしろがって作品の中でマンガを紹介し、辛辣な批評を展開、勢い余って自分でヘタなマンガを描き、ネット上で炎上するかもしれません。

それにしてもこの展覧会、東京芸術大学が所蔵する藤島武二、青木繁、浅井忠、黒田清輝などの作品に触れることができるように、英国や日本全国からよくぞこれほど多種多様な作品を集めてきたものだ、と感心してしまいました。個人的には青木繁の『わだつみのいろこの宮』を観ることができたのが収穫。これ、そんなに大きい作品じゃなかったんですな。

最後に、キャプションの説明に公式サイトの出品リストでは記載されている各作品の技法表記がなかったこと、『三四郎』のヒロイン、美禰子の「禰」の字が訂正されていたこと、一階から地下二階そして二階へ、といった動線でやや混乱する、といった気になる点があったことを書いておきます。

※このブログで紹介している写真は、ブロガー特別内覧会にて東京芸術大学美術館より特別許可をいただいて撮影したものです。

夏目漱石の美術世界展
会期:2013年5月14日(火)~7月7日(日)、午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)。休館日:毎週月曜日。
会場:東京藝術大学大学美術館
観覧料:一般1,500(1,200)円、高校・大学生1,000(700)円(中学生以下は無料)*( )は20名以上の団体料金。*団体観覧者20名につき1名の引率者は無料。*障がい者手帳をお持ちの方とその介助者1名は無料
チケットの取り扱い:ローソンチケット(Lコード:31113)チケットぴあ(Pコード:765-507)セブン-イレブン(セブン-コード:020-457)イープラス、JTB、主要プレイガイドほか(手数料がかかる場合があります)。
主催:東京藝術大学、東京新聞、NHK、NHKプロモーション
後援:ブリティッシュ・カウンシル、新宿区
協力:岩波書店、神奈川近代文学館、KLMオランダ航空、日本航空

※この後、同企画展は静岡県立美術館(7月13日から8月25日)へ巡回します。