イスラム世界の「クトゥブ主義」 --- 長谷川 良

アゴラ

「北アフリカ・中東諸国のテログループからアフガニスタン、パキスタンのイスラム過激派まで、その思想的母体はエジプトのムスリム同胞団だ」。中東問題専門家アミール・ベアティ氏はこのようにいう。

その思想を構築した理論的指導者はサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)と呼ばれるエジプトの作家、詩人だ。オーストリアの日刊紙「ザルツブルガー・ナハリヒテン」は7月10日付でその人物について紹介していた。そこでイスラム世界で「クトゥブ主義」と呼ばれ、20世紀のイスラム教に大きな影響を与えた思想家クトゥブについて紹介する。


クトゥブは1906月10月、エジプトのアシュート・ムーシャ村に生まれた。父親は地元の地主だった。1929年、カイロの高等師範学校に通い、1939年に教育省に入省、役人生活に入る。クトゥブの思想に大きな影響を与えたのは1948年の訪米体験といわれる。米コロラド州立教育大学などで学びながら、米国の文化を視察していく。「私が見たアメリカ」という著書の中で米国文化が物質主義であり、個人主義、人種差別などが席巻していると批判的に記述している。帰国後、教育省を辞職。そして「ムスリム同胞団」に入り、機関紙の編集長などを歴任し、まもなく理論的指導者として頭角を現す。ムスリム同胞団が1954年、ナセル大統領暗殺未遂事件を起こし、クトゥブも逮捕される。一時釈放されたが、1966年8月29日、処刑され、還暦を迎える直前に生涯を閉じた。

クトゥブはコーランを独自の視点から解釈し、アラーは如何なる主権、民主主義より上位に位置する絶対的な主体者と見る。そして、全ての権威は神から起因する。だから、その教えの行き着く先はシャリアだ。イスラム法に基づいた国家つくりということになる。

ザルツブルガー・ナハリヒテン紙は「彼の思想はイスラム教のユートピアであり、ロマン主義的社会主義、ネオ清教徒イスラム教だ」と評している。同時に、クトゥブの思想には反ユダヤ主義が深く刻み込まれていることから、イスラム教世界の反ユダヤ主義に大きな影響を与えているという。

彼の思想はアルカイダの創始者ウサマ・ビンラディンやアイマン・ザワヒリ、ナイジェリアの「ボコ・ハラム」、ソマリアのアル・シャハブ、フィリピンのモロ・イスラム解放戦線(MILF)など世界のイスラム過激テログループに影響を与えている。そればかりか、シーア派のイランのホメイニ師もスンニ派のクトゥブの著書を高く評価していたといわれるほどだ。

米国社会で目撃した物質主義、個人主義がクトゥブをしてイスラム教への帰依を深めさせていったわけだ。いずれにしても、世界のイスラム・テログループの思想的バックボーンとなった「クトゥブ主義」が米国文化への強烈なアンチ・テーゼとして生まれてきたという事実はとても興味深い。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年7月14日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。