「正社員」という奴隷制

池田 信夫

非正社員を5年雇ったら正社員(無期雇用)にしなければならないという厚労省の規制は、大学の非常勤講師などに差別と混乱をもたらしているが、厚労省(の天下り)はこれを「ジョブ型正社員」と呼んで推奨している。ジョブの反対は「メンバーシップ」らしいが、これは私が1997年に出版した本で提示した概念を誤用したものだ。


メンバーシップの対義語は、資本主義の原則としてのオーナーシップ(所有権)である。ハートが明らかにしたように、雇用契約という奇妙な長期契約が結ばれるのは、近代社会では奴隷が禁止されているからだ。もし(19世紀まで大規模に行なわれていたように)個人を奴隷として売買できれば、普通の商品と同じように必要なら買い、不要になったら売ればいいので特別な契約は必要ない。

しかし近代社会では、個人は「譲渡不可能な人権」をもつ建て前になっているので、人的資本を所有することはできず、労働サービスを提供する長期契約を結ぶ。通常の民事契約では両者は対等なので、労働者は資本家の命令を拒否できる。このような交渉問題をなくして命令系統を明確にするために、資本家が物的資本の所有権を通じて間接的に労働者を支配する制度が資本主義である。

雇用契約では、資本家の所有しているのは物的資本であって人的資本ではないが、労働者は物的資本にアクセスできないと仕事を失うので、資本家の命令を聞かざるをえない。つまり資本主義とは、新古典派の描くような等価交換の市場経済とは異なり、資本家が労働者に命令する権力の配分メカニズムであり、資本主義は見かけ上は平等な市民社会に軍隊的な命令系統を持ち込む制度なのだ。

これに対して、日本のメンバーシップ(会員権)型の雇用は、サラリーマン経営者と労働者の共同体であり、彼らに命令する資本家がいない(個人株主の影響力は最小化されている)。ここでは正社員は、資本の所有権ではなく、辞めると再就職できないという退出障壁で会社に閉じ込められる。そのタコ部屋のことを、私は「資本主義の否定」という意味でメンバーシップと呼んだのだが、厚労省にとっては美しい日本的雇用なのだろう。

欧米型の雇用契約はプリンシパルとエージェントの主従関係にもとづいているので、主人の目を盗んで怠けるエージェンシー問題が重要だが、日本は仕事に手を抜くと「村八分」になって左遷される長期的関係で強く動機づけられているので、労働者は自発的に長時間労働し、エージェンシー問題はほとんど発生しない。

つまりフーコーが指摘したように、欧米の企業は規律=訓練で統合された擬似的な軍隊であるのに対して、日本の正社員はメンバーシップ=長期的関係という「見えない鎖」でつながれた擬似的な奴隷制なのだ。だから小池和男氏などの調査でもわかるように、日本のサラリーマンは会社がきらいだが、効率は高い。Fogelの有名な研究でもわかるように、自由を奪われた奴隷は、檻の中でなるべくいい待遇を得ようと果てしなく努力するからだ。

ゲーム理論による説明は拙著(無料)を読んでいただきたいが、このような「自発的奴隷制」が機能するのは、定年まで働いて得られるレントが大きく、外部オプション(転職機会)が小さいときに限られる。グローバリゼーションはその条件を掘り崩し、日本企業の競争力を失わせている。だから問題は非正社員を「準正社員」に登用することではなく、正社員という名の奴隷制を廃止することなのだ。