厚生年金基金無用論に対する反論

森本 紀行

 厚生年金基金の社会的意義については、大変に残念なことに、国民一般の十分な理解が得られていません。そもそもが、制度自体の仕組みや歴史的背景について、少数の専門家しか知らないのですから、表層的な現象が無理解に基づく否定的な見解を生むことも止むを得ないのです。そこで、典型的な基金批判に対して、公平な視点からの反論を試みてみます。


不当極まりない厚生労働省の手法
 
 厚生年金基金については、代行割れという言葉が一人歩きしていて、多くの人は、その代行割れの意味も背景を十分に理解することなく、それが直ちに国民負担に直結するとの連想のもとに、廃止が望ましいというふうに誤解しているのだと思われます。
 加えて、いわゆる天下り批判のなかで、基金の常勤役員に旧社会保険庁出身者の多いことが問題視され、また、一部の基金における杜撰な管理体制が露見し、さらには、大きな損失を出した投資詐欺事案に少なからざる基金が巻き込まれたことからは、資産運用管理体制の脆弱さが問題とされるなど、社会的批判のなかで、基金の立場は非常に弱いものになっています。
 しかし、代行割れは、資産運用の欠陥から生じたものではなく、ましてや、基金の事務局の管理体制から生じたのでもありません。代行割れは、現在の基金制度が内包する構造から生じたものであり、しかも、厚生労働省の定めた一方的な定義に基づく認定にすぎず、制度設計の適正な修正によって合理的に解消可能なものなのです。
 ところが、厚生労働省は、より深刻で大きな問題である厚生年金本体に対する対策として、高度な政治判断のなかで、基金を利用するという狡猾な戦法を用いました。つまり、基金制度に本質的な治癒不能な欠陥があるかのような議論を展開することで、基金に著しく不利な世論の形成に成功してしまったのです。そして、政治的にも、巧みに与野党の支持を取り付けて、基金廃止の方向性を含む法律改正を実現したわけです。
 政治の問題として、確かに、一つの大きな政策の強行のためには、相対的に小さな政策課題が犠牲になることは避け得ないでしょう。我々が許し得ないと感じていることは、厚生労働省がとった卑劣な方法です。厚生年金基金の社会的な意義を全て捨象し、厚生年金本体の問題についての正当な説明もなく、不当不正な世論形成に基づいて強引に押し切った手法は、国民を欺くものです。
 加えて、我々は、厚生年金基金についての正しい理解が国民のなかに広がれば、必ずや、安易な基金廃止論は退けられると信じています。技術的に、事実上の廃止に替わる制度改正は十分に可能であり、そのことによって、国民負担は増大するどころか、逆に、削減される可能性すらあるだろうと考えているのです。
 ですから、無理解や誤解に基づく基金批判には、丁寧な反論を試みたいわけです。

 
管理体制不十分という批判
 
 厚生年金基金は、事実上、同一業種に属する中小零細企業によって、業界団体等を母体として、設立されている総合型厚生年金基金のことです。ゆえに、設立母体の規模に依存して、厚生年金基金の規模にも著しく差があります。
 客観的な事実認識として、規模の小さすぎる基金で、設立母体の雇用の状況に鑑みたとき、加入員の増加が見込まれない(あるいは、減少すら見込まれる)ものについては、管理体制の問題以前に、持続可能性についての疑義や構造的非効率を認めないわけにはいきません。管理体制についての批判は、事実上、これらの小規模基金についての批判なのです。
 この問題については、次の点を指摘しておきたいと思います。
 第一に、存続基盤の脆弱な小基金を除いてみれば、多くの基金は、業務運営に必要な十分な陣容を整え、しっかりした事務局の体制をもっています。これらの基金には、管理体制が不備であるという批判は全く当たりません。
 第二に、これら小基金については、統合を進めるなどの改革が可能です。事実、例えば、同一業界で地域ごとに分かれていたものを全国統合するなどの努力の動きがありましたし、今後とも、行政の指導も含めて、再編を進めていけばいいのです。この問題は、基金制度の本質にかかわるようなものではなく、改善可能な技術論にすぎません。

 
杜撰な管理体制が招くとされる事故への批判
 
 非常に残念なことですが、事実としては、複数の基金において、横領等の事故があったわけです。しかし、これは、どの世界にもある一部の人の例外的な逸脱行為です。特に、厚生年金基金において事故の発生頻度が高いというような統計的事実があるとは思えません。
 事故背景には、監督官庁である厚生労働省の検査等の不備があるのは明らかです。ところが、その当の厚生労働省は、自らの監督不行き届きを反省することなく、監督責任を放棄して、いきなり制度廃止論を主張するわけですから、いかにも無責任の極みです。このような問題については、監督と検査の強化で対応すべきです。
 なお、資金の不正な流出ということが起き得ないように、大切な年金掛金については、制度を受託している金融機関の厳格な管理のもとにおかれるようになっています。不正が起きるとすれば、基金運営経費に関することで、年金財政本体へ影響を与えるものではありません。
 その意味で、長野県の基金で起きた事案は、年金本体の資金を事務長が横領したとされるものですから、関係者に与えた衝撃は大きかったのです。逆にいえば、それほどに異常な事案であったわけで、断じて、基金の管理体制を象徴するようなものではないのです。

 
存立基盤が崩壊しているという批判
 
 母体となっている業界団体の経営環境が激変しており、もはや業界として基金を維持することが困難となっているなかで、基金の解散や基金からの任意脱退に大きな制限のあることは、加入各社の利益を不当に損なっているという批判があります。
 確かに、業種ごとに厚生年金基金が作られている以上、特定の産業を直撃する構造変化には、制度的に弱いのは当然です。産業全体として構造的な衰退に向かうときは、繁栄していたときの加入員が大量の年金受給者として残る一方で、現役の加入員が少なくなっているので、財政的には制度の維持が難しくなります。
 しかし、厚生年金全体の現役の加入員と年金の受給者は、厚生年金本体と厚生年金基金に分属しているだけで、雇用の産業間における再配置が起きても、日本国全体としての均衡は崩れないわけです。ゆえに、制度的な工夫として、個々の基金に生じる人員構成の歪みは、厚生年金本体との間で合理的な掛金負担の調整をすることで、厚生年金全体のなかで合理的かつ公正公平に吸収可能です。そうすることで、国民全体としての厚生年金の国民負担は、理論的に少しも変わりません。
 このような調整を代行の中立性というのですが、基金関係者は、完全な代行の中立性を確保できるように制度改正をすることで、問題は解決可能だと主張してきています。それに対して、厚生労働省は、面倒な制度改正の努力を怠慢により放棄し、安直極まりない基金制度の廃止と厚生年金本体への統合によって、問題を切り捨てようとしているだけなのです。
 当然ですが、代行割れというのは、代行の中立性のもとでは、理論的に解消可能です。つまり、代行割れ問題というのは、厚生労働省が、厚生年金本体に有利なように基金の財政基準を定めたことから、基金側に生じた損失なのであって、厚生年金全体のなかで、厚生年金本体との間で中和されるべきものなのです。
 母体団体の状況によって存立の基盤が消滅している基金もありますが、そのような基金まで無理に存続させようとは、誰も思っていません。むしろ積極的に、解散等の処置を講ずるべきでしょうし、特例解散における連帯債務も廃止したらいいのです。事実、そのような方向へ制度改正が行われているわけですから、それで、いいはずです。
 我々の一貫した主張は、一部に存立が困難な基金があり、そのような基金の解散が不可避であるということが、どうして、厚生労働省においては、厚生年金基金制度全体の廃止論になってしまうのか、それは、あまりにも出鱈目な一般化の暴論であろうということです。

 
素人の資産運用という批判
 
 厚生年金基金の資産運用は、法律により、運用の専門家である外部の投資運用会社等に委託することが義務付けられています。基金の資産運用というのは、資産運用の専門家を上手に使うことであって、そこには、資産運用の高度な専門的知見など、最初から求められていません。それが制度の前提です。
 事実として、大規模な投資詐欺事案の被害者となった基金が少なからずあったことから、基金には、詐欺師と専門家を見分ける常識すらないではないかという批判はあり得るでしょう。もっともな批判のようですが、公平にみて、専門家の外貌を装った詐欺師の力量(変ないい方ですが)もみすごせません。いずれにしても、金融面での改革を踏まえて、詐欺の再発を防止するような手当がなされるべきことであり、事実として現になされた以上、このことから基金不要論へつなげることは、無理があると思われます。
 また、基金全体の資産運用実績については、厚生年金本体の運用成績に劣後するという事実はありません。真剣な資産運用の努力を行っている多くの基金では、厚生年金本体の運用成績を上回る実績をあげています。基金に運用能力がないという主張は、全く根拠のないものです。
 

天下りの巣窟という批判
 
 天下り批判全体についていえることですが、役人出身者が全て不適格者であるという主張は、全くもって許容し得ない暴論です。要は、個人の資質の問題です。民間の企業でも、適格性を欠く人が重要な職務についているのは、普通にあることです。
 私の長年の経験では、一方で、確かに社会の批判のように、これはどうかと思う役人出身者もいました。しかし、他方で、非常に優秀で熱意をもって職務に取り組まれてきた多数の役人出身者も知っています。私は、自己の経験に基づいて判断する限り、一般論としての天下り批判に与し得ません。
 なお、厚生年金基金制度は、国の厚生年金を代行することから、その管理者には、高度な社会保険の知識が要求されます。このことが、多くの社会保険庁出身者が基金にいる背景にあるわけで、その限り、天下りに一定の合理性があることも忘れないでいただきたい。
 また、これは、いわずもがなのことですが、社会保険庁出身者への批判には、基金問題に先行して社会的な大事件になった年金記録問題が強く影響しているわけで、少し公平性を欠く世論形成になっていることにも、ご留意いただきたい。もしも、厚生労働省が自己の失態を基金廃止によって清算しようとしているのならば、これは、到底許し得ない責任の付け替えです。
 

別の制度に置き換えればいいという主張
 
 厚生年金基金には、非常に多くの小企業と零細企業が加入しています。これらの小規模な企業については、厚生年金基金と同等の制度は、現状ありませんし、将来的にも、作ることは難しいと思われます。もしも、厚生年金基金を止めてしまえば、これら企業の従業員は、全く異なる考え方の制度に入るしかありません。それでは、現在の制度で守られている権利を保全することはできないのです。
 それに、一度制度を清算して別な制度へ移行するときは、旧制度消滅時に将来の年金受給権が失われます。これは、非常に重大な受給権の侵害です。受給権の保全こそが厚生労働省の監督責任の実質的な中身のはずですが、その受給権の侵害を厚生労働省の旗振りのもとに行うというのは、これはもう、法秩序を揺るがし、国家の信用を毀損するものだとしか思えません。
 

将来の国民負担の増大を招くという主張
 
 厚生年金基金の存続が厚生年金にかかわる将来の国民負担の増大を招くという主張については、上に述べたように、全く根拠がありません。加えて、厚生労働省が早期に厚生年金基金を厚生年金本体へ統合することに利益を見出しているとしたら、それは、現状においては、基金の側に相対的な優位のあること証明するものです。

 
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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