「みのもんた」事件は「情けない日本社会」の象徴である

北村 隆司

それにしても「みのもんた」バッシングは行き過ぎだ。

たかが「タレント」の問題に目くじら立てる方が子どもだと言えばそれまでだが、この「バッシング」のしつこさを目の当たりにすると、日本で意地悪な子どもが増えるのも無理ないと思った。

この問題について、小幡績先生が「著名司会者の降板について」と言うアゴラ記事で「批判があるなら、堂々と、正面からしないのか。彼が勢いがあるときにこそ、しないのか。それが日本なのか。 情けないし、つまらない社会だ」と指摘されたが、誠にその通りである。


このバッシングは、番組中に起こったと言う女子アナへのセクハラの疑いとは関係なく、次男が起こした事件を機に、高額な出演料、鎌倉の豪邸、「朝ズバ」での彼のスタイルや傲慢に見える(らしい)日頃の態度などに対する「反発」「嫉妬」「怨嗟」などが、一気に爆発した「いいがかり」であることは間違いない。

しかも、バッシングを煽っている筆頭が名誉毀損訴訟「敗訴」で頭抜けている「週刊新潮」と「週刊文春」だと聞くと、その動機はますます胡散臭い。

「週刊ピラニア」か「週刊ハイエナ」に名前を換えた方がぴったりするこれ等の週刊誌がのさばる原因には、読者層の程度が低い事と、名誉毀損訴訟で敗訴しても出鱈目記事を書いた本人には全く影響がないどころか、出鱈目記事で販売部数が伸びればボーナスや給与が上がりかねない現実がある。

メディアと言うものが、池田信夫先生の「検閲より商売 – 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』」と言う記事の通りだとしても、これでは報道の自由の陰に隠れた「虚偽商売」である。

記者もプロである。他のプロ社会で「不祥事」を起こせば、一定期間の「出場(出勤)停止」とか減給など個人に責任が及び、交通事故でも運転免許停止が当たり前の社会で、出鱈目記事を書いて名誉毀損訴訟で敗訴した記者に「執筆停止」処分が下らない方がおかしい。

息子を縁故採用させたとして非難する向きもあるが、これも「お門違い」で、採用後に能力がないと判れば解雇すれば良い話で、悪いのは役立たずでも解雇できない「正社員」制度である。

しかも、採用を決めるのは「会社」であって「みのもんた」ではない。報道の自由と独立を掲げ社会的に特別の「庇護」を受けているマスコミの幹部が, 「みのもんた」が大株主だからと言ってその圧力に屈するとしたら、「報道の独立」の看板を下ろすべきだ。

バッシングが酷くなったのは、次男が事件を起こした時に、型通りに「不徳の至り」と頭を下げなかった事が原因だと言う説もある様だが、自分で不正を働きながら記者の前で頭を下げて「カシャッ、カシャッ」と写真を撮られるのが嫌だったので、人前では頭を下げなかったと豪語したのが、ニューヨーク駐在中の横領疑惑で某テレビ局を退社した元アナウンサーだ。

彼は、勘定科目等に虚偽記載が行われることが,財務諸表の虚偽記載につながる事を知ってか知らずにか、不動産会社の人間に、会計帳簿の不実記載や仮装隠蔽させた経過を、自分のブログに得意げに書いてバカ受けしていると言う。日本は不思議な国だ。

彼の言う処では、局アナは超難関職種でしかもキー局になると倍率は凄まじいものがあり、自分はその難関をトップで通過したと言う自慢話のあと、合格の秘訣が「顔」「声」「自己紹介」だとある。
なるほど、日本のマスコミの質が低下するのも無理はない。

英語もできず、自宅の設定も一人で出来ないと自認する人物を、NYに駐在させ取材させる事自体に無理があり、これでは「やらせ取材」は終らない。

そんなニュースを流される視聴者の迷惑を局側はどう思っているのだろうか?

「みのもんた」や「元アナ」事件そのものはどうでも良いが、この種の事件が頻発し「見当違い」な価値判断が横行する日本の世相には「 情けないし、つまらない社会だ」と言う小幡先生に同感を禁じ得ない。

2013年11月12日
北村隆司