カトリック教会「日本の信者は教会の教えに無関心」 --- 長谷川 良

アゴラ

世界のローマ・カトリック教会の司教会議はローマ法王フランシスコの要請を受け、「家庭と教会の性モラル」(避妊、同性婚、離婚などの諸問題)に関して信者たちにアンケート調査を実施したが、日本のカトリック信者を対象に同様の調査が行われ、このほどその結果が明らかになった(世界各国司教会議が実施した信者へのアンケート結果は今年10月5日からバチカンで開催予定の世界代表司教会議で協議される)。


バチカン放送独語電子版が2月20日に掲載した日本司教会議の報告によると、「日本のカトリック信者はモラルに関する教会の教義を知らない」というのだ。婚姻前の性生活や避妊道具の使用などについて、日本のカトリック信者は「まったく罪意識がない」という。カトリック教義では、避妊ピルやコンドームの使用は禁止されている。教会の聖体拝領に対しても多くの信者は「まったく無関心だ」という。

日本司教会議関係者は「教会の教えと信者の現実の間には大きな亀裂がある」という。信者たちは教会の性モラルについて教会関係者と話し合うということもない。若い信者の場合、両親の願いで幼少時代に洗礼を受けたが、信仰に対する確信はまったくないというのだ。最近は、信者の間で同性愛者への寛容が広がり、カトリック信者と非信者間の結婚が増加してきている。

日本司教会議の真摯な分析には感動するが、日本の信者を対象とした調査結果をみて、驚くというより、「それではなぜ、教会に留まっているのか」という素朴な疑問が湧いてきた。教会の教えを無視、関心も持たないというならば、通常の概念からいえば、信者とはとても言えない(日本司教会議によると、同国では約44万人の信者がいる。全人口で0・5%にもならない)。

司教会議の調査結果は特別驚くべきことではないが、それにしても、日本ではキリスト教が根を張らないのはどうしてだろうか。「日本の風土にはキリスト教のような唯一神教は合わない」という声をよく聞く。森羅万象から神性を感じ、それを拝する日本人は、遠藤周作が主張していたように、父親のような厳格な宗教(砂漠の宗教)ではなく、母親のような包容力のある宗教を求めているからだろうか。

蛇足だが、キリスト者だった日本の政治家は、良く知られている処では現職中に病死した大平正芳元首相(聖公会)、そしてカトリック信者で初の首相となったのが麻生太郎現副首相兼財務・金融相だろう。

その麻生氏はホテルのバーで酒を飲むことが日曜日の礼拝参加よりも好きというから、教会の教義には関心の薄い平均的な日本のカトリック信者の一人なわけだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年2月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。