まず日米の最高裁判決の内訳を比較してみた。1ページあたりの情報量もエーリオ判決の方が多いので、実際にはもっと開きがありそうだが、手っ取り早いページ数で比較すると下表のようになる。
エーリオのサービスに対して著作権侵害を認めた法廷意見(多数意見)は18ページと、7ページのまねきTV判決の倍以上となっている。そして、判決がイノベーションに萎縮効果をもたらすおそれは少ないとの説明((その2) 参照)に3ページを割いているが、まねきTV判決にはそうした説明はない。
法廷意見のようにケーブルテレビに類似したサービスを提供しているという漠然とした基準で侵害と判定するのは、イノベーションに対する萎縮効果を招くおそれがあるとの理由で、法廷意見(6人の判事が賛同)に賛同しなかった反対意見(3人の判事が賛同)も13ページとまねきTV法廷意見の倍近い。
まねきTV判決は5人の判事が全員賛成したため反対意見はないが、法廷意見にもエーリオ判決のような萎縮効果に対する配慮はなかった。最高裁判決は司法の最終判断なので、そのインパクトは大きく、結論が1人歩きする傾向があるのは日米とも共通している。
ユーザーが購入した音楽や映像をクラウド上に保存し、様々な端末で視聴できるクラウドサービスでも米国が先行しているが、日本ではまねきTV判決の影響もあって、著作権法違反のおそれが払拭できない。筆者が「『まねきTV事件』最高裁判決でクラウドも国内勢全滅の検索エンジンの二の舞か?」 で懸念した事態が顕在化している。資源に恵まれない日本こそ資源を共有できるクラウドサービスの必要性は高いにもかかわらず、資源を浪費しているわけである。
このため、政府の規制改革会議が規制の見直しを提案、現在文化庁で検討中だが、こうした事態を招かないためには、米国のように法廷意見にも判決がイノベーションに萎縮効果をもたらし、公共の利益を損なうことのないような配慮が必要である。
日米の判決を読むことが多い筆者は、まねきTV判決にかぎらず日本には、木で鼻をくくったような判決が多く、米国にはよくある、長くても先が早く読みたくなるような判決にお目にかかった記憶はまずない。
元裁判官の瀬木比呂志氏が最近、「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を出版した。瀬木氏は「はしがき」で、理不尽な紛争に巻き込まれ、やむをえず正義を実現しようとして、裁判所に行くと、何度も和解の説得をされる点を指摘した後、以下のように続ける。
また、弁護士とともに苦労して判決をもらってみても、その内容は、木で鼻をくくったようなのっぺりした官僚の作文で、あなたが一番判断してほしかった重要な点については形式的でおざなりな記述しか行われていないということも、よくあるだろう。
こうした日米の相違をもたらす理由は何か?その手がかりはエーリオ判決からも読み取れる。米国の裁判所が採用している法廷助言制度である(その2)で紹介したとおり、当事者以外の第三者が裁判所に意見を提出する制度、裁判所側からすると、判決に衆知を集める制度である。
エーリオ事件も放送・通信業界の行方に大きな影響を及ぼす裁判だけに30件の法廷助言が提出されたが、法廷意見、反対意見とも法廷助言を参考にしている。合衆国政府はエーリオの著作権侵害を認めるべきだが、それがクラウドサービスを違法化することにはつながらないと助言した。法廷意見はこの助言を参考にしている。反対意見は現行法の想定していなかった新たな事象に対しては、新たな立法によって対処すべきである、言い換えれば、「新しい酒は新しい革袋に」と結論づけたが、複数の法廷助言者が同様の助言をしている。
筆者は「著作権法がソーシャルメディアを殺す」「著作権法がソーシャルメディアを殺す」 第7章で、司法による著作権法改革の具体策として法廷助言制度を提案したが、今年はじめ、知財高裁は特許訴訟の争点についての意見を公募した(特許訴訟で衆知を集める知財高裁(その1)参照)。日本では初の試みだったが、米アップル日本法人と韓国サムスン電子の特許の使用条件をめぐる裁判で、争点が欧米でも注目されていただけに、国内と欧米7カ国から計58件もの意見が寄せられた。
5月に出された判決は最後の「「意見募集」において寄せられた意見ついて」で、意見の概要を3ページにわたって紹介した後、以下の謝辞で結んだ。
意見の中には,諸外国での状況を整理したもの,詳細な経済学的分析により望ましい解決を論証するもの,結論を導くに当たり重視すべき法的論点を整理するもの,従前ほとんど議論されていなかった新たな視点を提供するものがあった。これらの意見は,裁判所が広い視野に立って適正な判断を示すための貴重かつ有益な資料であり,意見を提出するために多大な労を執った各位に対し,深甚なる敬意を表する次第である。
5年を経過した裁判員制度も、性犯罪の量刑などに市民感覚が反映されているようである。刑事事件だけでなく民事事件も対象とする米国の陪審制度と異なり、日本の裁判員制度は対象が刑事事件にかぎられている。しかし、「裁判所が広い視野に立って適正な判断を示す」必要性は刑事、民事を問わないので、法廷助言制度の本格的な導入を提言したい。
城所岩生(米国弁護士)