安倍首相の「援助交際外交」:日印首脳会談は大失敗

站谷 幸一

「誰もがインドに恋をするが、インドは決して恋に落ちない」(注1)

9月1日、日印首脳会談が実施され共同文書が発出された。本稿ではこれが安全保障上は大失敗の内容であり、3.5兆円もの「援助交際外交」でしかないと論じるものである。


1.モディ首相の得失:大成功
外務省の発表と日印共同文書からみられるモディ首相の得失は以下の通り。

利益
・3.5兆円の援助(ODAを含む官民投融資)
・日本という対中における政治交渉及び安保牽制カード
・対イスラムテロ連携国の獲得
・対イランアフガン外交の手駒獲得
・国連改革の連携確認
・LNG連携国の獲得
・日本の環境・インフラ技術獲得
・新幹線購入とは別に技術獲得、日本の高度技術の獲得
コスト
・特になし。リップサービス。

見事なまでの大勝利である。
経済的には、3.5兆円という対中ODA総額に匹敵する援助を一気に引き出し、日本の保有する科学技術を数多く供与される成功を導き出した。しかも、対中ODAが何十年もの総額に対し、僅か5年で3.5兆円もの援助がおこなわれるのである。

政治的には、テロとの戦いで日本と合意し、日本を引きずり込むことに成功し、アフガン・イラン外交でも共同歩調をとることを確認し、これによりインドの重視する隣国である両国外交の手駒として日本を手に入れたからである。

何よりインドが対中牽制カードとして日本を入手したことは大きい。
何故ならば、(1)安倍政権の性格からして、日中関係の好転はかなり難しく、インドを裏切ることはない(11月のAPECで首脳会談に成功しても好転には程遠く、暗転のリスクばかりがある)、(2)他方、後述するがインド側は中国との関係が良好で行動の自由があるからである。

つまりモディ首相はいつでも捨てられる、しかし裏切らない対中カードを手に入れたのである。このことから今後もモディ首相は対中交渉のカードとして日本を上手く利用するのは間違いない

他方、共同文書を見る限り、モディ首相はほとんど対価を払っていない。その理由は安倍首相が得たもの、失ったものを見てみよう。

2.安倍首相の得失:大失敗
利益
・モディ首相のリップサービス
・LNG連携国の獲得
・国連改革の連携確認
コスト
・3.5兆円もの大金
・日本の誇る先端技術
・インドの対テロ戦争、対イラン、対アフガン外交に巻き込まれるリスク
・2+2創設に失敗(引き続き検討)
・原子力協定は見送り
・新幹線売り込みに失敗
・インドを対中牽制カードにすることに失敗

見事なまでの大失敗である。
まずは3.5兆円もの大金をインドに向こう5年で献上したことである。ODAを含む官民投融資であるので、むろん全額が政府援助ではないが、日本国民一人当たり2.3万円もの金額を自分の金ではないからといって気安くばらまいてよいのだろうか。また、民間投融資が集まらなければ、必然的に我々の租税からインドに献上しなければならない。

見合った見返りがあればよいのだが、それはほとんどない。であれば、この金額分の減税なり国内への投資を行うべきであったろう。そうであれば、日本の自力の経済力は高まり、放置しておいてもインドはこちらに来るからだ。

それでなくても、小笠原諸島沖に海保5隻しか展開できず、中国漁船の跳梁を許している現状であれば、即時、海保と海自の人員と船舶強化なり、裏切る心配が少ないフィリピンやベトナムに回すべきだろう。イージス艦を35隻購入できる大金に見合った使い方をすべきだったのである。

また、幹細胞等の先端技術で共同研究を行うとのことだが、日本の技術がこれら分野で優位にあることを考えれば、実際は日本の技術をインドにくれてやるに等しく、とんでもない行為と言えよう。

対テロについても同様に問題だ。安倍首相は気安くインドの対テロ戦争に賛意と協力を示したが、これで日本はインドの対イスラム戦争に関与したことになる。勿論、頭ごなしに否定しないが、それに見合った利益があるのだろうか。不用意だったとの誹りは免れまい。

特にイラン及びアフガニスタンでインドとの共同歩調を約束したに等しいが、これは日本のアウトリーチを超えるものであるし、米欧の複雑怪奇な外交交渉が展開されている以上、かなり危うい判断である。そんな余裕は我々の祖国にはないと思うが。

また、売り込みでも安倍首相の目論みはことごとく外れた。日印原子力協定は見送りになったし、新幹線も購入してくれなかった。しかし、安倍首相は、新幹線システムを導入するための資金面、技術面及び運営面での支援を提供する用意があることを表明した。JR東海はこれでよいが、我々国民はたまったものではない。新幹線残して国滅ぶである。

このように安倍首相はコストばかり支払ったのである。

3.インドは対中牽制カードにならず:安倍首相の無能の証明
勿論、対中牽制カードが手に入るのであれば、負担に見合っているかはともかく、一定の評価は出来た。だが、今回、「日本側」が対中牽制カードを入手できたかは怪しい。理由の第一は、既に述べたように2+2は先送りになり、原子力協定も進まず、安全保障協力はほとんど進まなかった。

もうひとつの理由は、現在の中印関係は危機管理メカニズムが構築される等かなり安定的かつ危うさを含みながらも良好なものであり、所詮、日本はあて馬でしかないということである。

ここで読者からは異論があるだろう。言いたいことは百も承知である。
確かに中印間には、真珠の首飾りに代表されるインド洋を巡る勢力圏争いの駆け引き、中印陸上国境を巡る見解の相違や度重なる中国側の侵犯行為はある。

が、そうした対立が深刻化することを両国は望んでいないし、防止する為の措置が行われているのが事実なのである。政治的には、2013年10月23 日、中印間の「国境防衛協力協定(BDCA)」の署名が行われる等、中印関係は相互不信と緊張を抱えながらも進展している。実際、ワシントンの専門家の間では「意外とインドが中国にバランシングしてくれない」という肩すかし感の感想が多い。

中印関係の親密さを語るには、9月17日の習主席がインド訪問が外せない。この際、習主席はモディ首相から安倍首相以上のかなりの厚遇を受けている。

具体的には、
・モディ首相の誕生日に、しかも早くも二度目の会談
・今後5年間で中国がインドを中心とする南アジア地域 に計500億ドル(約5兆4千億円)規模の投融資をする計画を明らかにした
・モディ首相が州のトップ在任中に整備した川辺の公園で、一緒にブランコに乗る等、異例の親密さをPR
・会談中に中国軍が国境を侵犯したが影響なし
である。つまり、日本以上の金額と親密さを安倍首相との会談後にやったのである。これを普通は「安倍首相は間抜けにも当て馬なり踏み台にされた」と言う。とてもインドが我が国の対中牽制カードになっているとは言えない。

そもそも、モディ首相は「印日中が協力すればアジアの世紀が実現」と常より喝破しており、日本側の安易な思惑にのるはずがないのである。安倍首相の大失敗である。

4.結論
安倍首相は多大な血税と技術を献上したが何も得られず、逆にモディ首相は安倍首相以上の親密さを習主席と見せつけ、日本以上の資金も得た。

ここで大事なことはモディ首相はいつでも安倍首相を裏切れるが、安倍首相はモディ首相を裏切れないということ事実だ。

安倍首相には、もはや大国の友好国はいない。オバマ大統領とは首脳会談すら行わなくなり、プーチン大統領はすがりつく関係である。日中首脳会談を11月に実施したとしても、それはマイナスをゼロにするだけでしかない。

逆にモディ首相は引く手数多で友人に事欠かない。故に安倍首相はモディ首相に献金するしかなく、モディ首相はいつでも安倍首相をダシに中印関係を進展させられるのである。

「皆がインドと恋に落ちるが、インドが恋に落ちることは決してない」とは良く言ったものだが、こうした国に安易に飛びついた時点で、安倍首相の外交的な失敗は明らかだろう。

フィナンシャルタイムズ紙は、日印首脳会談当日に「まるで長く待った逢瀬の約束を見せびらかす恋人同士のようだ」と書いた。
だが現実は、ボンボンのネット右翼のおっさんが、子供の貯金からお金を奪って、若い女子高生に大金を貢いで、タリーズでお茶してもらったに過ぎない。

これを言い過ぎという人間もいるだろう。だが私は自分には珍しく的確な表現だと思っている。

何故ならば、増税と借金を行うことで将来世代の未来を奪って、無責任に効果が乏しい援助を他国にばらまくことが、子供の小遣いを奪って援助交際することと何が違うのだろうか。まさに鳩山政権がかわいく思えてしまう無意味なばらまきだ。

もっと防衛費なり近隣の裏切る心配の低いフィリピンやベトナムなどへの援助に回すべきだ。かくも無能極まりない安倍首相は可及的速やかに辞任するべきだし、安倍首相のかくも破廉恥な「援助交際外交」を停止するべきだ。

少なくとも、国民一人当たり2万3千円をほとんど見返りなきままインドに渡すべきではない。

現政権は総額で兆円単位を世界中でばらまいているが、これは明らかに日本の国力を無視した外交だ。安倍首相は、所詮、鳩山元首相を右翼にしただけの「井上馨の再来」「安全保障のド素人」でしかないことを認識すべきだろう。

注1
私の記憶が確かならば、スコウクロフト将軍の言だったと思うのですが、今回、出典を探してみたものの見つからなかったので、ご記憶の方は教えていただければ幸いです

付記
この内容を執筆中に岡崎久彦氏の訃報に接しました。
中学時代以来、彼の本を耽溺し、その後、訪米したことで彼の考えから別離し、最近ではふと読み直しています。岡崎久彦の外交評論って、最初に傾倒し、その後評価が低くなり、最終的に味というか、その時代的な限界と先駆性がわかってくるものなんですよね。いわばサントリーの角瓶ウィスキーのような存在。

いろいろ実務的、大江志乃夫のような歴史学、または現在等の様々な視点から批判はできますし、私もやや批判的な立場ですが、やはりある種の時代を象徴した人物であり、文章が物語るように茶目っ気のあるおじいさんだったと思います。一回お会いしてみたい人物でしたが、もはやそれもかなわじ。
合掌。

参考文献
外務省「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」

站谷幸一(2014年10月28日)

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