福翁自伝の以下の一節を読んだ時、ふと司馬遼太郎を思い出した。
福沢が咸臨丸でアメリカに行った時のこと、
或るアメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしていますか」と尋ねたところ、その人が答えて「ワシントンの子孫には確か女(むすめ)がいたはずだ。今どうしているか知らない。何でも誰かの内儀になっているはずだ」と冷淡な答でまるで無関心だ。これは不思議だ。以上「福翁自伝」から 旺文社文庫「福翁自伝」P146
日本では家康の子孫が代々日本の支配者として君臨しているのに比べて何という違いかと福沢は感に耐えた。
同じ話を司馬は、「明治という国家P232」の中で勝海舟と坂本竜馬の会話として取り上げている。司馬は「福翁自伝」の内容を竜馬に置き換えたのだろうか。残念なことに司馬は典拠を明らかにしていない。作家はこれだから困る。出典を一々明示する必要がないと考えている。
ある時竜馬は勝に「ワシントンの子孫はどうなっていますか」と訊ねました。竜馬は(横井)小楠以上に頭の働きが早くしかも刻々頓悟するところがありました。中略
「それは下駄屋をやっているのか、靴屋をやっているのか俺は知らない。アメリカ人も知らないだろう」と言うと竜馬は「はあぁ」と頷く。つまりどこかでワシントンは家康だと思っていたのです。竜馬はそれだけでアメリカの体制がわかってしまうところがある。以上引用
小説なら話をおもしろくするために福沢の話を竜馬に差し替えるのも分かるが、「明治という国家」は小説ではなくいわば歴史随想だ。フィクションは排すべきだとおもうが。司馬の勘違いだろうか。それとも勝の著作のどれかにあるのだろうか。もし勝の著作にあるとすれば、勝は「福翁自伝」を読んで剽窃したのだろうか。その可能性は乏しい。福翁自伝は明治31年7月から翌年2月にかけて時事新報紙上に連載された。勝は同32年1月に死去している。可能性はゼロではないが限りなくゼロに近いだろう。それに勝と福沢は咸臨丸以来犬猿の仲だ。というより勝は、当時身分のひくかった福沢のことなど歯牙にもかけなかったはずだ。最初福沢が一方的に勝を嫌っていただけだった。いずれにしても勝が福沢の書いたものを盗用するなど考えられない。
それにしてもグーグルの威力は絶大だ。実は上記「明治という国家」は私の蔵書だが、不覚にも勝と竜馬のエピソードがここにあったことを忘れていたがグーグルの検索で知った。グーグルで検索せず紙の資料を探していたら何日かかったか分からない。
日本ほど盗作盗用に寛大な国はない。盗作盗用の常習犯が何人も、出版業界から葬り去られることなく大家然とふんぞり返っている。これは恐らく売れっ子になると執筆依頼が殺到し自分一人ではさばききれないので下請けを使わざるをえなくなり、しかも出版社がその事情を黙認していることが背景にあるのかもしれない。
戦後人気が沸騰した歴史上の人物に坂本竜馬と織田信長がいる。竜馬ブームの火付け役が司馬遼太郎であることははっきりしているが、信長には、司馬に相当する特定の歴史小説家が思い浮かばない。
青木亮
英語中国語翻訳者