蕪村二つの顔と展示二つ

春のことだったが、このアゴラに若冲について書かせていただいた。生誕300年記念の展示などでの、ひと騒動からはなしをはじめてすこし語ってみたのだったが、これが同じ生誕300年でも、蕪村の周囲は実に落ち着いたものだ。

落ち着いているどころか、伊丹市の柿衛文庫にしても、天理市の天理大学図書館にしても、昨年2015年の秋の内に、蕪村のしっかりとした展示や、研究成果の公表を早々と済ませていて、実際の300年祭の本年は、各自、静かに迎えましょうという申し合わせでもあったのか、といった状況だ。
(もちろんそんな申し合わせはありません。でも蕪村ファンは、むしろこういった様子に納得しているかもしれません。)

2000年以前の状況であれば、確実に蕪村イヤーとなったはずの今年、若干とはいえ、京都でも、蕪村の優れた展示があるので、その二つをご紹介したいと思う。

その1 京都国立博物館

さきに京博を持ってきたのにはわけがある。館長の佐々木丞平氏は、江戸絵画が専門で、なかんずく応挙、そして蕪村にも責任をもって取り組んでこられた方。世が世であれば、蕪村の大回顧展をこの京博で開催していたことはまちがいないところだ。

今回の展示では特別陳列ということで、自館所蔵のものを中心に十数点のみ。名前の通ったものでは

『奥の細道図巻』

だろうか。ただ、俳諧宗匠としての蕪村のものがまったくない。これはさすがに寂しい。蕪村の書簡や刊本を借りてくる、または所蔵の参考資料などから展示することは、決してむつかしいことではなかった思うだけに、やや残念である。

文人蕪村の足跡ということであれば、同じ京博で2010年にあった「没後200年記念・上田秋成展」が秀逸で、蕪村にも多くの場所を割いており、それはそれだけで「画人俳人としての蕪村展」、といった趣であった。言いにくいことではあるが、その2010年の蕪村の展示の方が、今回2016年の蕪村の展示よりもずっと迫力があった。

2010年は、同時代の画家の業績も大々的に集められていて、竹田、大雅、若冲はかなりのものが出ていたし、また始興もよかった。佐々木館長渾身の企画だったのであろう。(ポスターとチケットにしてからが、応挙の画が大きく刷られていたくらいだった。これが本当に「秋成展」? というほど。)

数年の内にもこういう企画がなされて、蕪村にも、また数多の江戸の文人画人にも、あらためて注目が集まることを期待したいものだ。
(こちらの蕪村展は、もうすぐ期末なのでご注意下さい。)
京都国立博物館

2.角屋もてなしの美術館

この美術館は、春と秋の期間を決めて開館。蕪村の『紅白梅図屏風』『紅白梅図襖』を所有するが、館の宝だけあって、いつもいつも出される、といったものではない。しかし300年の今年は、この梅が期間を区切って交互に展示されている。じつはわたしはこの展示をしばらく待っていたのである。すでに春季に三度訪れている。

ほの灯り 蕪村がむめに 眼をあらふ  立立

もちろんこの梅もすばらしいのだが、この角屋は、かつての京の俳諧連中の拠り所でもあった。ここに残された、種々の手筆などによって、その俳人たちの交遊の拡がりを示す。小さいものがほとんどだが、深み厚みの感じられる展示である。

展示は展示室で行われているのだが、重文である角屋の建物そのものにも上がることができる。蕪村の展示に、月居の『庭松四季句扇面』も出ていたが、これはこの角屋の庭を称えたものだ。そこにしたためられてあった

蓬莱の 松や居ながら 庭ながら  月居

から読み取れるような風情は、その揚屋の奥の庭に、今もしっかり残っていると言える。
角屋の夜

(さて、以上が両館の紹介ですが、全国の皆さん、とくに春の若冲展に並んだ猛者の皆さん、9月下旬の京都はまだ空いている方ですから、ふらっと新幹線に乗るなどしてお越しになり、午前には、京都駅から東に1.5kmほどの国立博物館を訪れ、その後どこかでお昼などして、午後はそこから西に3kmほどの角屋に回り、夕暮れ時にまた新幹線でふらっと日帰りなどいかがでしょう。若冲とは180度ちがった筆致ではありますが、それなりの感興があるかもしれません。とくに提灯を持つというわけでもありませんが、今年が若冲ばかりではもったいないな、と思い、すこし宣伝をさせていただきました。しかしこのプランで稼ぎらしい稼ぎになるのは、博物館と美術館ではなくて、JR東海だけですね。)

2016/09/17 若井 朝彦

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