核兵器禁止条約って何?(アーカイブ記事)

広島サミットでは「被爆地の広島で核抑止力を語るのはおかしい。日本も核兵器禁止条約に入って核兵器ゼロをめざすべきだ」という意見がよく出てきました。もちろん核兵器はないほうがいいに決まっていますが、条約で禁止したら核戦争はなくなるんでしょうか? 2016年11月1日の記事の再掲です。

核兵器を全部使えば8億人殺せる

国連総会の第1委員会は2016年、核兵器禁止条約についての決議を、賛成多数で採択しましたが、これに日本政府は反対しました。マスコミは「被爆国としておかしい」などと批判しましたが、これには理由があります。

図のように、いま世界には約8200発の核兵器があると推定されています(外務省しらべ)。広島のように1発で10万人殺せるとすると、8億2000万人殺せる分量です。日本も原爆の材料になるプルトニウムを48トンもっているので、原爆を6000発以上つくれます。

恐ろしいことですが、現実には広島・長崎の後は原爆は使われていません。それは相互確証破壊(MAD)という原理が働いているからです。これはむずかしい言葉ですが、理屈は簡単です。原爆を本当に使ったら国を滅ぼすことができるので、たとえばロシアの指導者が原爆でアメリカを破壊したら、その報復に原爆が飛んできます。

もしどっちかが核兵器を使うと相手が自動的に報復するので、両方の国がほろびるまで核戦争が続くでしょう。普通の戦争では国の指導者は死にませんが、核兵器では死ぬので、それは実際には使えない集団自殺兵器なのです。

「博士の異常な愛情」

スタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情」は、そういう核戦争が偶然おこる物語です。アメリカの核爆弾を止めようとした人を乗せたまま爆弾が投下され、それによってソ連の核ミサイルが自動的に発射されます。

戦争を止めているのは核戦力のバランス

戦争を止めているのは憲法第9条のようなきれいごとではなく、このように殺したら殺されるという戦力のバランスです。これは普通の法律で殺人を禁じているのとは違う原理で、みなさんが人を殺しても報復で殺されることはありません。警察に逮捕されて、牢屋に入れられるだけです。仇討ちを認めると相手がまた仇討ちする…という悪循環になるので、近代国家では仇討ちを禁じています。

ところが国と国の間では、仇討ちを禁じる法律がないので、悪循環が起こってしまいます。逆にいうと核兵器による仇討ちを禁じる法律がないから、それを使うことができないのです。もし核兵器禁止条約が本当に有効に機能して、アメリカが核兵器をすべてなくすと、喜ぶのは北朝鮮でしょう。

日本を守っているアメリカの核の傘がなくなると、条約に入らない北朝鮮は一方的に核攻撃できます。さらに「イスラム国」のようなテロリストが核兵器をもつと、条約と関係ないのでテロはやり放題です。このような非対称戦争は、原理的に止めることができません。

歴史的にみても、1928年の不戦条約で戦争は禁止されましたが、戦争はなくならなかった。罰則なしで戦争を禁止する条約は、どこの国も守らないからです。戦争を防いだのは条約ではなく戦力のバランスだったので、それがくずれた1930年代後半に、アジアでもヨーロッパでも戦争が起こりました。

残念なことですが、国際関係はいまだに「無政府状態」なので、すべての国を拘束する法律はつくれません。そういう努力は大事ですが、守られない条約をつくっても意味がありません。日本はアメリカの核の傘に入っているので、それを禁止する条約に入るわけにはいかないのです。

ジョン・レノンは「国がないと想像してごらん。戦争で殺される人はいなくなる」と歌いましたが、ジョンは殺されてしまいました。残念ながら、善意の約束だけで平和は守れないのです。