「43歳の地図」今、父になるということ

2017年04月04日 11:30

43歳になった。

台北にて。

千葉商科大学国際教養学部恒例の、入学式からの成田移動。新入生を連れて台湾にて3泊5日の研修(旅行じゃないんだぞ)。開設して3年。今年は過去最多の若者が門を叩いてきた。学生たちに負けない私の茶髪度。こんなところで競ってもしょうがないのだが。

なんというか、40を過ぎてから、ますます解き放たれたように生きていて。たまに立ち止まると、自分の中途半端感が嫌になったりするのだけど、なんとか生きている。

毎年、言っていることだけど、30代後半以降の大人で、年始に今年の抱負を述べる奴、同じく誕生日に意識高く「お気持ち」を表明する奴は、バカだと思っている。1日日付が変わっただけで、大きく変わるわけでもなく。やらなければならないことを、やるだけなのだ。

ジミヘンや、ジャニスや、シドや、カートや尾崎豊や、hideなんかよりも長く生きてしまったし、なんせ、39歳で亡くなった父よりも長く生きてしまってからは、年齢を数えるのも面倒くさくなっており。とはいえ、新入生の多くとくらべても、自分の方が髪の色が明るいことなんかで、ちょっと若作り成功って思ったりもする。

と言いつつ、私もこうやって「お気持ち」を表明しているのだけど。

そんな私だけど、今年の誕生日はやや特別で。

7月に、父になる。私たちに子供が生まれる。

なんというか、まだまだ父としての自覚は足りないと思うのだが、日々、妻のお腹が大きくなっていく様子を見て、ああ、私なんかも親になるんだなと。喜びを噛み締めている。

子供が欲しいと思い始めたのは30代後半だった。38歳くらいだったか。ちょうど、会社員を辞め、大学院に入り直した頃だ。でも、なかなか授かることはできず。いわゆる妊活に勤しむ日々だったのだが。ああ、今月もダメだったかと夫婦でがっかりする日々だった。

SNSを覗くのも、年賀状を受け取るのすら辛い日々が続いた。「お子さんはまだですか」という社交辞令すら辛かった。

少子化対策なる言葉すら嫌だった。子供をつくれない夫婦に用はないのか、と。ましてや、世の中の出産・育児話において、私たちのような40代の存在はなかったことのようにされていた。妊活だって理解されない。いい加減にして欲しい。

特に妻は、子供を授かるために、並々ならぬ努力をし。体質改善から、本当に何から何まで努力していた。私もそれなりに頑張っているつもりだったけど、そこまでやるのかという戸惑いがあったこともまた事実だ。

盟友おおたとしまささんにインタビューして頂いた記事が大反響だったのだが・・・
「妊活クライシス」男女の意識差が夫婦の危機に
https://news.yahoo.co.jp/feature/570

妊活のための病院を変えたとき、私の精子には、まともなものがほとんどないことに気づき。なんせ、奇形も多いし、まっすぐ進まない。まるで私の人生みたいなものじゃないか。顕微授精しかないと言われたときに唖然とした。なんで、今まで気づかなかったのだろう。

妻を励ましつつ、自分自身も少しでも明るい気持ちになれるように、努力した。それこそ、着床するか否かでハラハラしていたときは、「大丈夫、瀬戸内寂聴みたいなもんだよ!ほら、発音似ているじゃん!」とオヤジギャグ的な冗談を言った。ちょうどその頃、ラジオで瀬戸内寂聴さんの声が聞こえてきて「ほら、寂聴さんも着床を応援していよ!」と言った。

いや、人の名前をこういう風にいじるとか、ましてや女性の名前で、こういうことを言うとは、最悪というかアウトだ。でも、少しでも和ますためだったのだ。妻も少しだけ笑ってくれて和んでくれた。

検査結果を聞く日にもずっと、「瀬戸内、瀬戸内」とお祈りしていた。妻から「瀬戸内!」というショートメールがきたときは涙した。瀬戸内寂聴さん、申し訳ない。非道い冗談だけど、でも、救われたんだ。

結果として授かることができたのだけど。

とはいえ、まだ生まれていないわけで。最後までハラハラなのだけど。

このことを中川淳一郎の野郎に伝えたら、激しく喜んでいて。いつも14時から飲み始める奴が、午前中から飲み始めた。「お前、お腹の赤ちゃんが聞いているから、もう下品なこと言うなよ」と言われた。お前にはだけは言われたくない。ただ、親友の忠告に従うことにした。

確定申告の際に、お世話になっている税理士さんに「あ、変化といえば、今年の夏に子供が生まれます」と伝えたところ、彼は黙って泣き出して。その様子を見て、私も感極まり。そう、守秘義務があるから言わなかったけど、病院の領収書がいっぱいだったからな。

母も激しく喜んでくれた。

なんというか、この国において親になるということは大変なことだ。

10代の頃、青春ドラマのハイライトといえば、交際相手が妊娠することだった。高校の保健体育でも、デートマニュアル本でも、妊娠すること=避けるべきことだと教えられたように思う(少なくとも、そう捉えている)。しかし、「少子化対策」なるものが叫ばれつつも、いざ授かりたいと思った時にどうすればいいかという知識は意外に、ないわけだ。

今後も、仕事との両立や、保育園探しなど、難問もいっぱいだ。しかし、乗り越えるしかない。なんせ、授かるのが大変だったのだから。今後も大変なのだろうけど、それに比べれば楽だ。

この国というか世界に対しても希望を失いそうになる瞬間がある。世の中はどんどん悪くなりそうな気がする。でも、そんな時にも希望を持ちたい。未曾有の危機とか、そういう言葉にすら慣れてしまったけど、そんなことは人類にとってはしょっちゅうなんだ。

妻と、子供と一緒に未来を見に行きたいのだ。

私が幼い頃、そうだったように、一緒に本を読んだり、レゴで遊ぶのが楽しみだ。必ず友達ができるように、必要とされる人になるために、ドラムを習わせよう。絶対にそこそこの腕ならバンド仲間ができるという・・・。私のように、社会に対する怒りと人に対する愛に満ちた、華と知性があり、妻のように美しくて、賢くて優しい子になって欲しい。

楽しむことをサボらないで欲しい。

楽しいときは一緒に笑い、悲しいときには一緒に泣き止むまで泣いてやろう。学校でいじめられるようなことがあったら、そいつとその親と教員と校長先生を糾弾しにいくつもりだ。今からそいつをこれから一緒に殴りに行こうか、的な。

とはいえ、子供にもろもろ押し付けてはいけないし、期待しすぎてもいけない。

好きなように生きてもらおう。最大限の応援をしたい。

この子が成人する頃には私も60代だ。でも、嫌な気がしない。

別に少子化対策のために、経済成長のために産まれてくるわけではない。

「イクメン」なる軽薄な肩書も名乗らないつもりだ。この言葉があるかぎり、男性の育児への参加は特殊だと見られる。今までごく普通に家事に全力投球してきたように、育児もするつもりだ。美化したところで、労働との両立などは避けられない。日々、大変なのだ。

出産時期が夏休みに重なるので育休もとらない。育休をとらなくても困らないからだ。本当に必要としている方に申し訳ないからだ。育休取得率アップのために、私は生きているわけではない。

前述したように、子供には生きたいように生きてもらい、その応援をする。ただ、この子の育児を通じて、私の社会に対する怒りはますます熱くなることだろう。

というわけで、今後も夜露死苦。



・・・本当にミルク代とおむつ代が必要なので、新作、夜露死苦ね!1冊分の印税はミルク、おむつに相当するくらいの感じ。是非!

生きるってのは、かっこ悪いことなんだよ。でも、素敵なんだ!


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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