赤ちゃんを市議会に連れ込むことは、悪いことなのか?

2017年11月24日 13:00

報道によると11月22日、無所属の女性議員(緒方夕佳さん)が、生後7ヶ月の赤ちゃんを連れて市議会議場に入ったところ、他の議員から退席を求める声があがり、押し問答になる等、一時混乱したという事件がありました。

最終的に女性議員は赤ちゃんを友人に預け、議会は40分ほど遅れて開会。

開会の挨拶の際に議長が議事進行の遅れをお詫びすると、他の男性議員から「お詫びする人間が違う!」というヤジが飛んだそうです。

社会の反応

この事件に対して、SNS上では以下のような反応がありました。

ロンブーの田村淳さんが取ったネット上のアンケートでは、11月24日現在、反対が圧倒的に多い状況でした。

これに対して反論して行きたいと思います。

『「訴え方」がおかしい』論のおかしさ

まず、つるの剛士さんの「正義を盾にして正論をふりかざす社会に発展はないし、こういう問題提起の仕方は他の子育て世帯に可哀想な思いをさせる」という意見について。

僕はつるのさんとは対談もしたことがあり、個人的には本当に大好きなのですが、この意見には賛同できません。

まず、緒方議員は、妊娠中から議会事務局に対して何度も、「議場に子どもを連れて行きたい」「託児はつけられないか」ということを相談していました。

しかし、議会事務局からは、「個人的にベビーシッター等をつけてください」という回答が返ってきていました。

つまり、通常のルートで訴えをしていて、それが叶わなかったのです。

また、「事務局ではなく、議会運営委員会という政治家同士でルールを取り決める場所で訴えるのが本筋」という意見もあるでしょうが、彼女は無所属の1人会派なので、3人以上の会派でなければ議会運営委員会に入れない熊本市議会のルールでは、政治家同士の話し合いの場にも参加できませんでした。

よって、「訴え方がおかしい」と言われても、「じゃあどうやって訴えるの?」と言わざるを得ません。

この「もっとちゃんとした言い方だったら聞いてやるけど、お前のはそうじゃないからダメだ」という「トーンポリシング」は、一歩間違えれば、訴える手法のない人たちへの抑圧手法として機能してしまいます。

「パフォーマンスだから悪い」論の悪さ

八代弁護士はワイドショーで、議場への赤ちゃん同伴については賛意を示しつつも、緒方議員の行動を「パフォーマンスに見える」と批判しました。

パフォーマンスだっとして、何が悪いんでしょうか?

社会に課題があった場合、「ここに課題があるんだ」と広く世の中に知ってもらわなければ、課題の解決には至りません。

よく知られる事例としては、青い芝の会の事例があります。

1970年代、今だと信じられませんが、車椅子の障害者は公共バスの乗車拒否にあっていました。

そこで、脳性麻痺者の当事者団体である青い芝の会は、わざと介助者とともにバスに無理やり乗り込んで、同時にメディアも呼んでおくという「川崎バス闘争」を展開し、差別的な状況について異議申し立てをしたのでした。

結果として、公共交通機関での車椅子利用については各関係機関で検討され、今ではノンステップバスの導入等にも繋がっていったのでした。

こうしたある種のパフォーマンスによって、社会的な注意を引きつけ、事態の改善を誘発する事例はたくさんありますが、「パフォーマンスは悪い」と言う方は、他に声なき人たちが声をあげる方法を、何かお持ちなのでしょうか。

「パフォーマンスするな」ということは、マイノリティの異議申し立てのツールを奪うことにもなりかねないのです。

「赤ちゃんのストレス」になる、は本当か?

僕は保育士資格を持った保育園経営者です。赤ちゃんのストレスに関しては、一般の方よりは、相対的に詳しいです。

議会というのは、議員同士が議論する場ですが、お母さんに抱かれた赤ちゃんが、大人の声によって多大なストレスを感じるというのは、常に怒号が飛び交うような環境でない限りは、あり得ないでしょう。

むしろ、子育てしている母親に対して、議会や社会が冷たく接し、母親のストレスが高まる方が、赤ちゃんのストレスになっていくのは明白です。

また、議会というのは1年中やっているのではなく、例えば熊本市議会の場合は第4回定例会までで、90程度です。

90日外に出て人と話すことが赤ちゃんにとって悪いんだったら、乳児を育てる親の多くは家で引きこもっていないといけないわけで、そんなわけはないのです。

そもそもおかしいのは何か?

反対している皆さんも、そしてマスメディアでも、緒方議員にフォーカスして批判をされているようですが、ちょっと待ってください。

熊本市議会の規則においては、「議員以外は傍聴人とみなす」とし「傍聴人はいかなる事由があっても議場に入ることができない」ということなんです。

そもそもこのルールがおかしくないですか?

じゃあ、例えば脳性麻痺の障害者が当選した際には介助者が常時必要になりますが、介助者は議場に入ってはいけないんでしょうか?

医療的ケアの必要な方は、時に看護師が必要になりますが、看護師は議場に入れないんでしょうか?

そして子どもの預け先がなかった父親、母親は、たとえ選挙によって選ばれた市民代表だったとしても、子連れだと議場に足を踏み入れてはいけないんでしょうか?

おかしいですよね。

つまり、介護を必要としたり、障害者だったり、子育て中の父母というマイノリティについては、あらかじめ排除されている規定なのだ、ということです。

この「無意識の排除」機構こそが、問題なのです。

そしてそれが行政の中心たる市議会において、しかと埋め込まれている。

それを誰もが問題と思わず、さらには「ルールなんだから守れよ」と抑圧に加担してしまう。この構造こそが問題であり、そしてそれは、熊本市だけでなく、この日本社会のありとあらゆる場所において見られる構造なのです。

子育てしづらいな、社会から受け入れられていないな、という子育て経験者が抱く気持ち。

それは、この「無意識の排除」が仕組み化され、さらにそれが人々の意識を不公正に規定し、さらに仕組みが強化され、という負のフィードバックループが働いているからです。

まとめ

1人の女性市議の勇気ある訴えに対し、「ルールを守れ」「パフォーマンスやめろ」「赤ちゃんが可哀想」と抑圧するのではなく、耳を傾けてはどうでしょうか。

そして、何が子どもと子育てしている人たちを排除し、追い詰めているのか。そこに思いを寄せてみませんか。

車椅子の人がバスに乗れなかった時代があったように、そしてその時代を我々が乗り越えられたように。

この子育てしづらい時代を、我々は異議申し立てを繰り返しながら、乗り越えられるはずなのです。


編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2017年11月24日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。

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駒崎 弘樹
認定NPO法人フローレンス代表理事

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