ブログ500回目、そして、シカゴで迎える6回目の誕生日

今はシカゴでは12月7日、そしてあと8時間ほどで、日本では12月8日だ。太平洋戦争が始まった日から76年が経ち、私はシカゴで6回目の誕生日、65歳の誕生日を迎える。北朝鮮で戦争の足音が近づいていると危惧していたら、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都として認めると会見で発言したため、緊張が走り、中東情勢も一気に悪化する危険性が高まった。寝ていた子供を強く揺さぶって起こすような感じで乱暴な事態だ。日本は相変わらず、「モリカケ」で騒いでいるが、完全な平和ボケだ。北朝鮮で事が起こった時に、韓国に滞在している日本人の安全を確保する手立てはできているのか、在日米軍基地が標的にされた時にどのように対応するのか、不安で一杯だ。これまでのミサイル発射実験でも、日本の漁船が被害を受けていた可能性が全くのゼロでもない。その場合、毅然たる態度で厳重に抗議するだけで終わるのか?どれほど強く抗議しても、かの国には馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘だ。もちろん、事が起こらなければ、「仮定の質問には答えられない」という回答しかないだろうが?

ニュースでは12月18日や1月の初めに米国が北朝鮮を攻撃する可能性が示唆され、米国共和党の重鎮が韓国に駐留している米国軍人の家族の引き上げを提案するなど、きな臭い匂いが漂っている。戦争が起こらないことを信じて、何もする必要がないと言うのは、政治家として失格だ。戦争が起こらない努力をしつつ、もしもの可能性を考えて備えるのが政治の責任だ。戦争が起こるかもしれないと考えると不幸が起きるので議論も避ける、このような言霊主義では、国の安全は決して守れない。私は12月17〜20日の間、日本に滞在する予定だが、18日はそのど真ん中だ。ひょっとすると、北朝鮮が太平洋で核実験をするかもしれない。なんとも、不安定な世界情勢だが、日本の政治はあまりにも視野狭窄だ。

シカゴはようやく平年並みの気候となり、今日の最高気温は氷点下となる予想だ。来週は最低気温がマイナス10度を切るだろう。本格的な冬の始動で、私の徒歩通勤も今週で終わりか?そして、2014年に開始したこのブログは、今回で500回目の投稿となる。これまで計270万回弱のアクセスがあるので、1回当たりのアクセス数の平均は約5400回となる。1回に数本のブログを読んでいただいているのであれば、1回当たりの読者数はこの数字より多くなり、タイトルを見ただけでスルーされると当然だが少なくなる。私自身、よく500回も続けられたと思う。多くの方に呼んでいただいたことには感謝の一言しかない。

シカゴに来て6回目の誕生日だ。ここでは定年がないが、日本の国立大学で働いていたなら、定年退官を迎えることになっていた。もし、自分で作り出した治療薬がひとつでも承認されていたら、暖かい島で美しい海を眺めつつ、引きこもってのんびり生活したいところだが、臨床試験は今も進行中なので、そうも行かない。2001年にオンコセラピー・サイエンス社を立ち上げた際には、免疫療法など邪道と考えていたが、今では私の研究開発の二本柱の一つ(もうひとつは分子標的治療薬)となっている。世の中が大きく、しかも、非常に急速に動いていることを日々実感しており、今や、がん治療に免疫療法ははずせない。しかし、隠居生活を送る日が来るのも、そんなに遠くないだろう(と思う)から、少なくともその日まで走り続けるしかない。

この6年弱のシカゴ生活で多くのことを学んだ。最大の収穫は、システムさえ作り上げれば、日本の抗がん剤開発やがんゲノム医療は、米国と対等に競っていけるはずだと見えてきたことだ。具体的なことは省くが、決して、個人個人の能力の差ではなく、システムとして動かす能力の差だと確信している。このシステムの差には、「利権」を排除して、将来を見据えての大規模な協力体制の構築が含まれる。そして、そのようなシステムを作り上げるには、トップダウンの大きな意思決定が必要だ。個々の研究を束ねれば、大きな組織体ができると思うのは幻想だ。

飛行機でも、車でもそうだが、緻密な設計図もなく、思いつきで部品を集めてくるだけでは、まともなものは永遠にできない。完璧な設計図があり、それに基づいて部品を作らなければ、飛行機は空に舞い上がる事は不可能だ。世界と競争するには、10〜20年後を見据えた設計図が必要だが、日本のゲノム医療は、5〜10年前の米国で始まったことの模倣に過ぎない。残念ながら、日本の医療には設計図を作るシステムがないのだ。日本の医療保険制度は、誰が見ても限界は近づいてきている。米国に住むと、日本の医療保険制度は本当に素晴らしいと思うが、細かな点を改善するだけでは破綻への道は避けられない。永田町・霞ヶ関、医学会・医師会・製薬企業、そして、国民が一体となって、大きなビジョンを作り、行動に移すしかないと考える。

そして、私はなんとしても、がん患者さんに生きる希望を届けたい。希望のないままに生きることを強いる標準医療システムだけでいいはずがない。7〜8年前、知人の紹介で、あるがん患者さんが家族と一緒に来られ、私はがんペプチドワクチンの説明をさせていただいた。研究の現状とごくごくわずかな希望の光を示しただけに過ぎない。しかし、翌日、「それまで食欲のなかった患者さんが、私のところから帰る途中に、家族が驚くくらい、お寿司をたくさん食べた」と家族からお礼のメールが届いた。自分の妻・夫・親・子供が絶望の中で笑顔もなく、無味乾燥の中で生きているのを眺めているのは苦しく・切なく・悲しいものなのだ。シカゴにいても、悩みは尽きない。是非、嵐を起こしてみたい。

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編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年12月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。