貴乃花VS白鵬、どう見ても正しい相撲道は… --- 上村 吉弘

2017年12月08日 06:00

flickr/wikipediaより:編集部

日馬富士の暴行事件は、全容がなかなか明らかにならないミステリーの要素と、相撲協会を軸にした陰謀のニオイが憶測を呼んで、いつまで経っても関連報道が止まない。ワイドショーは高視聴率が取れるものだから、同じ映像と同じ識者の同じコメントを際限なく繰り返している。

全容が分からないとは言っても、はっきりしていることは日馬富士が貴ノ岩に常軌を逸した暴力を振るって頭を縫うほどのケガを負わせたという事実である。手足を使った暴力では飽き足らず、カラオケのリモコンまで使ったという。この事実を知った時点で、相撲協会は日馬富士に即引退勧告をすべきだったと私は思う。

横綱は強さだけでなく人徳でも模範とならなければならない。だからこそ、横綱には降格がなく、常に引退と背中合わせの中で緊張感が求められているはず。どうも相撲界という異常な世界は、懸賞の扱いを見てても感じるが、「勝つ者が全て」「敗者に口なし」という極端な身分差別がまかり通っていて、下の者は基本的人権さえ踏み潰されてもモノが言えない閉鎖社会になっているように思う。

私は相撲にほとんど興味がないが、今回の事件で被害者である貴ノ岩や貴乃花が加害者と同じくらい悪く言われていることには憤りを感じている。報告義務の違反や貴ノ岩のスマホ操作などが批判の一因になっているが、これらの行為には事実の裏付けや原因に不確定要素があるため、現段階で評価基準に入れてはいけないと思う。

引退した日馬富士を飛び越えて、事件は「白鵬VS貴乃花」の様相を呈しており、相撲道の違いに焦点があてられている。これも憶測を排除して、確定的なものだけを根拠に語りたい。ネット上の動画で、白鵬の近年の取組を見てみると、右ひじに厚くサポーターを巻いて、立ち合いに強烈なかち上げを食らわせたり、張り手からの差しで一気に押し出したりと、最初のぶつかり合いまでに相手に不意打ち的な方法でダメージを負わせて有利な体制でそのまま勝負を終わらせるパターンが圧倒的に多い。一瞬で勝負が付くので強そうに見えるが、白鵬や朝青龍以前にこんな卑怯な仕掛けで相撲を取ってきた横綱というのを私は知らない。

白鵬に至っては、相手の髷を引っ張って倒している取組も何番かあった。物言いがついたものもあったが、結局そのまま白鵬に軍配が上がっている。こんな審判を繰り返しているから際限なく調子に乗るのである。勝つ者が一番偉いという閉鎖社会だから、優勝を繰り返す横綱に対して審判さえもなかなかケチをつけられなくなっているのである。それだけではない。勝負が付いてから相手を土俵外に突き放すダメ押しや、懸賞を受け取ってからそれを見せびらかすような仕草は、「勝って兜の緒を締めよ」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を身上とする日本人の美徳からはおよそ受け入れられない態度である。

歴代の有名どころの横綱の取組を見たが、かち上げや張り差しなんかをしている横綱は一人も確認できなかった。とくに貴乃花の取組は白鵬の省エネ&卑劣な取組とは対照的で、ことごとく横綱相撲である。正面から相手を受け止め、押し出しや上手投げで堂々と勝利する。一番一番全力であたった結果、ケガが絶えず三十歳の若さで引退となった。全力で勝った後も相手を見下すようなことは決してしない。逆に、押し出された相手を引っ張り上げたり、助け起こそうと手を差し出す。ケガをしながら優勝を決めたあの「鬼の形相」にしても、決して相手に向けたものではない。己に克った興奮と己自身を鼓舞した感情表現だったのだろう。これこそが横綱である。

本来、かち上げや張り手は、力相撲で勝てない小兵力士のハンデのようなものではなかったのか。横綱がそれを専売特許にしてしまっては、逆に下の立場の力士は遠慮して同じ手が使えなくなる。不利なハンデで勝負すべき横綱が、有利なハンデを握って勝利を貪り、正面からの勝負を避けてケガや体力の消耗を防いで勝ち逃げを繰り返しているのが、大きなケガもなく優勝を重ねる白鵬の実態である。

関連動画で稽古総見のぶつかり稽古の様子もみたが、横綱から指名された力士は土俵上で延々と『かわいがり』をさせられている。コメントの中には「これは普通の稽古だ。問題ない」と書いている者もいるが、素人の私から見れば、これは世間ではいじめと呼んでいる行為である。ぜひ、この記事を読んだ方全員にぶつかり稽古の動画を確認していただきたい。横綱の気分次第で何度も転げ回され、起き上がれない相手を足蹴にする。これを「問題なし」としている相撲界はやはり異常であり、過去の不祥事を全く反省していないと言わざるを得ない。

モンゴル人力士の相撲を批判すると、「相撲を利用して民族差別を助長している」などと筋違いな指摘をされそうだが、むしろ日本人力士だったらもっと露骨に批判している。日本人独特の忖度で、外国人差別がないように注意したうえで、それでも彼らの伝統や格式軽視はモノ申さざるを得ないほど目に余るのである。

モンゴル力士以前の、高見山や小錦、武蔵丸、曙、琴欧州、把瑠都ら外国人力士は、手足の長さを活かした突っ張りは比較的多かったものの、張り手やかち上げ、猫だましのような意表を突く技は横綱に限らず使わなかったし、相手への尊厳を貶める所作も、土俵外で問題となるような言動もほとんど記憶にない。

力士と言うくらいだから、本来は力と力がぶつかり合う勝負でなければいけない。頂点を極める横綱であれば尚更だ。白鵬の相撲は見ていて気分が悪くなる。それは民族や人種の問題ではなく、力士と呼ぶに値する勝負を志しているか否かの話だ。

元々はプロレス興行と同様に、地方巡業ではケツ持ちを生業とするような組織と結託したり、シナリオありきの勝負だったと聞く。タニマチの存在はともかく、八百長の噂が常につきまとうのも、歴史を振り返れば当たり前のことなのかもしれない。ガチで勝負し続ければ選手生命は短くならざるを得ないから、互いにホシの譲り合いをしたくなる気持ちも動機としてはよく分かる。

裏の顔が常に透けて見えるから、私はこれからも相撲に改革への期待などしないが、かわいがりや暴行事件のような、胸糞が悪くなる不祥事をこれ以上繰り返すようなら、相撲という文化そのものをなくしてほしいと思う。勝者に物申せず、ただただ不祥事を隠蔽しようとする相撲協会は、強気を助け弱気をくじく卑劣な権力組織にしかみえず、教育上も良くない。興味のない者にとっても百害あって一利なしの存在である。

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上村 吉弘(うえむら よしひろ) フリーライター
1972年生まれ。読売新聞記者、国会議員公設秘書を経験。政治経済に関するブログ記事を執筆している。

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