1月からのアゴラ読書塾では「平和憲法が平和を守った」という類のステレオタイプを脱却したいが、本書はそのステレオタイプの見本である。半藤氏は元文春の編集者なので「右派」だと思われているが、最近この2人の対談集は「極左化」してきた。
本書も最初から「憲法で2度と戦争しないことを誓ったので、それを百年守らなければならない」という結論を決め、それに合わせて歴史を語っている。2人とも憲法9条がどういう経緯でできたのかは知っているが、「できた経緯は問わない。日本から攻撃しなければ戦争は起こらない」という。北朝鮮から攻撃してきたらどうするのかは語らない。
こういう一方的非武装主義は、そう珍しいものではない。その極致は、半藤氏が世に出した森嶋通夫の「無抵抗平和主義」だろう。ソ連と戦争して死ぬより、無条件降伏してソ連の植民地になったほうがましだという話だ。
1945年にも、日本の降伏があと数ヶ月おくれていたら、そうなった確率が高い。ソ連国内で2000万人以上を粛清したスターリンは、日本でも1000万人ぐらい殺しただろう。これは太平洋戦争の日本の軍民の死者300万人をはるかに上回る。
井上達夫氏の第9条削除論については、論理的には否定できないが「戦争の前段階には外交交渉があるので、そこで止めるのが政治だ」という。北朝鮮のミサイルは外交とは無関係に飛んでくるのだが、それは2人とも語らず「安倍首相は平和主義も国民主権も基本的人権も否定する」と根拠なく断定する。
全体として荒唐無稽で、歴史家が本気でこんな歴史を信じていたらバカというしかない。2人とも昔はここまで極端な話をしなかったので、これは彼らなりのマーケティングだろう。それは彼らが1930年代生まれであることを考えると、団塊の世代への迎合とばかりもいえない。構造不況で人材の劣化した出版業界では、こういう卑しい言論しか大手出版社から出してもらえないのだろう。
憂鬱なのは、朝日新聞や憲法学界だけではなく、文春までこの種のステレオタイプになってきたことだ。文藝春秋社を創業した菊池寬は無産政党を支持していたが、戦時中は「文芸銃後運動」を指導した。原則なしに時局に迎合するという点では、文春も朝日も同じだ。戦争より北朝鮮に占領されるほうがましだという著者は、そうなったら金正恩を賞賛するだろう。