平成カウントダウン①第二の明治維新へ

2018年01月28日 06:05

宮内庁サイトより:編集部

「平成」という時代のカウントダウンが始まった。今週は歴史の中で「平成時代」を振り返り、次の時代のを展望しようという連載を先週、「夕刊フジ」でした。そこで、それに加筆したかたちで、皆様にも紹介していきたいと思う。

残念ながら平成はまことにこの国にとって暗い時代であった。
バブル経済の頂点で、日経平均が3万円を超えていたころ今上陛下は即位されたのだが、平成3(1990)年からその翌年にかけてバブルが崩壊した。

バブルがいつか崩壊するなど当たり前のことなのだが、あのころの日本人はそれを信じなかった。私は1990年の念頭の月刊「正論」でそれを予想したのだが、これは希有なものだった。同5(1993)年に細川連立政権が誕生したものの、政治は混迷し、経済再建ははかどらず、「失われた20年」といわれることになった。

中国で天安門事件が起きたのは、まさに平成元(1989)年のことだったが、中国は混乱はあったものの、体制強化が良い方向に作用して(趙紫陽が性急な自由化をしたら体制が維持できなかったと思う)、数年にして中国経済は大躍進の時代に入り、同22(2010)年にはGDP(国内総生産)で日本を追い抜いた。最初は中国は無理のない自由化と民主化を進めると期待したのだが、習近平は内政上の問題を外交軍事面での栄光でカバーしようという方針をとり、軍事大国化も進み、さらに北朝鮮までが「事実上の核保有国」となった。

それに対し、日本は平成4(1992)年、自衛隊をカンボジアPKO(国連平和維持活動)に派遣し、同27(2015)年には、安全保障関連法の成立で集団的自衛権の限定的行使に道が開かれたが、全体的に後手に回り、軍事的バランスは悪化しつつある。沖縄県・尖閣諸島も風前のともしびである。竹島への韓国の実効支配も著しく進行した。すべてが後手に回っているのである。

日本だけとれば、軍事的に強化してるのは事実で、それをもって「戦争ができる国になった」とか批判する人がいるが、相対的にみれば周辺諸国と戦争をしかかられて負け戦になりかねない国への道をまっしぐらである。

国内では、天災の多い時代だった。平成7(1995)年には阪神・淡路大震災が発生し、同23(2011)年には東日本大震災が起きた。気候変動にもとづくのか水害も多い。

こうした厳しい状況のなかで、両陛下におかれては災害地を積極的に訪問され、国民に寄り添う姿勢を徹底された。また、神事があまりお好きでなかったといわれる昭和天皇より大事にされることで、今上陛下なりに国民の皇室へ共感を高めらる努力をされた。

しかし、皇室におかれては、9人続けて女子が誕生され、皇位継承の危機が心配された。幸い、平成18(2006)年に悠仁親王が誕生されて、何とか一息ついたものの将来への不安はいっぱいである。

そして、安倍晋三政権のもとで、長かった経済の低迷からも脱し、国際的な政治的地位もそれなりに回復し、東京五輪・パラリンピック開催に向かう高揚感のなかで平成の時代が終わろうとしている。陛下もご安心されて、次の時代へ引き継ぐことができそうなことは不幸中の幸いである。

そういう意味では、平成の時代は幕末に似ている。

弘化3(1846)年に始まった孝明天皇の時代は、嘉永6(1853)年のペリー来航から幕末の騒乱まで、「激動と不安の21年間」だった。長い苦悩ののちに、新しい時代の足音が聞こえるなかで終わった。今上陛下はここしばらくの天皇のなかでは、孝明天皇に似たところがあるような気もする。

平成に続く新しい時代は、国際情勢の緊迫の中で難しいものとなるだろう。だが、「第二の明治維新」とすべく、国民が奮起してあの苦悩の時代が、新しい時代を準備した時代だったといわれるものにすることこそ、譲位され自ら御代に終止符を打たれようとしている陛下へのなによりのプレゼントとなることかと思う。

消えた江戸300藩の謎 明治維新まで残れなかった「ふるさとの城下町」 (イースト新書Q)
八幡和郎
イースト・プレス
2018-01-11
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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