言論の自由?「SNS規制法案」から見たドイツの矛盾

尾藤 克之

連邦政府提供

ドイツは、EUの盟主、外交、経済、クリーンなエネルギー政策などから「憧れの国」としてはやされることがある。EUのなかでは圧倒的な存在感を放つが、実際には多くの問題を抱えていた。このような論考は、先入観なしに、観察しなければ導き出すことが難しいが、ドイツ在住の著者が感じたことを審らかにまとめた一冊である。

今回紹介するのは『そしてドイツは理想を見失った』(角川新書)。著者は作家の、川口マーン惠美さん。著書に、『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社+α新書)、『ヨーロッパから民主主義が消える』(PHP新書など多数。受賞歴として、第36回エネルギーフォーラム賞・普及啓発賞、第38回エネルギーフォーラム賞・特別賞がある。

実は多くの問題を抱えていたドイツ

まず、著者はドイツを次のように評価している。「ドイツ人は、とても底力のある人たちだ。もし、地球が突然、氷河期のように寒くなったり、感染病のパンデミックに見舞われたりして、人類が危機に陥ったなら、日本人は滅び、ドイツ人は生き延びるような気がする。逆境になって初めて本領を発揮する原始的な生命力のようなものを、彼らはもっている。日本人のもつ繊細さと、まさに真逆な特質といえるかもしれない」と。

筆者は、日本人が決して弱いとは思わない。しかし、ドイツ人にしぶとさがあることは紛れもない事実であろう。ドイツは英仏ほど階級社会ではなく、日本ほど無階級社会でもない。中層をなす多くの人たちが働くことで、ドイツを形成している。著者は、この構図が機能したことで戦後の瓦礫のなかから強い国家が育ったと分析している。それは、ベルリンの壁崩壊による東西ドイツの統一で、さらに強固なものになる。

いまや、ドイツは政治的にも大国であり、EUの中心的存在であることは言うまでもない。ドイツで、現実離れした理想がとうとうと語られている。政界でも、メディアでも、巷でも、「言論の自由」が抑圧されている。強大な力を誇るメルケル政権を、やはり強大な力をもつメディアが裏からしっかり支えているのである。それはどのようなものか。

ギリシャ支援、エネルギー政策、難民問題、対米関係は、どれもEUの命運を左右する重大懸案であったが、いまだ解決していない。それらに対応したメルケル政権には、大きな疑問符がつけられている。著者は、この点について「ドイツ政府とメディアが一体になって理想を追いかけ、現実を見失ったから」だと分析している。

SNS規制法案とはどのようなものか

2017年6月30日、ドイツは夏休み前の国会招集日だった。そして、ドイツの状況を端的に表している議題が続く。その一つが「Netzwerkdurchsetzungsgesetz」(略:NetzDG)という法案についての討議だった。これは、ソーシャルネットワーク執行法(連邦法)のことで、フェイスブックや、ツイッターや、ユーチューツなどといったSNS上におけるヘイトやフェイクの書き込みを、迅速に取り締まれるようにしようというものだ。

SNSは、膨大な数の利用者をもつ。もちろん誹謗中傷や嘘、違法な書き込みや動画もあとを絶たず、各社とも通報のあったものにはそれぞれ対応しているが限界もあった。論告のトップバッターは、マース法相本人。その内容を紹介したい。

「議長、そしてご臨席のみなさま!ドイツでは11年にわたって、ネット上での“憎悪の犯罪”についてどう対応するかということについて、これまでにないほど激烈な、また、これまでにないほど大きく対立した議論が行なわれてきました。これは困難な議論であり、しかしどうしても避けられない議論でもありました。なぜなら、我々の最も悪い選択は、現状に対して何もしないという選択だからです」(ドイツ社会民主党から拍手)。

著者は、「憎悪の犯罪(Hass-kriminalitat)」という新語に違和感を覚えたとある。Hassは憎悪、Kriminalitatは犯罪。この単語には、憎悪が悪いことであるという印象が明白である。しかし、人には、憎悪する権利があるともいえる。他人に危害を加えれば犯罪になるが、その感情をもつこと自体は犯罪ではない。では、何が憎悪なのだろうか。

何が合法か規定することは困難

この法案は「ヘイト法案」「マース法案」とも言われている。これはSNS各社は苦情に対する専門部署をドイツ国内につくり不適当な通報がされれば24時間以内に違法か否かを検討し違法なものは直ちに削除というものである。守らない場合の違反金は、運営しているSNS会社に最高60億円の罰金を科すというものだが、大きな問題は、情報の見際めを誰がするかである。実際に、野党はその点を追求した。

また、この法案が可決されれば、合法か否かの判断にどのようなグループが入り込むかわからない。その気になれば、特定勢力がフェイクだと苦情を出し続けてつぶすことも可能になる。チェック機関として「Correctiv」という公益団体が候補に挙がった。しかし、どのような基準でフェイクニュースを特定するかについては明確な規定はない。

ドイツにおける、脱原発・再エネ導入の結果、電気料金は世界トップクラスだが、石炭依存から脱却できず、CO2の排出削減も進んでいない。国民負担で高く買い取った電気がタダ同然で隣国へ売り払われているといった事実は日本では報道されない。本書は、著者の危機感に基づいた日本への警告ともいえる。

「理想のない政治はよくないが、政治が理想に支配されてしまうと、国家は破綻する」。ドイツ在住三十余年、その内実を現場から見つめつづけた著者は、そう語る。

尾藤克之
コラムニスト