終戦記念番組の映し出すマスコミの幼児性

潮さんの記事を読んで、ちょっと考えさせられた。私もJBpressに書いたが、原爆投下を主語の不明な「人類の悲劇」として描くのは、NHKだけでなく日本のマスコミに共通の問題である。これを「GHQの洗脳」だとかWGIP(War Guilt Information Program)だとかいう陰謀史観で語るのは的外れだ。

私もNHKで終戦記念番組をつくったことがあるが、そういう特定の方針でつくれという指示が出るわけではない。そういう企画しか通らない暗黙のタブーがあるのだ。そのベースになっているのは、太平洋戦争は日本の侵略戦争だったという歴史観である。

そういう面があることは否定できないが、アメリカの原爆投下は国際法違反ではないか。ソ連が満州で日本人を60万人以上抑留したのは戦争犯罪ではないのか――こういう提案をしても通らない。そういう問いかけは、してはいけないのだ。

私が1991年に「朝鮮人強制連行」の番組をつくったときも、日本の戦争犯罪を告発することが目的だったが、韓国に行って韓国人に聞いても、強制連行されたという証言が出てこない。それでも軍の「関与」はあったので、日本の責任はまぬがれないという番組にした。

朝日新聞はそれを「慰安婦の強制連行」という嘘にしたが、読売や産経も含めて、当初は他の新聞もそういう報道をした。他社は途中で間違いに気づいたが、朝日は最後まで嘘にこだわったので、騒ぎが大きくなっただけだ。

戦争は悲惨だ。核兵器は特に残虐である。そんなことは当たり前だが、その残虐な核兵器が戦争の抑止力になっている現実も伝え、東アジアの地政学的リスクが高まる中で、日本がどういう戦略を取るべきかを論じるのが大人の態度というものだろう。ところが日本のマスコミにはそれができない。憲法の絶対平和主義が人々の意識に定着しているので、戦争一般を否定する無内容な番組しかつくれないのだ。

もう一つのタブーは、マスコミの戦争責任である。満州事変以降、新聞は一致して主戦論であり、戦争の共同正犯といってもよいが、その責任を反省したのは読売新聞ぐらいだ。NHKは国営放送だったが、その責任をまぬがれるものではない。ところがこの問題を扱う番組もつくれない。

逆の意味でタブーになっているのは、昭和天皇の戦争責任である。陸海軍を統帥した天皇に、少なくとも形式的な責任があることは明らかで、彼を訴追すべきだという意見も連合国には強かった。それを押し切って立憲君主制を維持したのは、当時のアメリカの対ソ戦略だったが、これも危険なテーマなので番組では扱えない。

このようなタブーのおかげで「戦争で誰に責任があったのか」あるいは「戦争を防ぐにはどういう軍備が必要なのか」という企画が通らず、「戦争は悲惨だ」というお涙ちょうだいの番組しかできない。潮さんが見ていて恥ずかしくなるNHKの幼稚な番組は、戦後73年たっても大人になれない日本のマスコミの姿なのだ。