安田純平氏の事件に関する3つの謎

2018年10月30日 12:30

安田純平氏解放が議論を呼んだ。プロの国際援助専門家やフィールド研究者は、沈黙している。一緒にされたくない、関わりたくない、ということだろう。

NHKニュースより:編集部

私が代表を務める広島平和構築人材育成センター(HPC)の外務省委託研修でも、数週間のコースであれば、専門の百戦錬磨のプロの外国人インストラクターを複数名雇って、三日くらいは安全管理にあて、拘束された場合の対処も1セッション分くらいはきっちりやる。もちろん、より重要なのが、予防策であることも言うまでもない。

参照:広島平和構築人材育成センター公式サイト

世界には継続的に国際的な類似事件をフォローし、動向把握に努めている安全管理のプロがいる。しかし残念ながら、日本人では、皆無ではないか。私自身、あまり安田氏をめぐる日本での議論に関わりたい気持ちはない。

何やら真剣に安田氏を擁護する方もいらっしゃるようだが、「紛争地でジャーナリストが拘束されれば、ほかのジャーナリストが儲かります」、「現在、絶賛バッシング中の安田くんも、これで将来は安泰!」、というのが、安田氏の業界の雰囲気のようなので、なかなか事情は簡単ではない。

安田純平さんを独自ルートで「救出」しようとしたジャーナリスト・常岡浩介氏の告白(週刊SPA!11月6日号)

日本でも、公安当局であれば、安田氏の事件にも、強い関心を持っているだろう。ケース・スタディとしては、非常に稀な性格を持った事件だ。そのことはもう少し注目されていい。「自己責任」をめぐる議論の陰で看過されがちな安田氏の事件の特異な性格を、3つの謎という形で、描写してみたい。

第1の謎は、拘束の目的だ。拘束事件には、いくつかのパターンがある。政治的な目標達成のため(軍の撤退要求、政策変更要求など)、経済的な目的のため(身代金の要求など)が、わかりやすい。今回の事件は、いずれにも該当していなかったように見える。

拘束からしばらくたった後にのみ、本人のビデオが公開され、解放要請がなされた。それは拘束者が、解放交渉を望んだ意思表示であったとみなされる。当初は水面下の交渉がなされ、その行方にしびれを切らして公開に踏み切ったという可能性もないわけではない。しかし交渉相手が特定されなかったことなどの特徴を見ると、少なくとも典型的な身代金目的の拘束ではなかったように見える。

もう一つの拘束目的のパターンが、政治的予防措置である。ある人物をスパイだと疑う場合に、その人物の行動の自由を奪う、というのが典型例である。安田氏の場合には、ジャーナリストであることを隠して取材活動をしていたと思われる一方、特定の武装勢力に近づくことによって潜入を試みたと思われる様子もあるため、このパターンでの拘束であった可能性も高い。スパイだと疑われたわけではないとしても、ジャーナリストであることそれ自体が危険視される要素になった可能性はある。

第2の謎は、解放の経緯である。一般に、政治目的や経済目的による拘束の場合、その目的が達成されないことが明らかになった場合には、被拘束者に生命の危機が及ぶ。なぜなら解放する事例を作ってしまっては、将来の交渉を有利に運ぶための威嚇の手段がなくなってしまうからだ。拘束時の状況を非拘束者が描写できると懸念される場合には、情報隠匿を図る必要性が生まれている場合もある。

今回の安田氏の事件の場合、何らかの政治的目的が達成されたとみなせる要素はない。経済的な目的が達成されたのかどうかは、不明である。仮に達成されたかのように見える状況があったとしても、それが当初からの主要な拘束の目的であったかどうかは不明であり、単に解放の契機として、経済的な利益も確保しておいた、ということにすぎなかった可能性もある。

第3の謎は、なぜカタール政府の名前が言及される形で、トルコで解放されたのか、である。現在、中東情勢は、イスタンブールで発生したサウジのジャーナリスト・カショギ氏殺害事件で揺れている。イラク戦争以降、中東では宗派対立が激化し、スンニ派の盟主たるサウジアラビアと、シーア派の盟主であるイランとの間の対立が深まった。イエメンにおける戦争は、完全に代理戦争の様相を呈している。

シリア戦争もこの構図が大きく影響しているが、さらに重要なのはトルコなどの周辺国の動向だ。アサド政権側にロシアやイランがついているとすれば、反政府側の強力な後ろ盾がトルコだ。そこでシリアをめぐっては、サウジアラビアとトルコの関係が、極めて微妙な要素を持つようになっている。

カタールは、2017年にサウジアラビアを中心とする湾岸諸国による制裁措置を加えられて、国境封鎖をされた。カタールが、サウジアラビアの意向に従って動かなかったため、逆鱗にふれたのだった。しかしアルジャジーラTV局の閉鎖などのサウジの要求は法外なものであり、封鎖は広範な支持を得て成功したとまでは言えないものとなった。

このとき、カタールの支援に回ったのは、サウジの勢力減退を狙うイランだけでなく、スンニ派諸国内での影響力の向上を目指すトルコであった。現在においても、トルコとカタールの関係は、蜜月状態にあると考えられる。トルコとサウジの関係は微妙なものとなったが、今回のカショギ氏殺害事件は、両国の関係に決定的な亀裂を入れたと考えられている。

シリアの反政府勢力は、アサド政権の猛攻にさらされて、イドリブなどの一部都市に囲い込まれている状態にある。国際社会が大きな人道的惨禍をもたらすと警戒しているイドリブ総攻撃を数か月にわたって回避しているのは、両勢力の後ろ盾であるトルコとロシアの間の合意である。

安田氏を拘束していたのが、反政府側の勢力であることは、ほぼ間違いのないことだと考えられている。カタール(トルコ)が身代金という形で反政府勢力に資金提供して、安田氏という第三国ジャーナリストの解放を働きかけたかどうか、詳細は簡単には明らかにならないだろう。安田氏の証言も公にされていない状態だが、とはいえ安田氏が全てを知っているという可能性は低い。安田氏は、激動の中東の情勢の中で翻弄されたのである。

ジャーナリストが客観的なまなざしで紛争地の取材を行うためには、相当な準備と配慮が必要だろう。時にそれは、不可能だと断言できるくらいに、困難なことだ。

その困難を把握したうえで、なお追求すべき公益を見出し、妥当な取材方法を模索する努力を続ける真摯さを、ジャーナリストの「責任」として、徹底的に議論していくべきだろう。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年10月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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