公的年金は、自分の余命がわからないからこその相互扶助制度である。故に、65歳に至る前に死亡すれば保険料は一円も戻らないが、それを損と考えることはできないし、66歳で死亡する人と、100歳まで生きる人とを比較すると、年金給付額が大きく異なるわけだが、それを不公平ということもできない。
公的年金は巨額な積立金をもっていて、その名も年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)というところが、その名の通りに管理して運用しているのである。年金給付のための積立金があれば、その資産について、国民の一人一人の持分のようなものを観念できる。そうした観念のもとでは、先に死亡する人の持分が長生きする人へ贈与されていくように思え、現に、そのように多くの国民が漠然と思っているのだろうが、それは錯覚なのである。
公的年金は、65歳まで保険料を払い、65歳から生存を条件に年金給付を受けるという仕組みだから、保険料は全て前納である。故に、巨額な公的年金資産が形成されているのだ。そこで、もしも、公的年金に任意の脱退という制度があるのならば、前納保険料は一定の控除を経て返戻されることになるだろうから、そこに個人の持分を観念できるが、実際には、そうした返戻制度はなく、故に、個人の持分はあり得ない。
生命保険にしろ、生存保険である年金保険にしろ、大きな被保険者集団の全体としての死亡率は極めて高い精度で予測される以上、収支相等の原則と適正な保険数理の手法に基づいて各被保険者に保険料負担を配賦している限り、負担の公平公正性は保証されている。この理論的な枠組みは公的年金についても原則としてなりたつ。ただし、原則として、である。
公的年金は、民間の保険会社の年金保険と相互扶助原理を共有していても、根本の思想において異なる。民間の保険は、純数理的に設計されていて、経済合理性のもとにおいて、公正公平性が保証されているのに対して、公的年金は、社会福祉政策的に設計されていて、所得再分配の要素をとりいれているので、公平公正性は、経済合理性のもとでは、保証されない。
しかし、経済合理性のもとでの公平公正性の要件を欠くということは、社会的公正公平性に反するということにはならず、逆に、経済合理性の徹底が社会的公正公平性に反する場合も多いわけである。
公的年金における公平性というのは、哲学的に難解である。そこに、公平性をめぐる議論の混迷の原因があるのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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