「男系男子」天皇の合理性(池田信夫氏への反論)

2019年05月06日 21:30

10連休のあいだに大阪・朝日放送の『教えて!ニュースライブ  正義のミカタ』という番組に出て、皇位継承問題を説明した。スタッフとも入念に打ち合わせて、できるだけかみ砕いて説明し、好評だったので録画を見て頂きたいのだが、微妙に意味を取り違った紹介がネット上で流布して、それをもとに池田信夫氏が『「男系男子」の天皇に合理的根拠はない』という記事を書かれた。

これについては、私の発言とずれているとお知らせしたところ、すでに訂正していただいたところである。

私が「権力が無かったから」と述べたのは、男系男子の理由でなく、なぜ王朝交替がなかったかの理由なので、前提が違った。

しかし、池田氏の意見は興じ深いものなので、意見の相違は、歴史的な事実関係についての見解の差より、解釈の問題なのだが、以下、引用しながら、きちんと反論しておきたい。

(時計回りに)今上陛下、後醍醐、神武、明治、昭和、明仁上皇(宮内庁サイト、Wikipedia)

男系男子は「権威と権力を分ける日本独特のシステム」ではなく、権威と権力が一体化した中国から輸入したものだ。それは皇帝の血統を受け継がない男子を後継者から排除し、王家の分裂抗争を防いで権威と権力の一体性を守る制度として、それなりの合理性があった。

中国は易姓革命などといって天の命があれば別の血統に移ることを認めていることが特異である。万世一系でなくとも、ヨーロッパでは女系の相続を認めることもあるとしても、めったに王朝交替はない。英王室でも11世紀にイングランドを征服したウィリアム1世(ノルマンディー公)の血統がいまも維持されている。中国が易姓革命がない限り男系相続なのは、女性や養子が家を継がず、男系相続が社会全般に行われている反映に過ぎない。そもそも女帝が則天武后一人の例外以外はないのである。

皇室には中世以降は実権がなくなったので、血統の純粋性を守る意味はなく、皇室にも本気で男系を守る気はなかった。…現実にはDNAが天皇家の「男系」ではない天皇がかなりいたと思われる。

ありえないとはいわないが、可能性の指摘にすぎないし、「建前」としてなかったことになっているのが重要だ。戸籍通りの父子関係かどうかは、現代の日本人でも分からない。

平清盛にも徳川家康にも「天皇になる野望」はなかった。なろうと思えば(中国のように)天皇家を廃して自分が天皇になればよかったが、日本では天皇家の権威と将軍の権力が分離していたので、なる必要がなかったのだ。

日本で大事なのは「血」ではなく「家」の継承だから、婿入りも多かった。平安時代の天皇は「藤原家の婿」として藤原家に住んでいた。藤原家は外戚として実質的な権力を行使できたので、天皇になる必要はなかった。

皇室に権力がなかったのでなく、日本の意思決定は、そもそも、コンセンサス方式だった。独裁的な天皇も、後醍醐とか孝明など数えるほどで、将軍でも摂政関白でもそれは同じだ。平安時代でも藤原氏の摂政関白が力を振るえたのは、母后を通じて外戚としてであって、母が皇女だった後三条天皇が即位したとたんに権力を失った。藤原氏の摂関が強かったのは、1世紀あまりの期間だけである。

武家の世の中においても、朝廷での摂関家の力は限定的であるし、外戚になれることも減った。

鎌倉や室町時代は、そもそも極端な小さな政府の時代であり、朝廷と幕府は役割分担をしていたのであって、幕府が強力な中央政府としての独裁権力を行使したともいえない。

織田・豊臣政権にあっては、朝廷の力は再び上昇している。徳川家康・秀忠は豊臣びいきの朝廷を押さえ込むことを試みたが、結局は失敗し互いに干渉しないようになった。

江戸時代には天皇には権威も権力もなくなったが、天皇家を世界に比類なき王家とする水戸学の自民族中心主義が長州藩士の「尊王攘夷」に受け継がれた。それが明治時代にプロイセンから輸入された絶対君主と融合したのが、明治憲法の「万世一系」の天皇だった。

以前から指摘しているが、池田氏は水戸学の役割を過大評価しすぎだと思う。三代将軍の家光以降の幕府は、実力が伴わなかったので、皇室からの委任をもって権力の正統性の根拠にした。「ご公儀がいかに思し召されるやら」「天下は帝からの預かり物」という思想は水戸学と関係なく存在した。

長州などの反幕府は、関ケ原のリベンジ、積極的な外交政策など豊臣時代への回帰が基本で江戸初期から一貫して存在するもので、水戸学的な思想は「オマケ」に過ぎない。長州藩の中興の祖は、毛利秀元、毛利重就、村田清風などであって水戸学の影響すらほとんどない。吉田松陰は教育者として偉大だが、吉田松陰の水戸学で長州が動き出したのではない。

天皇を男系男子と定める皇室典範は明治憲法と一体で制定され、天皇を権威と権力の一体化した主権者とするもので、古来のミカドのようにゆるやかな「みこし」とはまったく違う近代の制度だった。それは日本人の精神構造に根づかなかったため意思決定は混乱し、日本を破滅に導いた。安倍首相を初めとする保守派には、明治以降の制度を古来の伝統と取り違えるバイアスが強いが、男系男子は日本独自の伝統ではなく、合理性もない。

長州は、明治体制の構築のなかで、天皇親政を阻止する方向で動いたのであって、天皇親政論と彼らが対決したのである。天皇を操縦することに長けた伊藤博文、桂太郎などの死で大正期に極端な水戸学派が台頭し、山県有朋が宮中某重大事件や皇太子洋行問題で失脚し、長州閥が中枢から排除された。賊軍出身者などの台頭のなかで、軍部などの暴走は始まった。東京裁判での刑死者に薩長土肥出身者がいないことはその象徴である。

それは明治天皇までは側室がいたので維持可能だったが、一夫一婦制では選択肢が狭まってゆくばかりだ。

フランスやドイツなどかつてのフランク王国の系統を引く国にあっては、男系男子、しかも、嫡出子に限った相続で継承されてきた。フランスの王位請求者であるジャン4世は、10世紀のユーグカペー王の男系男子嫡出の子孫である。

また、現スペイン王家、ルクセンブルク大公家も同様にユーグカペーの男系男子嫡出の子孫である。徳川将軍家でもそうだが、正室に子どもを産むのに相応しい女性を人選し、努力をすれば男子を得る確率はそれほど低くないのは、室町将軍家や公家などをみれば明らかである。

徳川将軍、江戸時代の天皇などが正室的女性の子でないケースが少ないのは、子作りをする気がなかっただけのことである。現在、起きている問題は、平成にあって、佞臣ともいうべき一部の者が、陛下の子孫に皇位継承者を限ろうとしてほかの男系男子の出現を阻止した結果でしかない。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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