この選挙戦の期間中に予想していた通りになった。自民・公明は地滑り的勝利を得た6年前ほどではないが、3年前を上回る勝利を得た。消費税引き上げという人気の無い公約を掲げ、また、一人区で共産党が独自候補を下ろすなどして野党統一候補がそろったなかでは、十分すぎる勝利だ。
とくに比例区の数字の良さが目立つのだが、それだけに、1人区での取りこぼしはまことに惜しいことだった。
しかし、これは負けるべくして負けたのであって、取りこぼしをしたところも、接戦だったところも候補者の質に問題があった。
その点は、結果が出てからいっても後付けと言われそうなので、7月10日に「自民候補者の質に疑問 ~ 衆参入れ替えが必要」というタイトルで投稿しておいた。その要旨を繰り返しておく。
必ずしも水準として劣ることをストレートには意味しないのだが、すくなくとも、全県区向きとは思えないのだ。
自民党の場合、野党に比べても、衆議院議員のほうに良い人材が偏在している。もちろん、衆議院優越が憲政の伝統であって、首班指名権も不信任の権限も衆議院だけがもっているのは動かせない。
しかし、①選挙制度上も、参議院の方が野党に有利な制度になっており、与野党逆転の可能性は参議院の方が確率が高くねじれ国会となって国政はマヒしがちだ、②解散がある衆議院と違っていったん選ばれると6年間挽回できない、③定数が衆議院より少ないので、一人あたりの重みはむしろ衆議院より重いのである。
ところが、政治家は衆議院議員になりたがる。なぜなら、閣僚になるチャンスがより大きいし、参議院ではボス支配が続いており、政策的に優れた能力をもっていても活躍の場は与えられにくいからだ。
さらに、選挙では、人口が30万人くらいが標準の衆議院に比べて、選挙区が全国だったり、全県だったりするのでコストがかさむ。そこで、地方議員の手助けを得るのが手っ取り早く、たとえば県議会の古手議員など自民党の組織を使っていちおう必要最小限の選挙活動をして、固い自民党支持層を固めるのに向いた候補者を立てがちだ。
しかし、これは、浮動票をとれない。「華がある」野党系の候補が優位になることが多くなる。
個別の事例では、新潟では塚田議員の「忖度発言」を、大した話でないとかわす手もあったのだが、政府首脳などが厳しく糾弾した。その一方で候補の差し替えはしないというちぐはぐなやり方は自殺行為だった。
自民党は弱い候補の入れ替えを積極的にしない限りは、今後もこうした取りこぼしを繰り返すだろう。どうすればいいかといえば、ひとつは、衆議院と参議院の入れ替えだ。衆議院だと華がなくても地道な行動ができればやっていける。参議院の独立性はこれまでのように重視しないが、そのかわり、閣僚などの枠を増やせばいい。
また、党の資金配分を参議院により厚く配分し、一般的な知名度が高まるような活動をさせるべきだろう。優れた人材が参議院から衆議院に鞍替えなどするのはやめたほうがよい。
3年後に向けてすぐにでもそうした作業を始めるべきだと思う。
立憲民主党が、若い美人ばかりを極端にそろえたラインナップで臨んだのは誠にみっともなかったし、多様性といいながらなんたることかと、その“女性蔑視”ぶりに厳しく反省を求めるべきだと思う。
学歴や経歴などでの偏りは、専門知識の有無もあるから、仕方ないが、容姿での偏在は絶対に肯定する理由がない。
そんななかで、関西では、京都(女性有名評論家のパートナー)、大阪(美人弁護士)、兵庫(記者会見で公約もいえなかった女子アナ)の美人候補が枕を並べて落選したのは、関西人の矜持を示したもので誇らしい。
しかし、東京での女性候補など、かつて妊娠したと騙して男性から高額の慰謝料をとったなどとテレビで自慢していた人が上位で当選するなど信じがたい。
思うに、過去にイレギュラーなかたちで男性に媚びてきたようなことをしてきた女性を、女性の権利拡大や多様性の象徴とするのが正しいのか。
たとえば、過去にいささか恥ずかしいことをしたとしても、それが男性に騙されてとか生活に窮してと言うならそれを問題にするのは、よくないかもしれない。しかし、蓮舫氏にせよ、山尾志桜里氏にしても恵まれた環境で育ってきた人であってそういう同情をする対象でないし、今回の美人候補たちも同様だ。
女性候補の過去を問題にすることをはばかる社会風潮もあるが、私はそれはおかしいと思う。
やはりまっとうな女性こそ擁立してほしいと女性は思っているのだと思う。京都や大阪の票の動きを見ると、美人候補に男性は好意的だったが、女性は支持しなかったことが明らかになっているが、健全なことだと思う。さすが、オレオレ主義に詐欺にも騙される割合が少ないという大阪のオバチャンの面目躍如だ。
自民党にとってのもうひとつの課題は、支持率の高い若年層の投票率の低さをどう向上させるか工夫することだろう。
公明については、私も書いたが、複数定数区で自民から票を分けることがなんとかうまくいったように思う。これは、公明党に対する連立パートナーとしての政権と自民党への信頼を高めるのではないかと思う。
国民民主党は、やはり共産党との共闘は断固拒否すべきだったのではないか。いったい、立憲民主党と何が違うか分かりにくかった。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授