ローマ法王「行き過ぎた主権主義は危険」

世界に13億人を超える信者を有するローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ法王フランシスコは「欧州の現状を見ていると、アドルフ・ヒトラーが台頭した1934年時を想起させる」と指摘し、「主権は大切だが、行き過ぎた主権主義は孤立をもたらし、戦争を引き起こす危険性が出てくる」と警告を発した。フランシスコ法王は9日、イタリア・トリノの日刊紙ラ・スタンパとのインタビューの中で語った。

聖ペテロ大聖堂の中央バルコニーから「ウルビ・エト・オルビ」を発信するフランシスコ法王(バチカンニュースのHPから、2019年4月21日)

フランシスコ法王は、「欧州は本来、歴史的、文化的統合を理想に掲げてきたが、現実は民族主義とポピュリズムが席巻してきた。欧州が再びその源流に戻るためには対話と他者の考えを傾聴することだ」と強調している。

無神論唯物世界観を主張して登場した共産主義は旧ソ連・東欧共産政権の崩壊で幕を閉じ、民主陣営と共産陣営が対立した冷戦時代は終焉を迎えたが、フランシスコ法王は冷戦終焉30年後の2019年を「ヒトラーが現れた1934年時」と酷似しているというのだ。

21世紀に入り、世界は第2次冷戦時代に突入したといわれる。第1次冷戦時代の軍縮協定の成果、中距離核戦力全廃条約(INF)は米国と、ソ連の後継国ロシアの両国によって破棄されたばかりだ。トランプ米政権が欧州とアジア地域に中距離ミサイルの配備を検討すると、ロシアのプーチン大統領と冷戦終焉後に大国にのし上がった中国の習近平国家主席は米国の計画を批判し、対抗処置に乗り出す意向を表明している。

欧州諸国は2015年以降、中東・北アフリカから殺到する難民・移民の対応に苦慮し、欧州連合(EU)は難民対策で結束を崩すと、ロシアと中国はEU加盟国間の亀裂を拡大させる戦略を駆使し、一定の成果を上げている。特に、中国は習主席が提唱した新シルクロード構想「一帯一路」を武器に、「中国製造2025」戦略を掲げ、ITやロボット、宇宙開発までの先端分野で世界の制覇を目指してきた。

フランシスコ法王が警告する「行き過ぎた主権主義」は、①2015年の欧州への難民殺到、②米国第一(アメリカ・ファースト)を掲げ、第45代米大統領に就任したトランプ氏の登場、③世界制覇を目指す「中国の夢」を主張する習主席の野望の3点が直接的、間接的の契機となって急台頭してきた。

前日のコラムでも言及したが、世界は2015年後、自国ファースト、主権主義が台頭し、反難民・移民、外国人排斥が高まり、国際協調、多国間の結束から自国の国益中心の政策にその主導力を奪われていった。民族主義を主張する極右派勢力が飛躍し、政治の勢力図を激変させてきた。

高経済成長が当然だった時代は過ぎ、低成長時代に入る一方、IT技術、ロボットの開発などで世界の雇用市場は変わりつつある。その一方、思想面、世界観の分野で資本主義や科学史上主義の限界が見えてきた。欧米世界を久しく支配してきたキリスト教も2000年が過ぎて、その生命力、勢いを失う一方、聖職者の性犯罪の多発など教会内外で大きな問題が表面化してきた。キリスト教だけではない。イスラム教の世界でもスンニ派とシーア派の対立が激化する一方、少数宗派への迫害は世界至る所で激化してきている、といった具合だ。

世界の情勢は、ヒトラーが登場した1930年代のように、強い指導者の出現を求める声が今日、至る所で聞かれ出した。国民を主権とし、民主選挙をその土台とする欧米型民主主義は腐敗し、その限界を露呈し、選挙では民意が反映しない、といった矛盾を露わにしてきた。

同じ事が国連にもいえる。世界の紛争解決と平和の実現を国連憲章に明記しているが、超国家的機関といっても実際は加盟国、特に、5つの安全保障理事会常任理事国を中心とした主権国家の集まりであり、加盟国の主権主義を超えるパワーは備えていないのが現実だ。

そこでフランシスコ法王の警告となるわけだ。「行き過ぎた主権主義」は紛争を激化させ、戦争を誘発する危険性が高まる。同時に、その危機を克服できると豪語する強い指導者が世界の人々の喝采を受けて登場する可能性が排除できなくなってきたというわけだ。

同法王は、「現在の演説は、私たち、私たち、といった話し方が多い」と述べ、「あなたは、あなたはどう考えるか」といった会話が少なくなったきたというのだ。

オーストラリア・メルボルン出身の哲学者、ペーター・シンガー氏は利他主義(Altruism)を提唱している。他者のために尽くせば結局は自分の利益になるという考えだ。この哲学は個人レベルかもしれないが、それを民族間、国家間にまで拡大できれば、わたしたちの“時代の閉そく感”をひょっとしたら克服できるかもしれない(「利口ならば人は利他的になる」2015年8月9日参考)。

いずれにしても、フランシスコ法王のインタビューの内容は最も現代的なテーマを私たちに突き付けているわけだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年8月11日の記事に一部加筆。