英語民間試験問題:「日本人にとって英語は難しい」と素直に認めよう! --- 井上 孝之

私は英語のテストに苦労させられたので、英語のテストや学習法についてはいろいろ思うところがあります。

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私は文法や構文が得意だったので、受験生のときは得意科目だったのですが、会社に入ってからTOEICのテストを受けさせられるようになると、リスニングが苦手で英文を読むのが遅かったので、点数がなかなか上がらず相当に苦労させられました。

TOEICの対策本を買ってTOEICの点数を上げることに特化した勉強をしたり、会社のお金で短期の語学留学させられたり、40代になってから一念発起して英語に再挑戦したりと英語についてはいろいろ考える機会があったので、それをまとめたいと思います。

日本の英語教育を考えるうえで確認しておく事項は下記の3点であるように思われます。

1.英語は日本人にとって難易度が高い

日本人が英語を話せないのは、英語が日本語の語彙、文法、発音の点であまりにも違いすぎて、日本人にとって難易度が高いからであり、学校教育における英語学習法が悪いわけでないことを改めて確認する必要があります。

「難しいから克服できない」というのは敗北主義のようですが、挑戦する課題の難易度を正しく評価することは課題克服の第一歩です。

私も一応はその業界のトップクラスの会社に勤めているので、同僚はみんな高学歴で、東大、京大、早稲田、慶応・・・といますが、彼らのほとんどはペーパーテストとしての英語の試験では高い点数をとることができても、英語は話せないので、「英語を話せるようになる」ということには相当に高いハードルがあると認識すべきです。

世の中には、英語の習得が得意ですぐに話せるようになる人もいますが、その人は単に才能に恵まれていただけで、その人と同じ勉強をすれば誰でも英語を話せるようになるわけではありません。これは数学の問題で、一度説明されれば理解できる人間と死ぬまで理解できない人間に分かれることと同じです。私も英語の得意な人からいろいろ勉強法についてアドバイスをもらいましたが、才能があるからできる勉強法が役に立ったことはほとんどありません。

「文部科学省がもっといい方法で教育すれば、きっと自分も話せるようになるはず」というのは幻想で、そんな方法は存在しないと認識することがこの問題を考えるスタート地点だと考えています。その点を確認できないと、「きっといい方法があるはず」と考えて、存在しない解決策を探し続けることになります。今回の英語の外部テストもその一環で、「テストの方法を変えれば、子供たちの英語力が向上するかもしれない」と安易に考えて、子供たちを実験台にしただけです。

日本人の英語力が向上しないことは、政府や文部科学省を批判したい人にとっての「鉄板ネタ」であって、そういう人たちの目的は「子供たちの英語力を向上させること」ではなく、「政府を批判すること」なので、そういう批判を真に受けて、子供たちの教育法を構築することは、結果的に間違った対策を取ることにつながるのだと考えています。

2.高校での目標は話すことではなく基礎を身に着けること

どの科目も高校を出た知識レベルでは十分ではありません。大学に進んで、さらにその知識に磨きをかけることで、「その分野の専門家」として食っていけるようになります。

高校で学ぶべきはその科目の基礎なので、高校を出たレベルで何かができるようなることを期待することの方が間違っています。

英語についても、将来、英語を話す必要が生じたときに、基礎となる知識があればいいので、大学の入学試験では英語の基礎を問う試験を実施すればいいということになります。

私も英語の技術書を読んだり、共同研究先との契約書のチェックを行うときに高校で勉強した文法が役に立っています。英語が話せないからと言って、学校の英語の授業が無駄だった訳ではありません。

もともと、学校の授業は一人の先生が40人の生徒に授業することを前提としているので、文法のような知識を教えるには向いていますが、会話のように1対1でやらなければならないことは難しいので、それは卒業してから自費でやると割り切るべきです。

高校までは文法や構文のような英語の基礎を学んで、将来、英語を話す必要が生じたときに個人レッスンに通って会話を勉強すれば、英語はある程度は話せるようになるので、高校までの勉強は無駄ではありません。

英語が話せるようになることを高校英語の目標にしてしまうと、個人レッスンを雇える財力のある家庭が有利になってしまって、親の財力が試験結果に大きく影響することになります。

3.文法力の重要性は増している

メールやSNSで英語を書く機会が増えると、文法の重要性が増します。話し言葉であれば、文法が滅茶苦茶でも「何かを伝えたい」ということが伝われば、話を聞いてもらえるかもしれませんが、メールの文章で初歩的な文法の誤りがあれば、メールの書き手はバカだと思われて、そのメールを真剣に読もうとは思ってもらえません。

私も一度も会ったことのない海外の提携先(非英語圏)とメールのやり取りをすることがありますが、文法的に無茶苦茶なメールが届くと、要注意人物として慎重に対応します。

複雑なことをすれば、高度なことをやっているように見える

なぜ文部科学省がこのような批判を受けるような試験を導入しようと考えたのでしょうか? 私は自分の業務経験から以下のように考えています。

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会社の業務のなかで、一見、簡単そうに見えて、なかなか解決策が見つからない問題に直面することがあります。そのような状況で、事情をよく分かっていない幹部から「何でこんな簡単な問題が解決できないんだ! そんな方法をやっているからダメなんだ、もっと違う方法があるだろう。しっかりやれ!」という無責任なことを言われたときにどのように対応するのかというと、「複雑な方法でやる」、「権威のある人が言っている方法でやる」ということがあります。

例えば、「この問題を解決することに効果があるとされる◆◆理論にもとづいた◇◇解析法によって、データを解析し、最適な解決策を見出すべく鋭意努力中であります」とか、「この分野の第一人者であるかの※※博士が提唱されている▲▽▲▽法で対応すべく、分析方法の習得に当たっております。詳細はお時間のあるときにじっくり説明させて頂きます」とか言ってやると、その無責任なその幹部を黙らせることはできます。なぜなら、「複雑なことをやると、高度なことをやっているように見えるから」です。(もちろん、問題自体は解決しません)

今回の外部の英語試験活用も、一向に向上しない英語力に対する無責任な批判に対して、文部科学省が責任を回避するために、「複雑な試験」と「権威ある試験」を使ったのだと思います。たとえ、英語力が向上しなくても、「複雑で権威のある試験を導入したのだから、やることはやった」と言い逃れできます。

文部科学省は、「英語は日本人にとって難易度が高いから習得することが難しい」と分かっていても「難しいからできない」とは言えないので、「問題は解決しないが、批判をかわせる方法」を採用したことになります。

(今回の文部科学省の対応は、末端サラリーマンの私とやっていることが同じなので、親近感を覚えた次第です・・・)

結局、文部科学省は自分たちへの批判をかわすために受験生に余計な負担を強いたことになるのですが、悪いのは文部科学省ではなく、問題の本質を理解せずに無責任な批判をする人たちです。

対応策

英語でこのような問題が生じるのは、英語教育に対するニーズが大きく二つに分かれるからだと思います。将来、知的生産系の仕事をするために大学にこうと考えている高校生にとっては文法の授業は意味があるかもしれませんが、高卒で肉体労働や国内土着産業の仕事につこうと思っている高校生にとって文法の授業は苦痛でしかありません。彼らにとって重要なことは、「新婚旅行で海外に行ったときに、パートナーの前で恥をかかないこと」です。

人数としては、知的生産系よりも、国内土着産業系で働く人の方が圧倒的に多く、彼らも有権者として英語教育に意見を言う権利はあるので、自分の役に立たない大学受験に向けた文法中心の英語教育に否定的な意見を言うのは当然です。政治家として有権者の多数を占める彼らの票が欲しければ、彼らの意見に迎合する必要があります。

高校教育に文系と理系の区分けがあるのだから、英語教育も大学受験用と海外旅行用に分けてはどうでしょうか? 大学に行くつもりのない人たちには、海外旅行をしたときにホテルやレストランでのやり取りに特化した会話の勉強をしてもらって、大学受験の簡素で公平な制度を混乱させるような余計な意見を言わせないことが重要です。

英語ができるようになる人の特徴

私の周りの高学歴な人の大部分は英語は話せないのですが、日本で普通に育った人で英語を完璧に話せる人もそれなりにはいます。私の観察では彼らには次の二つの特徴があります。

①記憶力がいい
英語を習得するためには、膨大な単語を覚える必要があるので、記憶力がいいほど有利です。私の知っている人は、「英語の単語なんか、一回見れば覚えられるだろう」と真顔で言います。その人は携帯が出始めた頃も電話帳機能を使っていませんでした。なぜなら、電話番号も一回見れば覚えられるからです。

②リスニング力が高い
語学留学をしているときのルームメイトはリスニング力が高く、部屋でテレビを見ていると、「こういうシチュエーションでは、こういう表現を使うのか」とか呟いていました。私には英語の発音は雑音にしか聞こえないので、英語のテレビ番組を何時間見ても英語の勉強にならないのですが、リスニング力が高いと英語のテレビ番組や映画を見るだけで英語の勉強になります。研修前のTOEICのテストの点数は私の方が高かったのですが、帰国時のテストの結果では大幅に水を開けられてしまいました。

井上 孝之
リスニングが苦手だったころは、TOEICのリスニングで400点ぐらいとれれば、ある程度、聞き取れるようになると思っていましたのが、自己最高点の435点取っても、全く何も聞き取れないということが分かって驚愕している技術系サラリーマン