「1945年8月12日 日本が原爆実験成功」説の世界史的意義

2019年11月14日 06:00

日本の「原子爆弾開発計画」はすでに1934年に着想され(注1)、日米開戦直前の1941年4月から実際に原子爆弾開発が進められた。日本軍部には二つの原子爆弾開発計画があった。

広島(左)と長崎への原爆投下(Wikipedia)

一つは日本陸軍の「二号研究」であり、いま一つは日本海軍の「F研究」である。「二号研究」は1941年4月の原爆開発依頼から京都帝国大学仁科芳雄教授が中心の理化学研究所「仁科教室」で行われ、「F研究」は1941年5月の原爆開発依頼から京都帝国大学荒勝文策教授中心で行われた(注2)

「二号研究」では、天然ウランの中のウラン235を熱拡散法によって濃縮する方式が採用された。濃縮されたウラン235の原子核に中性子を当てると核分裂が起こり、大きなエネルギーが放出され原子爆弾になる。「F研究」では、ウラン235の分離は遠心分離法が採用された。遠心分離法は、イランなど現在でも広く用いられている濃縮方式である。

原料の天然ウランは、当時日本領土の北朝鮮のウラン鉱山などから調達された。その後、戦局が悪化すると共に、日本軍部は原子爆弾による戦局の挽回を目指し、両研究の連携により、遠心分離法を中心とするウラン濃縮を行い、原子爆弾の開発を促進した。

ちなみに、米国の「マンハッタン計画」は1942年から始まっている。同計画は総額20憶ドル、延べ45万人を動員し、3年で原爆を開発した(注2)

「1945年8月12日  日本原爆実験成功」説

以上の経緯を経て、後記(注3)のロバート・ウイルコックスによれば、日本は戦争末期に核爆発装置を完成させ、1945年8月12日早朝、北朝鮮ハムフンの興南沖水域で原爆実験を行い成功させた。海上爆発特有の「きのこ雲」の発生を日本人士官が証言し、その他にも数多くの状況証拠が存在する。

そして、原爆の原料である天然ウランは主として北朝鮮で採掘精錬し、当時北朝鮮の興南にはアジア最大の日本の軍需工場があり、原爆製造に不可欠な日本の世界最大級の発電所があった。原爆の開発には大量のウランと膨大な電力を必要とするからである。

しかし、ソ連が1945年8月8日に日本に対して宣戦布告し、満州国、朝鮮半島に侵攻したソ連軍は、8月12日の上記核爆発の数時間後に北朝鮮興南を占領し、核インフラを奪い日本の核技術者を連行した。ソ連はその成果を利用し、僅か4年後に核実験に成功した。中国の朝鮮戦争参戦の目的には興南の核インフラがあった。北朝鮮の核開発は、人材育成も含め、日本の統治下で基盤がつくられたのである。

このように、日本が原子爆弾開発を行っていた北朝鮮の興南は、戦後、ソ連、中国、北朝鮮の核開発の拠点になった(注3、注4)

「日本原爆実験成功」に関するロシア、北朝鮮等の報道

ロシア政府系通信社「スプートニク」は、2013年6月13日付で「1945年8月12日、日本軍は小型の船艇に核爆弾を載せ、ハムフン沖で爆破すると、直径1キロの火球が天空に燃え巨大なキノコ雲が上がった」と報じている。

さらに、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」も、2018年2月9日付で、「日本は敗戦直前ハンフンの興南沖水域で核爆発実験を実施した」と報じている。

また、中国政府の公式サイトは、2015年9月6日付で「日本は1939年から1940年の間に、日本で核兵器を製造した」と報じている。

上記ロシア、北朝鮮の報道は、いずれも、日時、場所、内容が一致し具体的であり、1945年当時の記録や資料に基づくものと思料される。ロシアと北朝鮮が、ことさら虚偽の事実を捏造した証拠はない。

なお、上記「スプートニク」の記事については、東京工業大学名誉教授の山崎正勝氏が「1キロの火球は広島に投下された原爆の10倍に相当し、エネルギー換算で1メガトンになり考えられない。ウイルコックスは信頼性の低いGHQの資料を引用している」などと批判する。

しかし、爆発の規模などに異論はあるとしても、原爆実験の存在そのものを根本的に否定する確たる証拠は提出されていない。後記の通り、原爆開発に関する記録はほとんど米軍が没収しているのである。

米国政府は「1945. 8.12日本原爆実験成功」について公式には論評していない。しかし、後記(注3)の米国人ジャーナリストのロバート・ウイルコックス著「成功していた日本の原爆実験」(『隠蔽された核開発史』)は、日本の原爆実験成功を認める米国CIA機密調査班の調査に基づくものである。

第二次世界大戦中の日本の原爆開発の記録のほとんどは米軍に没収されている(注2)。したがって、原爆開発に関する情報量は日本よりも米側が圧倒的に多いのであり、上記CIAの調査も圧倒的な情報量に基づき、当然上記記録なども利用されていると思料される。

さらに、「終戦の翌年、アメリカの新聞に驚くべき記事が掲載された。日本は原爆を開発していた。朝鮮半島北部で実験に成功」との内容の放送もされている(注5)

「1945. 8. 12日本原爆実験成功」説の世界史的意義

仮に、上記「1945. 8.12 日本原爆実験成功」の事実が、今後の日米両国の諸研究・諸調査等により歴史上確定されれば、日本による「原爆実験成功」の世界史的意義は極めて大きい。

なぜなら、アジアの一国である日本が米国に伍して、戦前において、すでに人類史上初の「原子爆弾開発能力」を保有していたことを意味するからである。このことは、戦前からの日本の科学技術水準の高さを表し、戦後、理論物理学者の湯川秀樹、朝永振一郎両博士をはじめ、日本のノーベル賞受賞者多数の輩出へとつながっている。

だからこそ、現在の日本は、「核保有国」ではないが、原発再稼働によるプルトニウムに加え、世界最高水準の原子力技術に裏打ちされた高度な「潜在的核保有能力」を保有しているのである。日本の安全保障上、あらゆる不測の事態や国際情勢の激変に即応するため、核抑止力として、上記能力は今後も必要不可欠である(2019年8月23日付け「アゴラ」掲載拙稿「日本の安全保障:反原発・脱原発の流れは極めて危険」参照)。

「ミサイル防衛」では核抑止力にならない

日米への核攻撃に対して、現在、日米は共同で「ミサイル防衛システム」を開発強化している。しかし、ミサイル防衛は100%完璧に撃ち落とすシステムでなければ機能しない。これは技術的には極めて困難であり不確実である。様々な迎撃回避策も検討されている。したがって、日本としては不確実なミサイル防衛システムのみに頼ることはできないから、「核攻撃の脅威に対しては核による抑止しかない」との大前提で安全保障政策を考える必要がある(注6、注7、注8、注9)

そうすると、日米同盟による「拡大核抑止」(「核の傘」)が基本ではあるが、これを補完するための米国との「核共有」(「ニュークリア・シエアリング」)は必須であり(2019年9月13日付け「アゴラ」掲載拙稿「韓国の核保有も睨み、日本は米国との核共有を急げ」参照)、かつ、前記の通り、安全保障上、核抑止力として、「潜在的核保有能力」の保有は極めて重要である。

(注1) デイビッド・J・ディオニシ著「原爆と秘密結社」平和教育協会訳2015年成甲書房
(注2) 山田克哉著「日本は原子爆弾をつくれるのか」2009年PHP新書
(注3) ロバート・ウィルコックス著「成功していた日本の原爆実験:隠蔽された核開発史」矢野義昭訳2019年勉誠出版
(注4) 矢野義昭著「世界が隠蔽した日本の核実験成功:核保有こそ安価で確実な抑止力」2019年勉誠出版
(注5) 「テレビ朝日」2008年8月2日~放送「原爆・63年目の真実」。
(注6) 中西輝政編著「日本核武装の論点」2006年PHP研究所
(注7) 渡部昇一著「非核信仰が日本を滅ぼす」2007年「正論」2月号
(注8) 中川八洋著「日本核武装の選択」2004年徳間書店
(注9) 伊藤貫著「中国の核戦力に日本は屈服する」2011年小学館。

加藤 成一(かとう  せいいち)元弁護士(弁護士資格保有者)
神戸大学法学部卒業。司法試験及び国家公務員採用上級甲種法律職試験合格。最高裁判所司法研修所司法修習生終了。元日本弁護士連合会代議員。弁護士実務経験30年。ライフワークは外交安全保障研究。

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加藤 成一
元弁護士(弁護士資格保有者)

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