北京は「香港基本法」に立ち戻り、五大要求を受け入れる雅量を見せよ!

高橋 克己

ついに死者まで出た香港の抗議デモ、ニュースが伝える目下の香港は内戦の様相だ。このままゆけば北京の後押しで香港当局が遠からず抗議学生らを暴力で制圧するだろう。が、それでは問題の火種は消えず消し炭になるだけ。切っ掛けさえあればいつでもまた容易に火が点くはずだ。

デモ参加者にM16A2型の銃を向ける香港の警察官(19日、Demosistōツイッターより:編集部)

米上院は19日、「香港人権・民主主義法案」(参考拙稿:対中国の米国国内法:「内政干渉」はすべからく国際法に違反するか)を可決した。下院は可決済みなので両院で調整後にトランプ大統領に送付され、承認されるだろう。法案は、香港への優遇措置継続の是非を判断するため、一国二制度に基づく高度な自治を維持しているかどうか、米国務長官に毎年検証することを義務付ける。暴力を以ってデモを封じ込めるなら、高度な自治を維持しているとの判断にはまずなるまい。

北京はこの辺で「香港基本法の精神」に立ち戻り、抗議側の五大要求を受け入れる雅量を見せるべきだ。基本法の「字面」だけでなく「本質的な精神」に戻るのだ。そうしたところで、直ぐそれがウイグルやチベットに飛び火し共産党一党支配が揺らぐことにはならない、と筆者は思う。

まず抗議側の「五大要求」をおさらいする。

  1. 逃亡犯条例改正案の完全撤回
  2. 民主化デモを暴動とした認定の取り消し
  3. 逮捕されたデモ参加者の逮捕取り下げ
  4. 独立調査委員会の設置
  5. 普通選挙の実現

1.の「逃亡犯条例・・」が抗議活動のきっかけだが、10月23日に正式撤回された。林鄭長官は7月に「改正案は死んだ」としたが抗議は収まらず、3ヵ月半経って正式撤回する羽目になった。小出しの譲歩が五大要求貫徹の意思を更に強めさせた。

2.の「暴動認定取り消し」と3.の「デモ参加者の逮捕取り下げ」と4.の「独立調査委員会設置」は関連する。デモを暴動と見做して逮捕すれば、抗議活動はますます過激化し、その取り締まりも更に暴力化して鼬ごっこに陥るといことだ。

この4項目の要求を飲むのは北京と香港行政府にとってそんなに難しいことではなかろう。なぜならいま日々流れる画像を見る世界の人々は、警察の取り締まりも酷いが、若者や学生らの抗議振りも行き過ぎと感じているはず。先ずは行政府が雅量を見せて、現状を鎮めるべきだ。

ただし、5年前の雨傘運動が目的とした5.の「普通選挙の実現」が、2~4の3項目と同じようには行き難いだろうことは、筆者にも想像が付く。だが、果たしてそれが本当にそれほど難しいことなのか考えてみたい、というのが本稿の主旨だ。

時計の針を5年前の雨傘デモに戻してみる。が、事態は07年に始まった。中国全人代常務委員会はこの年、それまで選挙委員会のメンバー1200人の間接選挙で選んでいた香港行政長官を、17年の長官選挙から1人1票による「普通選挙」で選ぶと決定した。

香港は歓喜した。が、全人代は14年8月末、「行政長官の候補は指名委員会の過半数の支持が必要であり、候補は2~3人に限定する」とした。これだけだとなぜ抗議が起きるか判らない。実はこの「指名委員会」は、北京の意向を体した親中派の業界団体などから選ばれる。

これでは「2~3人」の中に民主派が推す候補が入る余地はない。幅広く出馬できる仕組みを求めていた民主派は、授業をボイコットした学生らを中心に、以降79日間にわたって香港中心部の道路を占拠するなどの激しい抗議活動を展開した。

抗議活動は今回も中心になった香港中文大学で始まった。当初は非暴力的なデモ行進と座り込みだったが、次第に繁華街や商業エリアの占拠に及ぶ至り、警察隊が催涙弾などで鎮圧し始めた。デモ隊が雨傘やゴーグルやマスクで身を守っていたのも今回と同じ。

始まって約2ヵ月経った11月9日、習総書記はAPEC総会で北京を訪れた梁香港行政長官と会い、「中央政府は引き続き、一国二制度と香港基本法を貫徹する。法に基づいて民主的な発展を進めることを強く支持する」と述べた。

今回も習主席は、11月4日に国際輸入博覧会出席のため上海入りした林鄭長官と面会し次のように述べた。そしてこの前後から警官隊の取り締まりが明らかに強硬さを増した。

騒ぎが5ヵ月も続いているが、特区政府は職務を忠実に履行し情勢の安定に努め厳しい仕事を成し遂げた。中央は長官を信頼し、その仕事を高く評価する。暴力を中止し情勢を安定させ、秩序を回復することが最も重要な任務だ。法律に基づいて暴力を制止し取り締まることは、香港市民を守ることそのもので、揺るぐことはできない。各界との対話や暮らしの改善などもしっかり実施すべきだ。香港各界は、「一国二制度」の方針と基本法を全面的かつ正しく徹底実行し、一致団結して繁栄と安定を守るよう希望する。(中国国際放送記事を要約)

さて、習・梁会談を遡る11月5日、香港高等法院は、デモ隊の幹線道路占拠禁止命令に対する民主派の異議申し立てを却下した。12月に入り当局はデモの最大拠点の香港島中心部幹線道路に警官隊7千人を投入しバリケードなどを撤去、学生指導者ら150人を逮捕した。

この強制排除を以って雨傘運動は終息した。学生デモを主導した黄之鋒らは12月12日、「強制排除は“雨傘運動”の収束を意味しないが、短期的には行動を起こさない」、「学生も勝たなかったが、政府も勝たなかった」と述べ、当局も強制排除での逮捕者らを保釈した。

斯くして雨傘運動は失敗し「普通選挙」は頓挫した。黄らの言と同様に解り難いが、頓挫したのは「民主派が求めた普通選挙」であって、北京が決めた「偽普通選挙」は17年に実施されたということ。その偽普通選挙で7月1日に行政長官に選ばれたのが林鄭月娥だ。

ではなぜ北京は07年に17年からの普通選挙実施を決めたのだろうか。それを探るには84年12月の「英中共同声明」に遡らねばならない。99年間の香港租借が終了する97年7月1日を控えて、鉄の女サッチャー英首相と中国の最高実力者鄧小平が相まみえた(参考拙稿:香港問題:サッチャー元首相 vs.富坂聰氏の紙上討論)。

何回か行われた会談では、「軍事と外交以外の独立国が備えるべき要件の殆どを満たす」、と筆者には思える以下のような特別行政区の権利が合意された。

  • 高度の自治権を享有する。
  • 行政管理権、立法権、独立した司法権と終審権を享有する。
  • 長官は現地で選挙または協議を通じて選出され、中央人民政府が任命する。
  • 香港の現行の社会、経済制度、生活様式は変わらない。法律に基づき、人身、言論、出版、集会、結社、旅行、移転、通信、罷業、職業選択、学術研究、宗教信仰の諸権利と自由を保障する。個人財産、企業所有権、合法的相続権および外部からの投資は法律の保護を受ける。
  • 自由港と独立関税地区の地位を保持する。
  • 国際金融センターの地位を保持し、外国為替、金、証券、先物取引に市場を開放する。資金の流入、流出は自由である。香港ドルは引き続き流通し、自由に他の通貨と交換できる。
  • 財政の独立を保持する。中央人民政府は行政区から徴税しない。
  • 「中国香港」の名称で、独自に各国、各地区および関係国際機構と経済・文化関係を保持し発展させるとともに、関係協定を締結できる。独自に出入旅行証を発行できる。
  • 社会治安は、行政区政府が責任をもって維持する。
  • これらを中国全人代が香港特別行政区基本法において規定すると共に五十年間は同規定を変えない

そして1997年7月1日に発効した「基本法」の「序言」はこう述べる。

・・香港の主権回復にあたっては、中華人民共和国憲法第31条の規定、また「一つの国家、二つの制度」の方針に基づき、香港では社会主義の制度と政策を実施しないことを国家は決定した。国家の香港に対する政策の基本的方針は、中英共同声明の中で明らかにしている。

果たして今、これらは遵守されているだろうか。習近平は14年と19年、梁と林鄭に「一国二制度と香港基本法を貫徹する」といった。が、それは欺瞞で17年の長官選挙すら「偽普通選挙」だった。ここらで北京は「五大要求」を受け入れるべきだ。

ウイグルやチベットには気の毒だが、香港とは出自が異なりそこには「基本法」がない。それら問題は専ら人権問題として、国連を通じた別の方法で解決を図る必要があろう。もっとも、中国共産党の一党支配が崩壊するなら話は別だが。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。