小沢氏は正しい決断をされた。 - 松本徹三

松本 徹三

小沢一郎氏は正しい決断をされたと思います。だからと言って、政治の混迷(リーダーシップの不在)が継続する状態は変わらないでしょうが、少なくとも「少しだけ分かり易い状態」にはなったと言えるでしょう。


まさしく池田先生が指摘しておられるように、小沢氏は本来、「ハードランディングを辞さずに、日本を普通の国に出来る」本命の政治家として期待されてきた人でした。理念が明快で、豪腕でもありました。しかし、政権を握るための複雑な合従連合を繰り返しているうちに、何が何だか分からなくなってしまった感があります。

小沢氏の切り崩しに危機感を持った自民党が、驚天動地の「村山首相擁立」に走り、以後、日本の政界は、「政権をとる為には何でもあり」の「理念なき世界」になってしまいました。仮に西松建設事件が表に出ず、小沢党首を戴く民主党が次期政権をとったとしたら、この傾向は更に確定的になっていたでしょう。

戦後の日本は「軽量首相」を数多く輩出してきましたが、その中で、当然首相になってもおかしくない風格と識見を備えながら、結局首相にならなかったのは、緒方竹虎、安部晋太郎、小沢一郎の三氏ではないでしょうか? しかし、そういうことを言う私自身が、実は本質的に相当古いのかもしれません。現在のような議院内閣制をとる限りは、「首相」というものは「何をやるのか」というマニフェストさえはっきりしていればよいのであり、別に「重量級」である必要なないのかもしれません。

民主党の党首は誰になるのかまだ分かりませんが、仮に岡田氏になった場合は、これで選挙に勝っても負けても、何となくすっきりするような気がします。しかし、本来あるべき姿は、これも池田先生の言われる通り、大規模な政界の再編が起こって、「ハードランディング派(右派)」と「リベラル派(左派)」の二大政党が対峙する形になるべきです。この場合は、前者は「小さな政府」志向、後者は「大きな政府」志向であると考えるのが自然です。

一市民の夢としては、この時に大新聞も二つに大きく割れ、たとえば「Y新聞は前者を支持」「A新聞は後者を支持」というようなことにでもなれば、さぞ面白かろうにと思うのですが、まあ、これは早すぎる「真夏の夜の夢」としておきましょう。

松本徹三