『ものつくり敗戦』について - 池田信夫

2009年06月14日 20:38

私もちょっと前に読み、特に前半の「産業革命」と「勤勉革命」の差が、その後の日本の工業化が労働集約的技術に片寄る原因になった、という指摘はその通りだと思いました。ゼロ戦や戦艦大和のように、技術水準では世界最高峰の作品を完成させながら、戦争では負けてしまう、というパターンを日本は繰り返してきたわけです。


ものづくりではなくシステム最適化を行なう「第3の科学革命」に日本が立ち後れた、という指摘にもなるほどと思いましたが、そこから先の話が深まらない。日本でも戦後はソフトウェアを学んだし、コンピュータでも一定の水準には達しました。しかし1980年代以降、決定的に取り残されてしまう。これは池尾さんの専門の金融がだめになったのと軌を一にしています。

80年代まであれほど成功した日本の電子産業が、突然だめになったのはなぜか――これは私の専門領域でも重要な問題です。ところが木村英紀氏は、その原因を「システム科学の訓練の欠如」という教育のレベルに帰してしまう。これは原因というより結果でしょう。なぜ日本人がシステム的に思考できないのか、という肝心の問題については彼も「よくわからない」と言い、「数学をすべての大学で必修科目にしろ」といった提言しか出てこない。

私もよくわからないのですが、一つの仮説は、勤勉革命のころから日本はずっと資本不足・労働過剰が続いてきたということです。1750年の日本の人口は約3200万人と推定され、これはイギリスとフランスの合計にほぼ等しい。中でも江戸の人口は120万人と推定され、これはロンドンの1.5倍、パリの3倍です。耕地面積あたりの人口密度では、日本は今でも世界で群を抜いて高い。つまり稀少な設備を大事に使って余っている労働力を浪費するという習性が、ここ300年ぐらい続いてきたのではないでしょうか。

これはかつては経済学の原理からいっても正しかったのですが、今や状況は逆転しました。日本は資産大国になる一方、賃金は中国の20倍だというのに、労働集約的な「匠」とか「すり合わせ」にこだわって負け続けているわけです。特にITの分野では、ムーアの法則によってハードウェアの価格はタダに近づいているのに、日本のITゼネコンは古いメインフレーム技術を延命するために膨大な残業を続けて労働者を疲弊させ、世界市場では壊滅状態です。

その意味では、この問題は私が何度も書いてきた生産要素の再配分というテーマと重なります。起業や企業買収などによる資本・労働の再編成が行なわれないため、そもそもシステム思考が必要とされなかったのでしょう。今までは、欧米のシステムをまねてガンバリズムで追い抜くという単純な戦術で成功してきましたが、そういう「開発主義」的な方法論が限界に来ていることは、池尾さんも指摘する通りです。しかし日本的な勤勉システムを見直すのは、われわれが300年間やってこなかった大事業であり、容易なことではないでしょう。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑