『ものつくり敗戦』について - 池田信夫

池田 信夫

私もちょっと前に読み、特に前半の「産業革命」と「勤勉革命」の差が、その後の日本の工業化が労働集約的技術に片寄る原因になった、という指摘はその通りだと思いました。ゼロ戦や戦艦大和のように、技術水準では世界最高峰の作品を完成させながら、戦争では負けてしまう、というパターンを日本は繰り返してきたわけです。


ものづくりではなくシステム最適化を行なう「第3の科学革命」に日本が立ち後れた、という指摘にもなるほどと思いましたが、そこから先の話が深まらない。日本でも戦後はソフトウェアを学んだし、コンピュータでも一定の水準には達しました。しかし1980年代以降、決定的に取り残されてしまう。これは池尾さんの専門の金融がだめになったのと軌を一にしています。

80年代まであれほど成功した日本の電子産業が、突然だめになったのはなぜか――これは私の専門領域でも重要な問題です。ところが木村英紀氏は、その原因を「システム科学の訓練の欠如」という教育のレベルに帰してしまう。これは原因というより結果でしょう。なぜ日本人がシステム的に思考できないのか、という肝心の問題については彼も「よくわからない」と言い、「数学をすべての大学で必修科目にしろ」といった提言しか出てこない。

私もよくわからないのですが、一つの仮説は、勤勉革命のころから日本はずっと資本不足・労働過剰が続いてきたということです。1750年の日本の人口は約3200万人と推定され、これはイギリスとフランスの合計にほぼ等しい。中でも江戸の人口は120万人と推定され、これはロンドンの1.5倍、パリの3倍です。耕地面積あたりの人口密度では、日本は今でも世界で群を抜いて高い。つまり稀少な設備を大事に使って余っている労働力を浪費するという習性が、ここ300年ぐらい続いてきたのではないでしょうか。

これはかつては経済学の原理からいっても正しかったのですが、今や状況は逆転しました。日本は資産大国になる一方、賃金は中国の20倍だというのに、労働集約的な「匠」とか「すり合わせ」にこだわって負け続けているわけです。特にITの分野では、ムーアの法則によってハードウェアの価格はタダに近づいているのに、日本のITゼネコンは古いメインフレーム技術を延命するために膨大な残業を続けて労働者を疲弊させ、世界市場では壊滅状態です。

その意味では、この問題は私が何度も書いてきた生産要素の再配分というテーマと重なります。起業や企業買収などによる資本・労働の再編成が行なわれないため、そもそもシステム思考が必要とされなかったのでしょう。今までは、欧米のシステムをまねてガンバリズムで追い抜くという単純な戦術で成功してきましたが、そういう「開発主義」的な方法論が限界に来ていることは、池尾さんも指摘する通りです。しかし日本的な勤勉システムを見直すのは、われわれが300年間やってこなかった大事業であり、容易なことではないでしょう。

コメント

  1. kitasan2919 より:

    池尾さんの「ものつくり敗戦」の記事を読み、さっそく読もうと思っていた所、池田さんのこの記事が……。(読む前から次の宿題出された気がします)さきの小川さんの「国策としてのEV」のコメントにもかかせていただいたベタープレイスですが、このあたりに関わっているような気が致します。かれらはモノつくりはしません、と言い切ります。既成の技術で新しいことをやる、と何回も言いました。彼らのシステムがものになるかどうかわかりませんが、こういう提案できるのはなんか日本人と違う、と感じました。

  2. kandekande より:

    中尾教授の角川新書「創造はシステムである」の中で、ものつくりの設計について日本の設計者は「干渉設計」がアメリカの設計者は「独立設計」を好むという話がありました。「システム思考の欠如」というより設計者の好き嫌いの問題の様ですね。

  3. disequilibrium より:

    そもそも、システム思考も何も、思考すらしていないように見えると言うのは言いすぎでしょうか。

    ただし、300年続いたシステムというのは言いすぎで、
    時代にそぐわないシステムを無理に使い続けるような、
    頭の固い思想が生まれたのは戦中戦後だと思うので、
    戦後ではない時代に生まれた世代が主流になるころには、自然と解決される問題のような気がします。

  4. edogawadamo より:

    日本人がシステム思考が苦手なのは、優秀な兵隊や職人が多すぎるからじゃないですかね?システム設計が少々まずくても現場で何とかしてしまう。だから設計者やリーダーはそれに甘えてしまうし、逆に現場は優秀なだけにプライドもあるので、ある程度裁量権がないと逆に不満が出る。

    ところが欧米(というより多分日本以外)は、一握りのエリート以外は全然ダメ人間ばかりなので、そういう人達でもこなせるようにシステムを考え抜く。現場は余計なことを考えずに、ただ言われたとおりやるだけ。それで問題が出たらシステムが悪いと。

    これはゼロ戦や「誉」エンジンだけでなく、今の自動車産業にも言えますね。例えば日本の鉄鋼ベンダーは超優秀なので、自動車メーカーの無理な要求にも応えてしまうのです。

  5. horohhoo より:

    原因は、幾つかあると思います。
    1.日本人がシステム的に考える事に価値を見出していない
    2.システムの構築よりも目先の機能実現や利益確保を目標に設定する
    3.システム的に思考した結果を無効にするシステムが出来上がっている

    1は、システム的な思考よりも、他人との軋轢を生まないことを重視している
    人が多いと思います。
    2は、意見集約の際に総論賛成、各論反対みたいになって、トップダウンでは
    話が進まず、ボトムアップ型の意思決定になることが一因になっている思います。
    3は、仮に個人ではできていても、組織の成果物にはそれが反映されない部分が
    あると思います。

    「リーダー(導き手)」というよりも「取りまとめ役」型の人が多くて意思決定
    が曖昧になりやすく、一方で議論しても、1が原因で上手く知恵が集約されず、
    最悪、声の大きい人の意見でまとまったりします。

    知性というよりは感性の部分で、日本人は個でも集団でも、システム的な思考が
    苦手なのだと思います。

  6. itariyajin より:

    勤勉システムってのは
    言い換えると立身出世「嗜好」だろう。
    とっつかまった某厚労省局長など
    ようするに「人より手柄を立てたい」という
    価値基準。
    金や労力や周囲の評価ではなくて
    「与えられた地位」を「名誉」として
    行動規範の中核に据える生き方。

    之は学校システムの中で
    家庭の中ですり込まれている
    日本人の原理なのだから、
    この記事の提案は
    「日本人やめますか?
    人間やめますか?」ってところだ。
    結構毛だらけ猫灰だらけ。