優秀な兵士と最悪の将校 - 池田信夫

池田 信夫

先週の夏野さんの起業塾セミナーも、すごい盛り上がりでした。印象に残ったのは、「日本には実力がある。人も金も技術も十分あるのに実力が生かせない原因はたった一つ、決める経営者がいないからだ」という彼の話でした。昔から「日本軍の兵士は世界一優秀で勇敢なのに、将校は世界最悪だ」とよくいわれますが、私は両者はなのにではなくだからで結ばれていると思います。


日本の社員は上司が命令しなくても仕事を起案し、遅くまで残業してやり遂げる。この自発性の高さは、日本では当たり前ですが、海外のスタッフと一緒に仕事をすると、1から10までこっちが指示しないと動かない上に、できあがったものは使えない、といった経験をよくします。それに比べれば、日本の管理職の仕事は現場の仕事を調整するだけでいいので、人柄がいいだけでつとまる、というのが決めない経営者の多い一つの理由でしょう。

もう一つ、このような現場のモラールの高さを支えているのが、会社というコミュニティの中で自分が重要なメンバーだというプライドであり、仕事に手を抜くと同僚に見抜かれ、出世競争に負けるという緊張感です。日本の会社に競争がないというのは大きな間違いで、こういう意味での出世競争のインセンティブはきわめて強い。狭い国土で緊密な共同作業を続けてきた日本人には、仲間の手抜きがすぐわかるので、モラルハザードは起こりにくい。

このようにコミュニティ内の「自生的秩序」の安定性があまりにも強いと、複数の村を統率するリーダーはほとんど必要なく、村の間で起こった紛争を調整する「長老」がいればいいので、年功序列で十分です。「百姓一揆」も、領主の権力を転覆するための武装蜂起ではなく、現地の代官の悪政を殿様に訴え出るものでした。日本が繁栄した大きな原因は、このように異民族の侵略をほとんど経験しなかったため、コミュニティが成熟したからだと考えられています。

しかしこういう自律分散型の構造は、国家全体を防衛するシステムがないため、対外戦争には弱い。いいかえれば、日本人はよくも悪くも「戦争のへたな国民」なのです。だから日清・日露戦争のような滅亡寸前の帝国が相手なら何とかなるが、対米戦争のような本格的な戦争では、戦略も指揮系統もめちゃくちゃで、戦死者の半分以上が餓死という悲惨な結果になってしまう。

かつての世界市場での製造業の戦いは、欧米企業のまねをして現場の強さで戦えばよかったのですが、これからはITで武装したグローバル企業と、低賃金で闘いを挑んでくる新興国との二正面作戦を強いられます。今までのような戦略なき現場主義で経営者が何も決めないと、ゼロ戦や戦艦大和を無駄にした前の戦争のような結果になりかねません。

戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。
                                  ――『失敗の本質』

コメント

  1. kakusei39 より:

    現場の優秀さが、将校の劣等を生み出している面は確かにありますが、日本には優れた将校の間違ったイメージが流布されております。

    TVドラマや映画で出てくる優れたリーダー像は、賢く全能で、的確に細かいことを指示し、部下には家などのプライベートのことまで面倒を見たり、作業員と一緒になって汚れ作業をするということを当たり前のようにやる人であります。

    だから、リーダーとか将校は、本当は何をしなくてはならないのかが、どの物語でも明示されていません。このイメージが、日本人の潜在意識に入っています。

  2. kakusei39 より:

    もう一つは、組織に於ける人事、昇進人事の決める基準の錯誤です。

    太平洋戦争と、日清日露に於ける人材の一番の違いは、太平洋戦争は陸軍なら幼年学校、士官学校、陸軍大学のような、選抜試験に合格したエリートで将校は構成されていましたが、日清日露は、実績と出身地とで選抜された将校で構成されています。

    今でも、有名大学卒を優秀と見る、科挙の制度を今なお崇める心情を日本人は持ちますが、所詮、試験上手は、それだけのことで、実績主義には及びもつきません。私は、それなりに成績の良かった方と仕事をしてきましたが、試験上手は、教本のない仕事では、何も出来ない人が結構います。陸大、海大の人も同じだったのではないでしょうか。

    同じことを繰り返す戦争なんて無いですからね。

  3. bobby2009 より:

    >将校は世界最悪だ

    これらの理由は、最近のいくつかの記事で指摘されているように、「システム思考」につながるのではないでしょうか。すなわち将校も経営者も、下記が苦手なのです。

    目的を明確にして、優先順位をはっきりさせる。
    全体の効率が最大になるように最適化したシステム設計を行う。

    日本で、上記がきちんとできた稀な例が日本海海戦ではないでしょうか。

  4. satahiro1 より:

    >対米戦争のような本格的な戦争では、戦略も指揮系統もめちゃくちゃで、戦死者の半分以上が餓死という悲惨な結果になってしまう。

    旧日本軍兵士の戦死の3分2は餓死や病死であった、と言います。
    レイテ島戦では補給を絶たれ、実に97%が餓死や病死でした。
    同じようにインパール作戦、ガダルカナル島戦も前線兵士らにきちんとした補給がなされず全滅しました…

    「日本軍の兵士は世界一優秀で勇敢なのに、将校は世界最悪だ」

    この点、アメリカ軍は兵士の属人的な能力に過度に依存せず、その部分を個々の兵器の装備を手厚くすることで補いました。
    その1例としてゼロ戦に対抗したF6Fがあります。
    未熟なパイロットにも扱いやすい操縦性と、生残率を高める堅牢な装甲、防護鋼板などの装備をゼロ戦の倍の2000馬力エンジンを積んで補いました。
    対するゼロ戦は非力なエンジンで最大限の性能を発揮するため極力まで軽量化されたので操作するには優秀なパイロットが必要とされ、彼らが戦死すると一気に航空戦においても守勢に陥りました。
     

  5. satahiro1 より:

     
    太平洋戦争においてアメリカ軍は兵士らの属人的な能力に過度に依存することなく、装備の充実、兵站の確保の徹底により戦いました。
    これは旧日本軍の、精神的な部分を強調し軍備・食料の補給と言う兵站を軽視した作戦と明らかに違います。

    太平洋戦争は国力を総動員する戦いでした。
    勝利するためにそれを全体で活用するためのシステム思考の差が個々の用兵において現れ、結果として国家の命運を分けたのです。

    “日本軍の兵士は世界一優秀で勇敢だから、将校は世界最悪だ”

    現場(兵士)が優秀なので、全体を見渡(俯瞰)し経営戦略を立てるべき経営陣(将校)が彼らの意向に引っ張られて、システムを完遂することができない…

    これが戦後60余年経っても私たちが克服できない壁、なのかもしれません。
     

  6. limerick_tiger より:

    大東亜戦争における日本軍は、けっして米国に勝とうというものではありませんでした。米国民に戦争続行する意欲を絶とうとしていたに過ぎません。しかし予想以上に米国民は頑張った。そして戦争が長引いた原因は、無条件降伏という米国によるむちゃくちゃな要求です。戦争で完全に勝とうとすると、日本やドイツのように未曾有の悲劇を人類にもたらします。文明人としては、無条件降伏を求めるべきではなかったと考えられます。
    また、米国(連合国)の内情もけっして誉められるものではありません。マッカッサーによるフィリピンへの拘りはは政治的には正しいかもしれませんが軍事的には被害を広げただけです。
    どうもオジさんたちは、大東亜戦争を米国=優秀、日本=無能、と思考停止状態で決め付けています。戦争はそんな単純な図式で決め付けることはできません。一切の情緒を排して、理論的、論理的に考える時期ではないでしょうか?

  7. satahiro1 より:

     
    bobbob1978 2009年06月29日 02:19
    「システムをデザインすることができない原因」

    >西欧では1000年以上前から「神」を中心としたシステムを試行錯誤し(て、)合理性を重視したトップダウンのシステムが構成されました。
    >日本では人-人という個々の関係からボトムアップでシステムを構成する文化が優勢でした。…司馬遼太郎氏も「日本では権力の中心は空であった」みたいなことを述べてましたがこれは別の言い方をするとボトムアップであったということになる気がします。

    夏野剛氏
    「日本には実力がある。人も金も技術も十分あるのに実力が生かせない原因はたった一つ、決める経営者がいないからだ」

    今も日本で見られる、ボトムアップで現場で物事が決められてゆき、トップダウンで経営判断を経営者が決めずに済む、ような事はいつまで続くのでしょうか?
    また、それを変化させてゆくために何かいい方法があるものなのでしょうか?